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    <title>かけはしアーカイブズ - 将棋を世界に広める会: 1999年発行</title>
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        <title>ベルリンでボリスさんと９番勝負(11号,1999.11.16)</title>
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        <published>2004-08-02T21:40:28+09:00</published>
        <updated>2009-07-01T20:43:25+09:00</updated>
        <summary>　私はエスぺランチストなので、毎年の夏に世界各国持ち回りでどこかの都市で１週間に...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　私はエスぺランチストなので、毎年の夏に世界各国持ち回りでどこかの都市で１週間にわたって開催される世界エスペラント大会に、都合のつく限り参加することにしている。今年の開催地は首都移転のため変貌著しいドイツのベルリンで行われたので、７月30日から８月８日まで会議場（Internationales CongressCentrum）近くのホテルに滞在することになった。昨年はパリでフランス最強のエリック・シェイモールさんと相まみえるチャンスがあったので（かけはし９号参照）、今年もこれにあやかりたいと早めにしかるべき人とコンタクトを取る事に努めた。（<b>上田友彦</b>）</p><p>　今年は第１回国際将棋トーナメントが６月に東京国際フォーラムで開催されることを承知していたので、日本将棋連盟にドイツ代表は誰かと問い合わせたところ、ベルリン在住の現ヨーロッパチャンピオンのボリス・ミルニックさんと聞き、正に願ったりかなったりと大いに期待が膨らんだ。早速つたない英文で是非ベルリンでお手合わせ願いたい旨書き送ったところ、早速Ｅメールで、「こちらこそ楽しみにしている。その前に東京でお目にかかりましょう」と返事が来た。東京では全日空ホテルやフォーラム会場で会ったものの、彼はベスト８まで勝ち進む（ラリー・カウフマンさんに惜敗）活躍ぶりで非常に忙しく、ベルリンでの日程や宿泊先のメモを手渡すのが精いっぱいであった。<br />
　その後、数回Ｅメールのやり取りをし、互いに出来る限りスケジュールの調整をして土日はすべて将棋のために空ける約束をした。すなわち丸３日我々は将棋の日を確保した訳である。昨年はパリ駐在の宮本豊一氏に大変お世話になったが、今年はドイツ滞在ということで、言葉の面で少々不安があった。しかし、結果的には将棋を指すのに何の支障もなかった。<br />
　７月31日（土）午後滞在先のホテルに盤駒持参でボリスさんが訪ねてくれた。湖畔のホテルのテラスでコーヒーを飲みながら、４時間余じっくり４局指した。コンピュータ技師で額は少しはげ上がっているものの30代前半と見受けられる物静かな青年であった。電話をした時、若い女性が出たので、多分彼の奥様だったのだろう。少しは世間話から入りたかったが、こちらの英語力では如何ともしがたく、将棋に没頭せざるを得なかった。<br />
　彼は振飛車党で藤井システムなど最新定跡をよく研究しており、終盤もなかなかしぶとい。私はうろ覚えながら、現在ＮＨＫ講座で三浦講師が担当されておられる右四間飛車戦法で対抗したが、いずれも私の辛勝に終わった。<br />
　翌８月１日（日）はボリスさんに連れられて、既に退職されて悠々自適の生活をされている日本びいきのハンス・ベッチャーさん（この方が事実上ベルリンの将棋仲間の取り纏め役をされている模様）の別荘へ案内された。到着時、既にベッチャーさんと神戸大学を卒業して今ベルリン自由大学で法律を学んでいる松本雄二さんが庭先で将棋を指していた。奥様手作りのケーキをごちそうになりながら、日本語、ドイツ語、英語、エスペラントを交えしばし歓談した。ドイツには初段以上の人が５、６名はいるが、ベルリンには級位者が多い。ベッチャーさんの別荘と森鴎外記念館が将棋の溜まり場となっている。ボリスさんは近々イギリスとオランダの将棋大会に出かける予定。定年後ぜいたくとは言えないが小さな畑、植木、芝生付きのセカンドハウスを自宅近くに持てるのはうらやましい限りだ。この日は夜の更けるのも忘れて（ベルリンは９時10時になってもまだ明るい）ボリスさんと４局指したが、２勝２敗であった。帰りはホテル近くまで松本さんに送ってもらった。<br />
　帰国前日の８月７日（土）には、ボリス・ミルニック、ハンス・ベッチャー、松本雄二の３氏が他にステファン・マースさんを伴って宿泊先のホテルを訪ねてくれた。日本側からも将棋愛好家の大浦、村瀬さんが参加されたのでにぎやかな親善試合となった。ホテルの食堂で長時間粘ったが、飲み物、食事を注文したので、何のおとがめもなかった。ステファン・マースさんとは２局指したが、居飛車等の本格派でボリスさんに勝るとも劣らぬ実力の持ち主である。結果は１勝１敗であった。ボリスさんとも最後の勝負をしたが、勝ちを逃がしたと言って大変悔しがっていた。ヨーロッパの将棋界も有力な若手が次第に力をつけてきて頼もしい限りである。<br />
　ベッチャーさん、松本さんには別の日に森鴎外記念館、ドイツ国立図書館、建築中の官庁街、繁華街、百貨店等案内して下さり、大変お世話になった。将棋、エスペラントが縁で、いろいろな方から、心温まるおもてなしを受け、本当に幸せな10日間であった。<br />
　ご参考までにミニルックさん、ベッチャーさんの連絡先を記す。<br />
Boris Mirnik<br />
Liebenwalder Str.60 13347 Berlin<br />
Tel:(030)4565633<br />
E-mail:boris.mirnik@schering.de</p>

<p>Hans-Joachim Boettcher<br />
Offenbacher Str.5 D-14197 Berlin<br />
Tel:(030)8215795<br />
E-mail:hansj.boettcher@gmx.de</p></div>
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        <title>北京の中学生、滞在日記(11号,1999.11.16)</title>
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        <published>2004-08-02T21:25:00+09:00</published>
        <updated>2009-07-02T16:14:22+09:00</updated>
        <summary>８月５日 成田空港到着（ＵＡ８５２）予定時刻14:55、約30分遅延。京成電車に...</summary>
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        <category scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" term="中国・香港・台湾" />
        
        
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p><strong>８月５日</strong>
<br />成田空港到着（ＵＡ８５２）予定時刻14:55、約30分遅延。京成電車にて東京へ。初めて来日した唐先生は、窓外の風景を眺めて２階建ての家ばかりある、と妙なところに感心している。それに緑が多い、と我々にとっては意外なご感想。ホテルは水道橋の日中友好会館に隣接する後楽賓館、ここは中国人の場合特別優待価格で宿泊できる。(<strong>鈴木良尚</strong>)</p><p><strong>８月６日</strong><br /> 午前中、東急将棋祭り会場（渋谷）にて練習将棋。午後、中学生名人戦に参加。李鵬宇君、２勝１敗で予選通過、劉万超君は２敗失格。本戦トーナメントに入って李君は抽選の結果１勝すればベスト32に入れる位置につけ、しかも優勢な局面を築き上げながら、惜しくも逆転で敗れた。本人もさることながら、李先生も切歯扼腕。

<strong><br />８月７日<br /></strong> 千駄ヶ谷の将棋連盟道場にて、一般に混じって練習将棋。ここでは劉君も結構勝っていた。昼食後、渋谷の会場に戻って中学生は更に将棋の練習、日本滞在期間をフルに活用。先生方は米長永世棋聖と打ち合わせ、北京にプロ棋士を長期滞在させて将棋の指導をする計画の実現を目指す。夕刻、安恵七段、所司六段、を交えて歓迎会。

<strong><br />８月８日<br /></strong> はとバスにて東京見物（浅草、皇居、東京タワー）。午後は御徒町にて、お土産などの買い物。

<strong><br />８月９日<br /></strong> 午前中、青野九段進呈の後楽園遊園地の招待券を使って、楽しいひとときを過ごさせて頂いた。成田発（ＵＡ８５３）16:50帰国。
なお、交代で通訳して頂いた方々は、范文利、薛冰、柴崎順子、朱珉の４人の小姐（シャオチエ）でした。ご協力を感謝します。
</p></div>
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        <title>国際郵便将棋、その後-８ヶ国・１０チーム団体対抗戦(11号,1999,11,16)</title>
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        <published>2004-08-02T20:05:58+09:00</published>
        <updated>2009-07-27T15:17:45+09:00</updated>
        <summary>〜駒落でも、東、西日本チーム１、２位〜 「かけはし」創刊号で、途中経過をご紹介し...</summary>
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        <category scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" term="イギリス" />
        
        
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>〜駒落でも、東、西日本チーム１、２位〜<br />
「かけはし」創刊号で、途中経過をご紹介した国際郵便将棋・８ケ国・10チーム団体対抗戦の結果は、別表のように、東、西日本チームが１、２位を占めるという結果で幕が降りました。(<strong>鈴木良尚</strong>）</p><p>1993年の春から1995年の末まで３年間が当初の予定でしたが、開始がスムースにいかず、1996年の末まで１年間の延長は当然の成り行きでした。しかし、それでも未完の試合が多く残ったので更に１年間延長し、結局1997年末までの５年間の熱戦となりました。<br />
　1998年に入ってなお、特別延長の認められた試合もあったり（どちらかが、あと10手位で投了しそうな場合、なるべく途中判定で勝負をつけることのないように、試合を終了させたいという考え）、試合未完の場合は棋譜を元に判定を行わなければならいところ、その棋譜の提出が意外に遅く、判定が進まない部分が残りました。また、トーナメント・ディレクターとして各種トラブルの裁定をして頂いた、アメリカのビクトル・コントスキーさんの大切な御家族に不幸が起こり、1998年の夏頃にしばらく空白の時間が避けられず、結局、全成績を確定するのにトーナメント打切りから１年もかかってしまい、公式発表は1999年の１月ということになりました。<br />
　試合は８ケ国10チームで、各チーム５人の正選手に１番から５番まで番号をつけ、指定された相手６チームの同番号の選手と対戦する、という組合せで行われました。但し、５人以上の選手を登録したチームでは、、正選手１人６試合の代わりに、追加登録選手が適宜交代して入ることが出来、従って、正選手１人当たりは４〜５試合でよいことになりました。参加登録選手は別表のごとく全62名でした。登録選手の数はアメリカ・チームが最も多くて９名、日本チームは東日本、西日本共にそれぞれ７名でした。日本の選手は「週刊将棋」に出した広告（1992年２月５日号）を見て応募して来られた方々が大部分です。英語で書く棋譜の書き方も初めてという選手には、それを解説した紙をお配りして勉強して頂きました。タイの選手は全員現地に在住していた日本人で、またアメリカ・チームにも１人ニューヨーク在住の日本の方が第１番席で参加されました。<br />
　対戦組み合わせについては、参加登録選手の大体の強さを順に並べ、なるべく強いチームどうし、弱いチームどうしが当たるように、また、１ケ国で２チーム出しているところは、同じ国のチームどうしが当たらないように、という配慮がなされました。強い弱いといっても、ＰＳＬ（注）の基準による一定の駒落ちで指すわけですから、個々の対局はすべてバランスしている筈ではあります。ＰＳＬの会員は既にレーティングの点数を有していますが、初参加の選手は点数がありませんので、自己申告の段級位をＰＳＬのレーティングに照合して点数を与えその点数差で個人的な手合い割りを決めました。その結果、日本の２チームの選手に関しては、ほぼ３分の２の試合が、駒落ちの上手で対戦することになりました。香落、角落、飛車落、２枚落、４枚落、と様々です。しかし、逆に香落下手という組合せも出来ていました。<br />
　５人の選手が相手６チームの選手と戦うわけですから、１チームの試合数は30試合で、トーナメント全体では150試合が行われることになります。1997年の年末の時点で、なお勝敗のついていない試合が34試合残っていました。冒頭にも書きましたが、あと少しで勝負がつきそうな試合については1998年に入ってなお延長を認め、その他の試合は棋譜を提出してもらった上で、プロ棋士による判定で勝ち負け、或いは引き分けかを決めることになっていました。しかし、34局もの試合を判定するのは、プロ棋士の負担が大きすぎるので、トーナメント・ディレクターの指示により，日本チームの関与しない試合については、著者が判定することになりました。判定の基準としては、原則として引き分けとし、よほど差のある場合のみ勝敗を決めるという基準でしたが、結局棋譜が提出されたのは10局に満たず、そのうち日本チームの関与する分は３局で、この分についてだけ室岡克彦六段に判定をお願いしました。残りの試合は、打切りの時点で棋譜を提出せずに片方がギブアップした試合が幾つかあり、その他は、棋譜の提出未了を以て選手同志が勝負を決める意思なきものとみなし、引き分けとして処理しました。<br />
　成績の順位は、団体戦スタート時に、各チームの勝数によってそれを決めるという規定を実は作っていたとの事で、勝率のよいドイツ・チーム (.789) より、勝率は低いが(.759)勝数の多い東日本チームの優勝ということになりました。チェスの試合では、勝数を１点、引き分けを 0.5点として、点数を競う方法が一般的ですが、今回は未完の試合を引き分けにしましたので、それで点数が取れるというのでは不合理ですからチェス方式を採用しないで良かったと思います。<br />
　日本チームの成績は別表２のごとくです。日本選手の個人成績では、東日本チームの高橋、神田、鈴木の３名、及び西日本チームの岸田、中山が負け無しの好成績でした。日本チームが強いのは当然ではないか、と思われるかも知れませんが、駒落ちのハンデをつけていますので必ずしもそうはいかないのです。私が思うのは日本チームの出場者に忍耐強くて精緻な人が多かった、という性格的な勝利です。郵便将棋は長期にわたり細々と（表現が悪くてすみません）切れ目無く続けるものなので、よほど情熱を長く維持出来ないと、途中でダレて来ていい加減になって来ます。実際にあったケースでも、スタートしたものの途中で気力を失ってやめてしまうとか、参加登録はしたもののスタート以前にやっぱり止めたとギブアップを表明し、代わりの選手を探したが見つからなかった（外国の例）とか、理由は様々ですが、選手の性格的な面が郵便将棋の場合は特に勝敗に影響を与えます。平均して１チームに１名は脱落者が出て普通です。（今回オランダ・チームの不成績は脱落者３名に及んだためです。）今、全チーム５人のうち各１人が脱落したとすると、20〜40％の試合が没収試合（不戦勝）や放棄試合（不戦敗）になります。もし、それが各２名になると実に40〜80％がそうなる計算です。第３表でもそれが結構多く見られています。即ち、没収試合（□）や放棄試合（■）が日本の２チーム合わせて60試合中28試合と、半分近くあることからもよくわかります。トーナメント・ディレクターのコントスキーさんは国際郵便チェスの元チャンピオンですが、郵便チェスの場合でもこのようなことは数多くあり、特に今回将棋の場合に多過ぎるということではない、とのお話でした。また、どんな相手と組合わさったかでも運不運があります。例えば、手紙の返事がすぐ来なかったり、ムラのある相手に当たった場合、真面目に将棋を指す意志があるのかどうか疑いたくなって、つい自分の方までヤル気をなくすようなこともあります。<br />
　あまりにも短手数で終わった将棋には、見落としによるものが多くあります。そうでなくても不慣れな書き間違い（桂馬のつもりでナイトの頭文字Ｋを書いてしまい、キングと受け取られて玉がヘンな方向に１手動いてしまった）とか、或いは、王手をついウッカリして防がなかったので反則負けになったとか、一旦手紙に書いてしまったらもはや訂正出来ない、という郵便将棋独特のルールも成績に大きな影響を与えたようです。このようなことは、将棋を楽しむのか、それとも勝負をつける事に力点をおいているのか、によってルールの作り方が変わるということです。今回はそういう意味でやや中途半端であったかも知れません。外国チームどうしの試合で、片方がルールを悪用し、いつも相手から催促があるまで返事を出さずに相手をイライラさせたり、或いは少し不利になると不利が拡大しないように急に進行を遅くしたり、というようなトラブルが生じたように聞いています。日本の選手の場合は、皆さん余裕があって、どちらかというと勝負よりも将棋を楽しみたいと考えていたのではないでしょうか。或る選手の場合、相手は将棋が好きで将棋を指しているのではなく、日本に旅行に行きたいがために単に日本に拠点を作ろうとしているのではないか、と疑いたくなるような態度がみられ、文通をやめたくなって途中で投了したという報告を受けました。相手にめぐまれないと郵便将棋もなかなか楽しむことが出来ません。<br />
　そういう中から、150手を越す熱戦を４年５年と続けて勝敗を争った試合も散見され、相手に恵まれたとはいえ、大いにプレイを楽しむことが出来たことは大変喜ばしいことでした。また、せっかく信頼出来る相手だったのに、病気になって入院してしまい、残念なことに亡くなってしまった、という悲劇も１件起こり、何年もかかるような将棋をさしていると、諸行無常の世の中の移り変わりまで感じさせられます。<br />
　なお、チーム成績としての勝ち星の数は、相手が試合を放棄して勝ったのか（第３表の□印）、それとも実際に将棋を指した上で相手を投了に追い込んで勝ったのか（同じく○印）を、区別せずに同等に取扱っています。しかし、私としては、０〜20手以内の放棄による勝は１点、それ以上指して勝った時は投了でも放棄でも２点、と区別したらどうかと考えています。勝ち星の価値が違うように思えるのですが、始めにそのようなルールにしていなかったので、この際そういう区別はしていません。<br />
　外国の選手の中では、フランス・チームの Hall、Tran の両選手が共に５勝１引分の好成績でしたが、○印の勝は共に３個です。それよりもドイツ・チームの R,Soelter 選手の４勝２引分という成績は、○印の勝４個によるもので賞賛に値します。どなたか挑戦してみる方はいませんか？（勿論、公正な駒落ちで）<br />
　それから、この８ケ国による団体戦はイギリスのＰＳＬ（Ｐostal Ｓhogi Ｌeague）組織の管理下で行われましたが、その組織の長である P.Holland　会長は、自らイギリス西部チームの一員として参加して３勝３敗の成績を残しました。<br />
　さて、これで国際親善を旨とした第１回の国際郵便将棋の団体戦は終了しましたが、ここ数年の間に急速に広まったパソコン通信による、いわゆるＥメール将棋が今や古いポスタル将棋に取って変わろうとしています。第２回の団体戦を企画するに当たっては、郵便だけで何年もかかるやり方が果たして成功するかどうか疑問に思えてきました。個人間での郵便の遣り取りは、当事者が２人だけなので処理し易いのですが、団体戦ともなると何人も参画している中のたった１局が終わらなくても全体が終わることが出来ず、無駄な時間が多すぎます。それに引換え、Ｅメールでは通信時間が格段に速いだけでなく、発信時刻が明瞭で、翌々日付けの返事を義務付ければ（これを越える場合は、各自持ち時間30日の中で処理する等）時間切れ負けもハッキリして、試合の進行がダラダラせず管理し易くなります。どうやら、個人戦はともかく団体戦に関する限り郵便の時代はもはや過ぎ去ったのではないでしょうか。そうなると今回の団体戦は最初で最後という貴重なデータになるわけです。　　かけはし次号から日本選手の戦いの跡を御紹介していきます。紙面の都合で全棋譜の紹介が出来ないのは残念ですが、見応えのある攻防が随所に見られますので、一度並べてみて下さい。</p>

<p>注：Postal Shogi League,世界的に会員どうしの郵便将棋を斡旋している。最近ではＥメール可能な会員も増えてきた。詳細は「かけはし」創刊号参照のこと。興味のある方は、お申し出いただければ、その部分のコピーをお送り致します。</p>

<p>別表<br />
<a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart2.jpg"><img border="0" src="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart2.jpg" title="Postal_chart2" alt="Postal_chart2" class="image-full" /></a>


<br />
<a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart3.jpg"><img border="0" src="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart3.jpg" title="Postal_chart3" alt="Postal_chart3" class="image-full" /></a>


<br />
別表２<br />
<a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart4_1.jpg"><img border="0" src="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart4_1.jpg" title="Postal_chart4_1" alt="Postal_chart4_1" class="image-full" /></a>


<br />
<a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart4_2.jpg"><img border="0" src="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2009/07/05/postal_chart4_2.jpg" title="Postal_chart4_2" alt="Postal_chart4_2" class="image-full" /></a>


</p></div>
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    </entry>
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        <title>国際将棋懇親会(増刊号,1996.12.10)</title>
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        <published>2004-08-02T17:44:46+09:00</published>
        <updated>2009-07-01T20:43:25+09:00</updated>
        <summary>国際将棋フォーラムお別れパーテイー 山田彰 　梅雨の合間の全日空ホテルのセンチュ...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>国際将棋フォーラムお別れパーテイー<br />
山田彰<br />
　梅雨の合間の全日空ホテルのセンチュリールームでは、日本語・英語・中国語・スペイン語・フランス語など様々な言葉の会話が交わされていたが、みんなの話題のテーマは「将棋」であった。<br />
　既に御承知の通り、6月19、20日の両日東京国際フォーラムにおいて、日本将棋連盟・国際将棋フォーラム実行委員会の主催で、第１回国際将棋フォーラムが開催された。その目玉行事の一つとして、世界27カ国から32名の選手が参加して国際将棋トーナメントが行われた。<br />
　</p><p>　将棋を世界に広める会の面々は、勿論国際将棋フォーラムに参加して、各国選手との交歓を行ったのだが、さらにこの機会を利用して翌21日の夕刻にお別れパーティ（国際将棋交流会）を開催した。正直なところどのくらいの方が来てくれるか心配していたのだが、トーナメントに参加した方はほぼ全員出席し、ISPS会員他日本の将棋ファンの方も多く参加した。日本将棋連盟からは所司・滝の両プロ棋士が出席され、滝七段にはご挨拶もしていただいた。 こうして熱気一杯の中で、世界の将棋を愛する人たちが将棋への愛？を語り合ったのである。<br />
　各国代表の挨拶などから聞いた各国事情を紹介してみたい。</p>

<p><b>・ヨーロッパ</b><br />
　トーナメントで３位に輝いたベルギーのマット・カスタースさんによれば、20年位前に福井さんという日本人の方が将棋を教えたのがベルギーでの将棋の始まりではないかという。近年、将棋のプロ棋士がブラッセルを訪問して将棋熱が高まりつつあるという。これからは欧州全体の組織化が課題なので、日本からの支援を期待しているそうだ。<br />
  ロシアのウリアノビッチさんは、２〜３年前からロシアでは将棋を指す人が出てきて、今は数十人の単位で将棋を指すロシア人がいるが、日本人の将棋の先生がいないのが悩みであると語っていた。</p>

<p><b>・アメリカ</b><br />
　米国のフェルナンデスさんは我々にはおなじみで、米国将棋連盟会長である。ニューヨーク・ワシントン・ロス等全米５カ所に将棋クラブがある由で、インターネットを利用した将棋も指されているようだ。ISPSを始め日本の様々な将棋の組織とこれからもっとネットワークを張っていきたいということだ。</p>

<p><b>・中国</b><br />
　中国の許さんからは、今回のかけはしの別稿で紹介されている上海における将棋の普及についてのスピーチがあった。</p>

<p><b>・中南米</b><br />
　中南米方面は私の仕事上のホームグラウンドだが、アルゼンティン、ブラジル、パラグアイからの参加があった。ブラジルは日系人の方を中心に将棋が盛んだが、アルゼンティンは意外なことに日系人の方々の間でも将棋はあまり盛んでないようだ。残念、これからの普及を期待したい。<br />
　パラグアイのマルチノフさんは、「将棋は文化でチェスは遊びである」と言って将棋への思いを熱く語った。最初は国際協力事業団（ＪＩＣＡ）の専門家の方がパラグアイの人に将棋を教えたようだが、今では将棋人口は数十人。マルチノフさんはパラグアイの子供達に将棋を広めたいと話していたので、その夢が実現することを期待したい。</p>

<p>　ISPSがこのようなパーティーを開催したことで、日本の将棋愛好家とも語り合える機会が増えたことを各国の選手はとても喜んでいた。彼らの国を訪問したときは是非連絡してくれるようにとも言っていた。各国の選手みんなに楽しんでもらえたと思うし、私にとっても大変楽しいパーティーだった。この後国際交流は六本木での大カラオケ大会に続いていったのだが、しかしその様子は割愛することにしたい。（了）</p></div>
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        <title>上海市将棋学校リポート(増刊号,1999.8.1)</title>
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        <published>2004-08-02T17:18:04+09:00</published>
        <updated>2009-07-01T20:43:25+09:00</updated>
        <summary>　シャンチーという自国の棋類をもっている中国の上海で、おそらく中国史上初の中国人...</summary>
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        <category scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" term="中国・香港・台湾" />
        
        
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　シャンチーという自国の棋類をもっている中国の上海で、おそらく中国史上初の中国人による日本将棋の学校になるであろう上海市将棋学校が本年７月９日に開校した。現地へ飛んで開校式典に参加したので、その模様について報告する。(<b>寺尾学</b>)</p><p><b>上海入り</b><br />
　８日の昼過ぎ、秋から上海の華東師範大学へ留学する会員の中本さんと共に成田を中国東方航空で飛び立つ。将棋連盟から参加の勝浦理事、安食女流２級らは全日空で先発しているらしい。<br />
　上海は戸籍上1300万人が住んでいる大都会。人口は東京に匹敵する。短い滞在の間、タクシーばかりで移動した感覚で上海を東京都になぞらえると、市の中心から西に位置する上海国際空港は八王子あたり、上海市将棋学校が開校した婁山（ルーサン）はだいたい渋谷のあたり。上海将棋学校校長の許先生の自宅と、開校の式典への日本側参加者が泊まったトムソンホテルがある浦東地区は黄江の東側なので、隅田川の東、お台場のある臨海副都心のあたりになるだろうか。高架の高速道路がそれらをつなげている。<br />
　空港からトムソンホテルまでは、タクシーで４０分位。高速が空いていれば八王子からお台場までもその位だろう。違うのはタクシー料金で、大体日本円で千円位で行ってしまう。高速料金込みだから日本の10分の１位の感じである。<br />
　トムソンホテルの上階の中華レストランで許先生、勝浦理事らと夕食。名古屋のジャンボ将棋連盟の長尾さんの顔も見える。長尾さんは盤と駒がカラフルで、通常より大きめのジャンボ将棋を試作しており、上海には２箇月に１度の割合で来ているという。<br />
　勝浦理事から今回連盟から人を派遣する経緯についても伺う。６月の国際将棋フォーラムまではその予定はなかったのだが、来日した許先生から詳しい状況がわかり、急転直下、二上会長のメッセージとともに勝浦理事が訪問することになったとのことで、やはり国際将棋フォーラムのようなイベントで人的交流が進むのは大事なことだと改めて感じる。</p>

<p><b>開校式典</b><br />
　翌９日朝。10時からの開校式に先立って婁山中学で中学生の将棋大会の準決勝、決勝が８時半から行なわれる。婁山中学は、きれいなレンガ作りの３階建ての建物で、その１階の隣り合わせの２教室を使い、一方は対局場、一方は大盤解説場に即席に仕立て上げられる。対局場では、アナログのチェスクロックを使って決勝戦が行なわれ、別の中学生が記録係もつとめている。大盤解説場では勝浦理事、安食女流２級、連盟手配の通訳の柴崎さんが壇上に立って、教室一杯に座った子供達に隣の部屋の将棋を解説している。テレビ局も４局来ていて、両方の教室にかわるがわるカメラを入れている。長廊下を挟んで向いの教室では英語の授業らしく、一斉に単語を読む声が聞こえる。同時に将棋のイベントが行なわれているのが日本ではありえない風景で微笑をさそう。<br />
　10時になり、２階の式場に仕立てられた会議室にあがる。将棋を指す中学生の親御さんを中心に50名位の人が席を埋める。前でこちらを向いて座っているのは５人。上海将棋学校の校長になる許先生、場所を提供する婁山中学の呉校長、勝浦理事、見知らぬ顔は上海市の偉い方と上海象棋協会の方であろうか。将棋大会の表彰式が始まる。４箇月前から上海に赴任してきたパイオニアの朝比奈さんが用意した賞品の DVD プレーヤーを、優勝の陶季銘くんに授与。この上なく嬉しそうな顔である。また、大会の参加者全員に長尾さんがジャンボ将棋の盤駒を１セットずつプレゼント。みんな満足そうだ。いよいよ開校式典。中国側来賓の挨拶の後、勝浦理事が二上会長の祝辞を代読。柴崎さんが通訳する。「単なる盤技にとどまらない将棋の考え方を導入されんことを願っている。それは国際的視野を持って欲しいからであります」が訳されると大きな拍手。最後に前列の真ん中にあった白い布が取り去られ、「上海市将棋学校」と銘が入った金看板が披露されテレビカメラが食い付く。これは掲牌といい、中国ではとても重要な儀式とのこと。放映されるのもこのシーンがメインとなるらしい。牌の横に立った許先生は、とても晴れがましい顔であったが、気のせいか目には光るものがあったような気がする。開校式は終わった。だが、すべてはまたこれから始まるのだ。</p>

<p><b>壮大なプラン</b><br />
　９日夜、許先生に今後についてインタビューした。中国では新学期は９月から。そこでまず８月の１箇月間で上海市の小中高校の先生から将棋の指導者になりたい人を募り、新学期が始まるまでに20〜30人の指導者を育成するところから始める。その指導者たちにそれぞれの学校で将棋を教えるようにしてもらい、全体で2000人の生徒からスタートしたいとのこと。正規の授業として週に一回行なう予定と聞いている。<br />
　中期的には市内の700校（小中学校がそれぞれ300校ずつ、高校が100校）で各校150人ずつ合計約10万人の生徒が将棋の授業を受けるところまでもっていくのが目標のようである。そんなに生徒が集まるのか、という私の質問には、「チェスや囲碁よりも安く学べるし、将棋を習うと頭が良くなり、数学にも強くなるというアプローチをとるので大丈夫」と自信ありの答えであった。８月、９月が上海市将棋学校がスタートダッシュできるかどうかのヤマ場である。11月に当会で会員向けに上海旅行を企画し、同学校訪問も日程に組んでいるので皆さんその成果をご自分の目で確かめに出掛けられてはいかがだろうか。その際、棋書で要らなくなったものがあれば持って行かれると喜ばれるはずだ。</p>

<p><b>前途有望</b><br />
　式典の後、９日午後は婁山中学で、10日午後はトムソンホテル２階のホールで小・中学生を相手に多面指しを行なった。トムソンホテルの方は、事前に参加の人数がわからず、許先生は不安顔だったが、蓋をあけてみると150人以上が集まり、勝浦先生は40面以上で指すほど盛況だった。私も総平手の10面指しで３回転ほど指したが、１本入れられてしまった。勝浦先生の感想では、アマ三段あるのが数人いるとのことで、今後の上海はますます楽しみになってきた。</p></div>
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        <title>デンマークの将棋の春(増刊号,1999.8.1)</title>
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        <published>2004-08-02T16:36:42+09:00</published>
        <updated>2009-07-27T15:17:45+09:00</updated>
        <summary>　ヨーロッパではそれ程多くの人が将棋を指している訳ではありません。最近までは西欧...</summary>
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        <category scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" term="北欧（スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド）" />
        
        
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　ヨーロッパではそれ程多くの人が将棋を指している訳ではありません。最近までは西欧では将棋の選手組織がある国は数カ国でした。中でも英国、オランダ、ドイツ、フランス、ベルギーは組織ができてから10年以上経ち、三・四段クラスが何人も生まれています。(<b>スウェーデン将棋連盟会長 Dr. Martin Danerud</b>)</p><p>　他にはノルウェーとフィンランドにも選手組織があります。ヨーロッパ将棋選手権大会も1985年から毎年行われています。<br />
　スウェーデンでは２年前にスウェーデン将棋連盟が設立されました。集中的な活動の結果現在会員は100名を越え、最近第１回スウェーデン将棋選手権大会がイェテボリで行われるに至りました。私どもは日本将棋連盟とISPSから大きな支援を受けています。<br />
　今年４月の初めのイースター休暇に Carl Johan Nilson 氏と２人で、フェリーと車でイェテボリからデンマークのオールフスに行きました。デンマークはスウェーデンと海を挟んで向かい合っています。毎年恒例のデンマークチェス選手権がこのイースター休暇にオールフスで開かれ、400名のチェス選手が参加しました。この機会を利用してチェスファンに将棋を宣伝しようというのが私たちの狙いでした。<br />
　イェテボリは海峡西岸にあるスウェーデン第２の都市で、オールフスは東岸のユトランド半島にあるデンマーク第２の都市です。オールフスはとても美しい都市で、何世紀も経った古い家屋が多く残っています。周辺は平坦な農地で、小麦・ライ麦・大麦・燕麦が栽培されています。森が少しだけあり、平坦な大地に点在する風車発電所には近代的な発電設備が林立しています。<br />
　スウェーデン将棋連盟には将棋のルールと主要な住所を記載したリーフレットがあります。デンマークに出かける前にそれをデンマーク語に翻訳しました。両国の言葉は似てはいますが、デンマークの人にとってはデンマーク語で書かれている方が理解し易いと考えました。スウェーデンを立つ前に将棋の駒を白く染め抜いた赤いセーターを作りました。デンマークの国旗にも日本の国旗にもこの２色があるからです。<br />
　このセーターを着てデンマークチェス大会が行なわれるオールフス上級ビジネススクールに着きました。チェスの大会が開始される前の半時間の間に大会の参加者400名に将棋のリーフレットを配布しました。それからテーブルにつき、将棋に興味を示す人がやってくるのを待ちました。しばらくして最初のチェスの対局が終わると人々が私どものテーブルに来始めました。将棋のルールを説明し、王将だけの”最初の駒落ち”から二枚落ちまでの駒落ちを指しました。<br />
　駒落ち将棋の後でデンマークを発ってからも連絡を取れるように名前と住所を聞きました。忙しい一日でしたが数名の気の合うデンマーク人と知り合い、オールフスのホテルで楽しい夜を過ごしました。<br />
　次の日も将棋のルールの説明と駒落ち将棋を続けました。しばらく指していると、小さなトーナメントを希望している人達がいることが判りました。８名の参加希望者がいましたので持ち時間15分の３回戦トーナメントを行なうことにしました。<br />
　これらの初心者が極めて攻撃的な将棋を指すのに驚きました。数時間前までは将棋を知らなかった人達ですが激しいスリルのあるトーナメントでした。<br />
<img alt="Denmark_zokan.JPG" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/Denmark_zokan.JPG" width="606" height="173" border="0" /><br />
　１−２位の賞品は普通サイズの将棋セット、３−４位はポケット将棋セット、５−８位は厚紙の将棋セットにしました。これらの人々が将棋を続ければヨーロッパの将棋を大いに発展させることになるでしょう。<br />
　オールフスのチェスハウスは居心地のよいコーヒーチェス店で、来客はチェス、ビール、ソフトドリンク、コーヒーやスナックが楽しめます。２人のオーナー Klaus Berg と Jense Ove Fries Nielsen は共にチェスのインターナショナルマスターです。オールフスでの２日目の夜はこのチェスハウスでテーブルを借り、数人を相手に将棋のルールを説明し駒落ち将棋をやりました。チェスハウスの雰囲気はとても楽しいもので、駒落ち将棋をとてもうまく指した人もいましたし、将棋セットを数名が購入してくれました。会合は夜中の１時半まで続き、チェスハウスにお礼として普通サイズの将棋セットを贈りました。<br />
　オールフスでの３日目はデンマークチェス大会の最終戦を見学しました。同点優勝の Peter Heine Nielsen と Sune Berg Hansen はいずれ1999年デンマークチェス大会の優勝者決定戦を戦うことになります。デンマークの伝説的な64歳のチェスプレイヤー Bent Larsen もこの大会に参加していました。彼はおそらく1960年代の世界最強のチェスプレイヤーだったと思います。<br />
　この日の午後スウェーデンへの帰途につきました。スウェーデンに戻りデンマーク訪問の総括を行ないました。デンマークの400名のチェスプレイヤーに将棋を説明することができました。30名に将棋のルールを説明し、駒落ち将棋を指しました。その内18名の名前を聞くことが出来ました。また８名参加の自発的なトーナメントも行ないました。<br />
　スウェーデンに戻ってから Joachim Knudsen に連絡を取った所、デンマークでの連絡先になってくれる事となりました。彼にデンマークの将棋プレイヤーの名前と住所、それにスウェーデン将棋連盟の規約を送りました。これらは今後デンマークで将棋の組織を設立する際の基礎になるでしょう。今後すべてのデンマークの将棋プレイヤーにヨーロッパの将棋イベントを知らせる事とします。新しいデンマークの将棋の友人が1999年10月の初めにスウェーデンのマルメで行なう国際将棋大会マルメオープンに来てくれることを期待しています。<br />
　ヨーロッパ大陸に築かれた将棋の歴史、インターネットをはじめとする新しい通信技術や、ISPSの大きな援助などのおかげで、ヨーロッパの将棋の将来は明るいと思っています。将来ヨーロッパでは現在既に将棋の組織がある国を中心としてその周辺国に自然に広がって行くでしょう。私どもスウェーデン人から見ると、次はポーランドを開拓すべきだと考えています。ポーランドは大きな国でチェスの伝統があり、スウェーデンや他の周辺諸国と歴史的に関係が深い国です。私どもは将棋が全ヨーロッパに広がるまで努力を続けます！</p></div>
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        <title>世界棋類大比較(10号,1999.6.2)</title>
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        <published>2004-08-02T15:43:59+09:00</published>
        <updated>2009-07-27T15:17:45+09:00</updated>
        <summary>　会員の皆様は、日本の将棋の魅力、他の国々の将棋・チェス類との違いについて雄弁に...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　会員の皆様は、日本の将棋の魅力、他の国々の将棋・チェス類との違いについて雄弁に語ることができるでしょうか。将棋は王と金以外のすべての駒が成ることができるし、成らないこともできる、また、将棋には取った駒を再使用できるルールがあってそのことが将棋を終盤になっても複雑でおもしろいゲームにさせている、などがすぐに思い付きますが、そこからすすんでさらに日本の将棋の魅力を外国の方に伝えようとすると、つまってしまうのではないでしょうか。子供のころに自然に習い覚えて、自分にとっては将棋はおもしろいゲームということが当たり前すぎるようになってしまっているので、私などはなかなか将棋の魅力を外国の方に雄弁に伝えることができません。(<b>Larry Kaufuman</b>/<b>寺尾学</b>)</p><p>　「将棋を世界に広める会」のメンバーでありながら、そういうことではうまくない、と思っていたところ、インターネット上で将棋について主に英語でディスカッションするメーリングリストの SHOGI-L に、６月の国際フォーラムで来日が予定されているアメリカ合衆国の Larry Kaufman 氏が非常にためになるエッセイをこの２月に寄せられて、世界の将棋ファン、特に、各地で将棋を広めようと尽力している人の間で話題になりました。氏の許可を得ましたので、日本語に翻訳してご紹介いたします。このエッセイは、SHOGI-L メーリングリストで、一月ごろから、大将棋、中将棋などの話題が出始めたときに、関連として発表されたものです。<br />
　氏は、７種類のゲーム（将棋、チェス、シャッフルチェス、グランドチェス、シャンチー、チャンギ、中将棋）について、下表の８項目それぞれに最高各一点を与え、合計８点満点で比較評価をし、将棋に最高点を与えています。（下表は、氏のエッセイの内容に基づき寺尾が作成した）<br />
（以下本文） </p>

<p>　私は、将棋とわずかに関連する将棋 Variant についての話題が、このリストではやや多すぎるのではという印象を受けているが、（SHOGI-Lの場でチェス・将棋類に属する様々なゲームを比較することに）大いに関心があるようなので、私も、これらの将棋 Variant に対して、本将棋が Variant に対して比べものにならないほど指されていることを考慮しながら、持論を述べてみたい。<br />
　まず最初に、私が何者かを説明しておくべきだろう。私は、世界で、チェスと将棋の両方においてレーティングで 2400 を獲得した唯一の人間である。すなわち、チェスにおいてはインターナショナルマスターであり、将棋においてはアマチュア５段の実力をもっている。また、私はかつて、合衆国において、東洋人を除いては最強のシャンチープレーヤーと目されたことがあり、また、チャンギ（朝鮮将棋）、中将棋、またグランドチェス（ Capablanca の １０マス X １０マスのもの ) についても約１０局くらい指したことがあるので、それぞれについて、どんな点がよくてどんな点がよくないかの感触をもっている。<br />
　私の考えでは、これらのゲームを比較するときに考慮すべき重要な点は、以下の点である<br />
・そのゲームの習熟者同士の対戦における引き分けの頻度（少ないほど可、ただし、ごく小さな引き分けの可能性があるほうが、全くないよりも好まれるかもしれないが）、<br />
・先手後手の勝利の可能性が大ざっぱにいって等しいこと、<br />
・序盤を記憶することの重要度（少ないほど可）、<br />
・複数の駒を用いることで手が広いこと（主に チェッカーズを意識。囲碁にたいして指摘する人もあるかもしれない）、<br />
・歴史、伝統の有無（非常に望まれる）、<br />
・一局の長さ（長すぎず、短すぎず、多分に主観的なものではあるが）、<br />
・戦略的な原則の有無（多いほど可）<br />
・早い段階からの先手後手の相互作用（望ましい、なぜなら、相手がどう指すかをみないで自分の指し手をきめられるのならば、そのゲームは面白みが不足していると考えられる）。<br />
　以上の８点である。<br />
　まず、チェス・将棋類のなかで、もっとも広範囲に楽しまれている（最も多くの国で指されている）チェスについて検討しよう。チェスは、歴史と伝統、ゲームの長さ、戦略的原則、および、早期の相互作用の４点において、非常に高く評価できる。しかし、残念なことには、引き分けの割合が高過ぎる（ハイレベルの者同士では約50%におよぶ）。この引き分けの多発は、競技者のファイティングスピリットの欠如からくるというよりは、チェスというゲームの性質上からくるといってほぼまちがいのないところだろう。先手後手の勝率は極めて等しくない。すなわち、ハイレベルの競技者のゲームに於ては、後手が３勝する間に先手はだいたい５勝している。序盤の知識は、ハイレベルの競技者間では、重要すぎる。もっとも、これについては、シャッフルチェスというアイデアが解決策となりうるのではあるが。<br />
  手の広さについては、悪くないという評価ができるが、もっとよくなりうるともいえるだろう。ということで、チェスは、８つの評価項目のうち、4.5 項目についてよい評点を獲得した。シャッフルチェスも評点は同じになる。なぜなら、序盤の知識で得点した分、シャッフルチェスは歴史と伝統が無く、その面で失点するからである。<br />
　次に、中国チェス（シャンチー、訳者註）についてみてみよう。私の信ずるところでは、チェスの変形で最も多くの人に指されているゲームである。シャンチーは、「歴史と伝統」「一局の長さ」「序盤からの相互作用性」では、チェスと同じく高得点を与えることができると考える。しかしながら、「戦略的原則の多寡」については、中程度の評価である（沢山の戦略的原則は存在するが、チェス程は多くないと感じている）。「引き分けの頻度」はチェスより少し低くはなるが、依然として高すぎると考える（引き分けが多い大きな理由は、「象」および「相」を自陣にとどめておかねばならない制約にあると私は考えている）。また、多分、チェスほどではないとは思うものの、かなりのところ「先手優位」である。「序盤の知識」は、チェスと同様大きな問題である。「手の広さ」はほぼチェスと同じとみている。よって、私は、シャンチーについてはチェスと同じく４と二分の一点を与えたい。<br />
　朝鮮チェス（チャンギ - 訳者註）は、シャンチーの親戚である。シャンチーより、「歴史と伝統」において少し低い評点で、「序盤の知識」において少し高い評点を与えられる。その他の項目はだいたい同じである。よってチャンギには、4.5 点を与えよう。<br />
　さて、この場(SHOGI-L 訳者註）で多くの論議の的となっている中将棋についてはどうだろう。中将棋に「歴史と伝統」があったのは疑いのないところである。ただし、そのほとんどが現代のわれわれにとっては知ることができないので、「歴史と伝統」は、0.5  点とする。私は、中将棋では習熟者同士の対戦では、「引き分けの頻度」は低かっただろうと想像する。尤も、現代においてこの仮説を検証できるだけの中将棋の習熟者がいるとは考えられないのではあるが。また、同様に、先手の優位性が、ささやかといえる以上のものになるとは思えない、多分、51 - 49% といったところだろう。<br />
 　「序盤の知識」については、問題とならないのは明らかである。たとえ、「序盤の知識」が必要だとしても、中将棋のように複雑で決着がつくまでに長い手数を要するゲームで、決定的な要因にはなりそうもない。「手の広さ」については、明らかに並外れている。実際問題私としては、様々な種類の駒（成駒も含む）が存在することによる手の多様性は、人間がゲームを楽しむことができる程度をはるかに超えており、この項目については 0.5 点しか与えられない。中将棋の場合は、手が広すぎることが、駒の使い方に習熟するのを困難なものにしており、結果、対局内容の質を減ずるようにしかはたらいていない。「一局の長さ」は、対局できない長さということではないものの、ほとんどの人が望ましいと考える水準よりもかなり長い。<br />
 　「早い段階からの先手後手の相互作用」は確かに起こる。しかし、敵陣と自陣の間の空間が広いことことがそれを小さくするようにはたらくので、中将棋にはこの項目で 0.5 点しか与えられない。「戦略的原則の多寡」については、私の意見ではそんなに多くはないように思えるし、戦術的な要素がこのゲームでは支配的のようにみえる。しかし、私としては、中将棋について確かなことをいえるほどには習熟していないので、この項目も 0.5 点としたい。<br />
　よって、莫大な時間を中将棋に費やして熟達の域に誰かが到達するかもしれないという留保条件つきながら、中将棋は合計 5 点で、いままでのうちでは、最高点である。私自身は、ときおりこのゲームを楽しむけれども、マニュアルなしで成駒の動かし方を覚えているほど指し込んではいないし、私の技術と楽しみも、ゲームの後半になるにつれ怪しくなってくる。<br />
　中将棋の親戚といえる大将棋については、私は、Colin Adams の、「有利さを相殺することなしには、中将棋よりやりやすいゲームといえないのは明らかである」という見解に賛成せざるを得ない。また、これら大きなゲームについの議論を続けるのは、あまり賢いことではないと思う。私は、George Hodges の、「大きな将棋類がこの世に存在することはそれらが本当に指されたということを意味するわけではない」という見解に強く同意する。成り駒が生に戻る大将棋のバージョンについては、まったく引き分けになりやすく、退屈である。中将棋ですら、すでに駒が多すぎ、それが、指されなくなった理由と思われるのに、それよりも大きなバージョンの大将棋について語るのはほとんど冗談に近い。遺憾ながら、私は、天竺将棋については知識がないので、ここではコメントしない。<br />
　将棋に対する中将棋と同様、チェスに対しては、グランドチェスが存在する。チェスよりも大きな盤と、チェスにない駒（ビショップとナイトの両方の能力を持つ駒と、ルークとナイトの両方の能力を持つ駒）が、このゲームに新しい次元をもたらしている。私としては、このゲームは、「歴史と伝統」では 0 点の評価である（Capablancaによるいくつかのゲームはここでは評価の対象にならない）。しかし、「引き分けの頻度」は、習熟者の間ではとても低いし（私はまだ経験したことがない）、先手の優位性も小さいといって差しつかえない。「序盤の知識」は存在しない。もっとも、これは、グランドチェスがもっと指されるようになったときには、少し問題となるかもしれない。よって、「序盤の知識」は、0.5 点。「手の広さ」は悪くない。中将棋のように駒が取られすぎてて盤上からほとんどなくなってしまう状態にならなければ、チェスよりも手が広い感じであるが、私としては、ちょっと物足りなさがあるので、0.75点を与えたい。「ゲームの長さ」は、適当と思われる。チェスよりは少し長いが、中将棋のようなことにはならない。<br />
　「早期の相互作用」はチェスと同様で、「戦略的原則の多寡」もチェスと似たようなものである。よって、グランドチェスは、あまり指す人が多くはないものの、私の基準からすると、いままで考察したゲームのなかでは、８点満点中、6.25 点と最高の点数になる。<br />
　さて、いよいよ将棋である。このゲームは、千万単位の日本人、および、数千人単位の西洋人によって指されている。「歴史と伝統」は豊僥であり、チェスと遜色がない。「引き分けの頻度」（プロ間で 2%, アマチュア間で 1% 程度）は、最小である。（小さすぎるという者がでるくらいである）「先手の優位性」も非常に小さい。(おおよそ52% - 48%）「手の広さ」もほとんど理想的である（チェスの６種類に対して、成りも含めると１０種類の動きの駒がある）。「序盤の知識」は大きな問題である。序盤で悪くしたのを逆転するチャンスは将棋のほうが多いとはいうものの、チェスと同様「序盤の知識」が必要である。よって、これについては、0.25 点（おそらく、我々はシャッフル将棋が必要になるかもしれない）。「一局の長さ」は理想的である。「序盤からのの相互作用」もかなりのものであるが、チェスよりは少し劣る。よってこれについては 0.75 点である。「戦略的原則」については、非常にたくさんあるといってよい。多分、チェスと匹敵するであろう。よって将棋は、８点満点中の７点を獲得する。すなわち、これら将棋、チェス類の競争での明らかな勝者ということになる。<br />
<img alt="larry_chart.JPG" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/larry_chart.JPG" width="686" height="197" border="0" /><br />
　とはいえ、将棋は完全なゲームというわけではない。駒の動きが恣意的な場合があること（王、金以外の駒が成れるときに成・不成を自由に決められるルールを指す、と思われる - 訳者註）、戦端を開くのがよくないとされている序盤があり、それゆえにときおり引き分けになること、入玉模様の将棋では、駒数による美しいとは言えない決着の仕方が必要なこと、双方が矢倉囲いに入城するまで、相互作用が起こらない対局が少なからずあること、等の批判が存在する。また、居飛車穴熊の固さは多くの人によって、将棋をつまらなくするもと受け取られ、しばらくの間、振り飛車戦法を歴史の表舞台から遠ざける威力があったが、近年の対居飛車穴熊の藤井システムの成功は、この批判に大きく穴をあけるものであった。これらの批判はあるものの、私としては、将棋があらゆるチェス・将棋類のなかではベストのゲームといえるに足りる根拠をもっていると思うし、また、囲碁プレーヤーを刺激することになるかもしれないのだが（私自身は、囲碁も打ち、囲碁というゲームに敬意を払っているのであるが）、多分、すべてのゲームのうちで将棋がベストなゲームになるものと考える。（翻訳文了）</p>

<p>　この文章が発表された後、いろいろな感想が SHOGI-L に寄せられましたが、おなじ合衆国の Doug Dysart 氏の<br />
 "I will be printing it out and showing it to most of the chess players I know, as well as newbies to the chess scene."<br />
  に集約されているように、チェス・日本将棋以外の将棋は知っているが、日本の将棋は知らない人に対して日本の将棋の魅力を比較論で伝えるのに大変有効なエッセイで、これが発表されたことは将棋界にとってたいへん意義深いことと考えます。拙訳が、会員の皆様の活動に少しでも役立ち、また、日本の将棋界において将棋の魅力の再認識につながればこれ以上の喜びはありません。<br />
（原文は、インターネットに接続できる人ならば<br />
  <a href="http://www.shogi.net/shogi-l/Archive/1999/Nfeb07-06.txt">http://www.shogi.net/shogi-l/Archive/1999/Nfeb07-06.txt</a>　で見ることができます。<br />
この URL はかけはし10号発行当時と変わっていますので修正しました - Webmaster 註）</p></div>
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        <title>北京・少年宮−その後（ＩＳＰＳ訪中団フォローアップ）(10号,1999.6.2)</title>
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        <published>2004-08-02T15:09:17+09:00</published>
        <updated>2009-07-27T15:17:45+09:00</updated>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　２月上旬、中国のＷＴＯ加盟問題に関する協議のため、上海と北京を訪問する機会があった。私は、昨年１１月の将棋を世界に広める会（ＩＳＰＳ）の訪中に参加できなかったことを大変残念に思っていたのだが、今回の訪問で、是非少年宮を訪問してその後のフォローアップを行おうと考えた。幸い、出張は週末をはさんでいたので、２月７日（日）の午前中に北京の少年宮を訪ねることができた。(<b>山田彰</b>(外務省勤務))</p><p>　２月の北京はとても寒いと予想していたのだが、偶々なのか北京は暖かい晴天で東京とあまり変わらない。少年宮には北京在勤経験があり中国語の堪能な同僚の杉田事務官が同行してくれたのだが、少年宮に向かってホテルを出発した後に、彼は車の運転手となにやら話し合っており、「ところで少年宮の住所はどこでしたか」と私に聞く。実は北京には北京市の少年宮があり、また色々な区にも区の少年宮があるそうで、我々が向かう崇文区少年宮はあくまで崇文区の少年宮なのであった。ただし、後で聞いた話では、崇文区の少年宮は活動が活発であり全国でも模範的な少年宮で、王所長（主任）は市の少年宮の所長への異動を打診されたときに、崇文区の少年宮に勤める方がよいと言って断ったそうである。<br />
　さて、少年宮に着くと、三菱電機（中国）の王タンさんが待っていてくれた。ＩＳＰＳの訪中団の際に色々とお世話していただいた三菱電機の庄司さんは帰国されたのだが、今回の訪問のために庄司さんから紹介された王さんが色々アレンジして下さった。<br />
　少年宮で李民生先生に出迎えを頂き、王軍主任ともお話をする。私からは、ＩＳＰＳの中国訪問が大変な成功で、団員は皆満足して帰ったし、日本の種種の将棋メディアにも取り上げられたこと、北京の少年宮の少年を中学生名人戦に招待する企画が進行中であること等をお話しした。<br />
　王所長は、少年宮では最近特に将棋に力を入れている旨述べていた。ＩＳＰＳの訪中のせいもあるのだろう。　　　　　<br />
　私は、仕事に紛れてお土産を買うのをすっかり忘れてしまい、かけはしとＩＳＰＳの訪中の時の写真をたくさん渡しただけで、お土産を差し上げられず、残念な気がした。王軍所長からは私だけでなく、王さん、同行の杉田君にも扇子と日中友好バッジが贈呈され恐縮してしまった。みんなで写真を撮ったが、ＩＳＰＳの訪中団の写真が掲示板のところに何枚も飾ってあった。なるほど、将棋は崇文区少年宮で重要視されている。<br />
　しばらくしたところで、子供たちが対局を楽しみにしているとのことで、対局に移る。子供たちが指している教室ではなく、留守中の副所長の部屋を使って、三面指しの対局ということになった。三面指しなど簡単、四面指しでも大丈夫と思っていたが、久しくそんなことはやってなかったので、実は慣れないところで馬脚を表し、たくさん悪手を指してしまった。<br />
　少年宮最強の李鵬宇君との平手の一局で頓死してしまったのが今回のハイライト。平手での対局を申し込まれたときは「へー、だいじょうぶなのかな」と思ったが、李君は闘志満々の顔つきで駒を並べている。相振飛車の戦型となり、李君は経験は少ないと思うのだが、金無双に構えて堂々の駒組。ただし、細かいところを言えば、李君の交換した歩の数が少なくちょっと彼の作戦負け。中盤の入り口で、李君は、いきなり端攻めを仕掛けてきたが、これは無理ですぐに私にとがめられて、銀角交換の駒損になり、さらに角を打ち込まれて李君は一気に不利に陥った。私は、最短距離の寄せに入り、この将棋はもう終わったと思い、むしろ別の飛車落ちの対局に集中していた。この対局は、原田九段が「才能がある」と評した少年（名前は忘れてしまった）との一局で、序盤いきなり私の単純な錯覚で上手の銀損。三面指しの中で単純ミスが出てしまった。それから気合いを入れ直して指したが、少年は鋭い指し手も交えて、飛車を成り込み、上手は苦戦。少年にはお母さんがついていて心配そうな顔つきで棋譜を取っている。さて、李鵬宇君との対局は、必死がかかってどうにもならなくなったところで、比較的早指しだった李君は長考に入ってしまった。私は、三面面指しのうち、正面の飛車落ちに専心していたところ、１０分近くたったところで８三歩成（部分図参照）。<br />
<img alt="akira_10.JPG" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/akira_10.JPG" width="203" height="201" border="0" /><br />
私は何も考えずにすぐに同歩と指し、指したその瞬間に気がついた。李君も全くあきらめていたと思うが、とたんに顔が明るくなった。李君の手が踊ってご覧の通り三手（８二角、７二玉、７一金）で頓死。むろん、８三同歩のところで同玉あるいは７四玉で何ら問題なかった。<br />
　局後少し感想戦をしたが、李君は大喜びで引き上げていった。後で、みんなが将棋を指している教室をのぞいたら、李君はにこにこしながら解説用の大盤に直前の一局を並べて一手一手棋譜をつけていた。三面指しとは言え舞えたのは悔しかったのだが、李君の喜びようを見ていると負けて良かったのかなと思えてきた。  一方、飛車落の方は、上手の怪しげな粘りにごまかされてついに逆転。少年もお母さんも負けてしょんぼりしていたので、感想戦ではいい手をほめてあげた。全部で１０局近く指したが、もう１局二枚落ちで負かされ、ＩＳＰＳの訪中でみんな強くなっているのではないかと思わず考えた。<br />
　午前の対局が終わって、李先生と北京名物羊肉のしゃぶしゃぶの火鍋を食べに行く。羊肉も牛肉もとても薄く切ってあっていくらでも食べられる。そこで、こんな話しをした。<br />
「私の母校の創立者の一人は嘉納治五郎というのですが、彼は日本古来の柔術を柔道という武道として確立し、それを世界に普及するために生涯を尽くしました。今では、柔道はオリンピック競技にもなっていますが、日本は金メダルを取るのもなかなか難しくなっています。日本の将棋が本当に世界に広まれば、その時には外国人の名人、チャンピオンが出るかもしれない。それを残念がる日本人もきっといるだろうけど、文化が世界に普及するということはまさにそういうことであり、嘉納治五郎も今日の柔道の様子を墓の下で満足に見ていると思う。将棋も柔道のように世界に広まることを我々は夢見ています。将来、中国から日本の将棋のプロ棋士が生まれる日がいつか来るでしょうが、その時には李先生は中国の先駆者として歴史に名が残るでしょう。」<br />
　李先生はにこにこしながら聞いていた。<br />
　中国からはその後、上海の許先生も小学生名人戦に出る中国の子供を連れて訪日したし、中学生名人戦への招待も実現するらしいので楽しみだ。<br />
今回は、北京の大使館でも上海の総領事館でも、中国における将棋の普及を大いに応援してもらえるように、仕事の合間に陳情してきた。<br />
　私の方は、異動のため当分中国に行く機会はなさそうであるが、今度は世界の別の地域での普及にまた何かをしたいと考えている。</p></div>
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