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    <title>かけはしアーカイブズ - 将棋を世界に広める会: 2010年発行</title>
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        <title>人物紹介コーナー（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:55:00+09:00</published>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p> もう、許建東氏といえば、ISPS会員の多くの人たちは、既にご存知かと思います。ですが、この記念号には、どうしても登場していただかなくてはならぬ人でしょう。上海の将棋普及を、ISPSの発足とほぼ同じ時期に初め、現在、上海に60万人の将棋人口を築き上げています。</p><p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_kyokanto1_2.jpg"><img height="450" border="0" width="300" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/20110109_kyokanto1_2.jpg" title="20110109_kyokanto1_2" alt="20110109_kyokanto1_2" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" /></a>
　いつもと変わらぬ、ヴァイタリティあふれる姿と気さくさに自然と頬が緩む。挨拶もそこそこに、インタビューに入る。ただ、話し方に以前のような強さは薄れ、落ち着いた雰囲気が漂う。大きな試練を乗り越え、一段落したことによる自信の表れだろう。<br />　今から15年前、おそらく上海で日本の将棋を知っている中国の人は、極めて0に近い数ではなかったかと思う。それが、現在では60万人と言う数に膨れ上がっている。決して大げさではない。それも許建東氏という一人の人の熱意によるものであるというのは、とても信じられないことだ。<br />　1988年に日本に留学した。この時、将棋の魅力に取り付かれてしまった。帰国後、1995に上海に将棋同好会を設立。主として学校に働きかけていく。「礼に始まり礼に終る」態度に、勝っても負けても相手を尊重する日本の文化を見、相手の陣に入ると「成る」事ができるルールに、「努力すれば必ず報われる」とのメッセージを読んだ。中国の子供たちに、もしこれらの態度を加えることができるならば、中国の発展に寄与できるのではないかとの想いであった。幸い、中国の学校には、校長の権限で全校生徒に与えるべき一部教科を定めることができる制度がある。一校一校、校長に将棋をカリキュラムに入れることを説いて回った。最初の5年間は、実に大変であったらしい。「将棋」とは何かから説明を始めなければならなかった。やがて、その努力が報われ始め、取り入れる学校が少しずつ増え始めた。将棋を学んだ生徒に、落ち着きが生まれ、成績の向上が認められてきたからだ。現在、350校以上の小中高大学校で、全生徒を対象にカリキュラムに取り入れている。一校と言っても、上海の多くの学校は3000人位の生徒を抱えている。これからも、上海の将棋人口は増え続けていくに違いない。<br />「許さんは、日本の将棋のどこに惹かれたのですか」と聞いてみた。<br />「最初は、興味本位でしたが、そのうち、日本文化の真髄に触れた気がしていたのです」<br />「どういう所にですか」<br />「例えば、取った駒を使うルールにです。私には日本の持つ協調性、仲間意識の象徴ように」<br />　独特な感性と、本質を見抜く力の一端に触れた思いがした。続いて言う。<br />「好きな駒は、歩兵ですね。地味だが、『一歩千金』ということわざがあるように、使い方が技量を分ける。相手陣に飛び込めば、『と金』と言われる最も強い駒になる。日本文化の象徴でもあり、私の生き方の指針でも有りますね」<br />確実なビジョンの下に、一歩一歩、進めてきた許建東氏の努力は、大きな飛躍の時期に来ていると思える。上海市将棋協会が発足するのも間じかとのことであるし、その後、中国将棋プロ棋戦制度も発足させる企画が着々と進められているとのこと。日本の将棋がしっかりと上海に根付いたことを示すモニュメントとなろう。更なる発展を期待したい。</p>

<p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_kyokanto2.jpg"><img height="169" border="0" width="300" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/20110109_kyokanto2.jpg" title="20110109_kyokanto2" alt="20110109_kyokanto2" /></a>


</p></div>
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        <title>ベルギー王国大使館公使のメッセージ（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:54:00+09:00</published>
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        <summary>　『将棋を世界に広める会』ISPSの15周年に当たり、将棋に対する印象を皆様にお...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p> 　『将棋を世界に広める会』ISPSの15周年に当たり、将棋に対する印象を皆様にお伝えする機会を得ましたことを大変光栄に存じます。現在、東京在住のべ
ルギー人外交官ですが、2008年、日本に着任後ほどなくして将棋という魅力的なゲームに接し、たちまち魅了され今日に到っております。この度、ISPS
の組織活動の中心である将棋の普及促進についての視点を述べるようお話をいただきましたので、非正統的もしくは物議を醸しかねないと思いつつも、私見を述
べさせて頂きます。（<strong>ベルギー王国日本大使館公使　フレデリク・ヴェルハイデン</strong>）</p><p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_frederic_2.jpg"><img height="291" border="0" width="300" alt="20110109_frederic_2" title="20110109_frederic_2" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/20110109_frederic_2.jpg" style="float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;" /></a>
　日本語の良くわからない外国人にとって、将棋の世界が全く閉ざされているものだとは、日本の人々には中々わからないかもしれません。日本においてはとてもポピュラーな将棋ですが、外国人には見つけにくいものなのです。外国のメディアが関心を寄せることはほとんどありません。奇妙な無意味なものとして遠ざけられ、将棋を指している姿を外国人が見ることはほとんどありません。たとえ、誰かが将棋を指している場面に出会ったとしても、何か神秘性をかもし出す無彩色の駒が、動き回り、飛び跳ね、相手の駒を取り、取られた駒が再び盤に戻っていく様子は、通りがかりの者には、ただ不可思議なものとしてしか感じとれないのです。ですから、将棋は古代からの日本伝統文化の一部であるにもかかわらず、残念ながら、日本在住の外国人にはほとんど知られていないのはそう驚くことではありません。彼らが、なぜお茶、生け花、相撲、流鏑馬、舞踊や能・歌舞伎といった踊りや演劇、音楽などを良く知っているのか、という疑問は残りますが。</p>

<p>私の場合は、正に偶然、しかも一連の幸運によって将棋に出会いました。日本に着いた日のことです。時差ぼけで眠れぬままに、ケーブルテレビの将棋チャンネルを適当に変えつつ将棋を見て過ごしたのが最初の出会いです。後日、東京でチェスのできる場所を散々探しまわったのですが中々見つからず、やっと見つけたのが飯田橋にある日仏学院の『チェス＆将棋クラブ』でした。偶然にも、そこでISPSの寺尾氏、ピノー氏にお会いしたのです。<br />しかし、将棋の海外普及を偶然に頼ろうとするのは無理な話です。戦略としては、より効果的と思われる要素を拾い上げることではないでしょうか。</p>

<p><strong>《標的とすべき対象》</strong><br />　普及活動には、支持基盤とエリート、この二つを生み出すことが求められます。それぞれの標的に、異なる戦略を定めるべきだと思います。一方は、例えば漫画やアニメなどの一般的な文化や日本の伝統文化を通して、既に日本文化に魅力を感じている人々に対してであり、もう一方は、チェスに似たゲームに精通した人びとです。精通した人びとは複雑な将棋を十二分に理解し、選手レベルに達することもできましょう。ある話を聞きました。数年前、ヨーロッパのポーカーの団体が、チェスプレーヤーにポーカーの普及を図ったそうです。相当な熱意を持って行ったようですが、結果として、幾人かのチェスプレーヤーは、今や自分の専門はポーカーだと言う様になるまでの成功を収めたそうです。しかしながら、もしこの方法を生かすのであれば、常に双方向の道を用意すべきだと思います。一方的にチェスプレーヤーに対して将棋の普及活動をするだけではなく、たとえば、将棋の棋士が、チェスの大会に出場すると言うのはいかがでしょうか。チェス界にとって非常に素晴らしいニュースになるとともに、日本国外への将棋普及に役立つことは間違いありません。無論、こうした交流の動きが適切に準備されたという前提の下ですが。</p>

<p><strong>《各国のパートナーと連携》</strong><br />　我国ベルギーのみを見ても、幸運にも二百を超える日本企業の投資先となり、一万人以上の日本人専門家や会社員の家族の暮らす国となっています。表面化しにくい面もありますが、海外駐在官僚や「日本財団」のような団体は言うまでもなく、世界中の日本人学校や企業団体は、将棋普及への素晴らしい機会を与えてくれ、より体系的な展開も可能になるに違いありません。</p>

<p><strong>《力強い新たな手段》</strong><br />　目的とする将棋の海外普及のためには、新たなテクノロジーを取り込むべきであると、強く主張したいと思います。将棋ソフトやことにインターネットは力強い手段です。検索エンジンの画面に「shogi」とタイプするだけで、興味のある誰でもがこのゲームに触れることができます。世界中に広がる若い将棋愛好家が、将棋連盟やISPSについて聞いたことがないとしても、（ユーチューブ上のハンドルネーム）『Hideｔchi』は直ちに認識します。ここには大きなチャンスがあります。</p>

<p>　最後に、将棋がいつの日か全世界的な人気を得ることを祈念しております。将棋にはその価値は十分にあります。或る、とても尊敬を集める師範が、「チェスには人びとを幸せにする力を宿している」と書いています。歴史、伝統、複雑性、生み出される興奮、そして何よりもその素晴らしい美しさを鑑みると、私は将棋にも同様の徳があると確信しています。外国人としての私のメッセージを端的に申せば、『どうか、将棋を独り占めしないで下さい』と言ったところです。最後までお読みいただき有難うございました。<br />（原文は英語。英文は割愛させていただきました。訳　松岡信行。また、ベルギー大使館のご厚意により、館内の撮影を許可していただきました）</p></div>
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    <entry>
        <title>「かけはし」50号記念企画I インタビュー　中原誠十六世名人（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:53:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-09T23:53:01+09:00</updated>
        <summary>　本会の機関紙、『かけはし』の発行も回を重ね、50号という大きな節目に到達いたし...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　本会の機関紙、『かけはし』の発行も回を重ね、50号という大きな節目に到達いたしました。一重に、これまで編集に関わられて来た多くの方々、並びに、関係各位の努力の賜物と深く感謝いたしております。</p>

<p>　今回は、棋界の太陽として若き日に華々しく登場し、まさに一時代を築き上げられた大名人、<br />
中原誠十六世名人にご登場を願いました。ご自宅にお伺いし、インタビューさせて頂いたものです。（<strong>編集部　松岡信行</strong>）</p><p><strong>松岡</strong>　お久しぶりです。神奈川県小中学校将棋連盟を立ち上げる際、お忙しい中、特に時間を割いて頂き、様々なご示唆を頂いたことを昨日のように思い出します。</p>

<p><strong>中原</strong>　もう6年ぐらい前のことですね。</p>

<p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/201101019_nakahara1.jpg"><img height="265" border="0" width="300" alt="201101019_nakahara1" title="201101019_nakahara1" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/201101019_nakahara1.jpg" /></a>


</p>

<p><strong>松岡</strong>　お蔭様で、年々大きくなっています。</p>

<p><strong>中原</strong>　それはよかった。</p>

<p><strong>松岡</strong>　先生のお力添えの賜物と、深く感謝しています。話したいことは山ほど有りますが、時間も限られていますので、早速、インタビューに入らせて頂きます。<br /> 
&nbsp; &nbsp;
　中原先生と言えば、今までの人生の半分、30年に亘りＡ級以上に君臨され、名人15期、タイトル獲得64期、優勝回数28回。永世名人になられたのが
28歳9ヶ月と、最年少記録はいまだに破られていません。棋歴を数え上げていたならば、それだけでこの時間が終わってしまうほどの実績をお持ちです。まず
は、プロ棋士になるまでの事柄をお聞きしたいと思います。<br />&nbsp; &nbsp; 　出身は宮城県塩釜市で宜しいのですか。</p>

<p><strong>中原</strong>　そうです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　確か、鳥取でも名誉市民の称号をお持ちですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　鹿野町の名誉町民です。生まれたのは確かに鳥取なのですが、二ヶ月で塩釜にきましたから、全く覚えていません。</p>

<p><strong>松岡</strong>　戦争が終わってまだ2年しか経たない、昭和22年ですね。どうやって鳥取から宮城まで来たのでしょう。</p>

<p><strong>中原</strong>　私は覚えてはいないのですが、（笑い）親は大変苦労したようです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　高柳敏夫先生の下に来られて、昭和33年に奨励会に入会されました。</p>

<p><strong>中原</strong>　10歳の時。小学校５年生でした。</p>

<p><strong>松岡</strong>　5年生というのは、早いですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　そうですが、当時は試験も有りませんでしたし、奨励会の人数もいませんでしたから、是非に、という感じでした。一応、6級で入りました。</p>

<p><strong>松岡</strong>　確か、内弟子として修行をされたのですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　ええ、10年程。</p>

<p><strong>松岡</strong>　本当の意味での内弟子生活をされたのは、先生が最後ではないのでしょうか。</p>

<p><strong>中原</strong>　最後では有りません。後に何人もの人が内弟子の経験をしています。ですが、皆、短いですからね。長い内弟子生活となると、最後になるかもしれません。</p>

<p><strong>松岡</strong>　先生は皆の反対を押し切って、高校に進学された、と聞いているのですが、高校生活はいかがでしたか。</p>

<p><strong>中原</strong>　反対を押し切ってと言うわけではないのです。学校を休んでばかりいましたから成績も悪く、高校に行くことはあまり考えてはいな
かったのですが、三段になったのが、中学3年の5月だったのですよ。4月でしたらすぐにリーグ戦に入れたのですが、5月から10月まで時間が空き、丁度、
受験ができる態勢になったのですね。</p>

<p><strong>松岡</strong>　高校に行ってよかったと思われますか。</p>

<p><strong>中原</strong>　大人になって見ると、高校に行ってよかったと思います。人生は長いですから。</p>

<p><strong>松岡</strong>　四段になられたのが、昭和40年。高校3年生のときですが、三段から四段になるのに、6期3年かかっていますね。</p>

<p><strong>中原</strong>　丁度、力を蓄える時期だったのだと思います。四段になってからは、順調でしたから。</p>

<p><strong>松岡</strong>　4年連続で昇級・昇段。最速でＡ級八段になり、その間、昭和43年に棋聖位に就いていますね。また、昭和４２年には、47勝8敗・勝率8割5分5厘の最高勝率をマークしています。</p>

<p><strong>中原</strong>　確か羽生さんも同じ勝率を上げていますが、嬉しい記録の一つです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　昭和47年、第31期名人戦に大山康晴名人をフルセットの末に破り名人となり、やがて、永世称号だけでも、十六世名人・永世十段・永世棋聖・永世王位・名誉王座という五つの称号を得るという偉業を成し遂げられることになります。<br />　　　棋歴を振り返られて、「まだ足りない」と思われますか、「十分満足」と思われますか、それとも「出来すぎ」と思われますか。</p>

<p><strong>中原</strong>　（少し間を置いて）まあ、「十分満足」というところですかね。まだ、足りないという気分もありますが。</p>

<p><strong>松岡</strong>　引退会見では、「羽生先生と一度もタイトル戦ができなかったことが、残念」といわれましたが、棋士生活を振り返って、一番嬉しかったことと、最も思い出に残る棋戦は何でしょういか。</p>

<p><strong>中原</strong>　一番嬉しかったことは、やはり、最初に名人位をとった時と、一度失った名人にカムバックした最初の時ですね。カムバックは、木村名人や大山名人も成し遂げられていますし。是非に、という気持ちは強かったです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　再起を期し、気力を振り絞って達成したということですから、喜びは一入だったことでしょうね。</p>

<p><strong>中原</strong>　（ゆっくり頷き、続けて）一番思い出に残る対局は、54年、米長先生との王位戦第７局ですね。将棋は、午前中から形勢がよく、
どうやっても勝ちという状態がずっと続いていたのです。「勝ち」というのは、終局からたどれば一本の道しかないのです。どうやっても勝ちと思える状態は、
楽観も生みますし危険な状態なのですね。難しくても一つしか良い手がないような状態というのは、あまり間違えないのですが、どれを選んでも勝ちというの
は、とても曖昧ですし難しいのです。最終的には、落としてしまいました。「勝つ道は一つ」そんな気持ちでやっていくのがいいのです。<br />　　　これは
悔しい方の思い出ですが、嬉しい方では、何と言っても大山名人から初めて名人位を取った将棋です。悪い将棋を勝ちましたから。大山先生が49歳で私が24
歳でした。なぜか、先生は焦っていましたね。あの時、どうして先生が焦ったのか同じ歳になって分かりました。勝ちを決めて夕食にしたかったのではないかと
思うのです。体力とか気力とかに関係しています。私も、50歳過ぎる頃は、夜の11時ぐらいになると、順位戦でもよく間違えるようになりました。あの時の
大山先生は、きっと夜戦には持ち込みたくなかったのです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　ところで、先生に取りまして、将棋の魅力とは、一体どこにあるのでしょうか。</p>

<p><strong>中原</strong>　なんといっても、難しさ、窮めつくせないところですね。</p>

<p><strong>松岡</strong>　窮めつくそうとして取り組むと、相手は更に深みを用意している。そのあたりのことでしょうか。<br />　　　中原先生と言えば、桂馬を使う名人だとよく言われますが、大山先生の安定感と、「新手一生」を標榜した升田先生を合わせもった方のように思えるのです。</p>

<p><strong>中原</strong>　修行時代に、大山先生、升田先生の影響を受けていますから。自然とね。</p>

<p><strong>松岡</strong>　大山先生や羽生先生は、「新たな手」を模索するというより、今まで築かれてきた内容を更に深化させる方向が強いように思えま
す。極めて安定感のある印象を受けます。中原先生は、お二人の安定感や実戦的な要素に加えて、升田先生の「夢」の要素も同時に持っているような気がしま
す。有名なものでは、「中原飛車」や、今も盛んに使われています「中原囲い」などがあり、1996年には、『升田幸三賞』も受賞されていますね。</p>

<p><strong>中原</strong>　確かに、新しい将棋などを考えているときは新しいアイデアなども湧いてきますから、楽しいですね。ただ、私の場合は家で研究して、と言うことではなく、実戦の場で探ることが多いですから。</p>

<p><strong>松岡</strong>　勝負の最中に新手を考えるということですか？</p>

<p><strong>中原</strong>　相手が長考している時など、こちらは少し自由じゃないですか。その場では役に立たないことも考えるわけですよ。</p>

<p><strong>松岡</strong>　勝負の最中に、そんな余裕があるのですか。素晴らしいですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　やはり対局中が一番集中しているのです。家で研究しても、どうしても真剣味はないですからね。調整程度です。</p>

<p><strong>松岡</strong>　対局中に新手を考案されているとは驚きました。「中原玉」のような、非常に深い構想も対局中に出来上がったということですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　そうです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　これを聞けただけでも、対談を企画させて頂いた甲斐がありました。</p>

<p><strong>中原</strong>　人によるわけで、決して研究を否定しているわけではありません。</p>

<p><strong>松岡</strong>　半世紀に及ぶ、将棋人生を振り返られて、得られた「人生訓」を一つあげるとするとどんな言葉が浮かんできますか。</p>

<p><strong>中原</strong>　全般を通して一番感じたのは、『万事、塞翁が馬』ということでしょうか。将棋の局面においても、将棋のタイトルを争う意味でも、人生の流れの中でも言えることではないでしょうか。</p>

<p><strong>松岡</strong>　例えば、一つのタイトルを失ったときでも、次のステップのための礎だと言うようなことでしょうか。</p>

<p><strong>中原</strong>　そうです。何かを失ったときに、あまりがっかりせずに、次のことに向かっていくということです。必ず、良い事がきますから。<br /> 
&nbsp; &nbsp;
　この前、病気をしまして、ベッドの上で、ふと考えてみたのですが、どうも私の人生には、20年ごとに大きな区切りがくるようだと思いました。20歳まで
は修行時代で、20歳の時に初タイトルを獲得しました。20歳から40歳までが、タイトル戦を闘った時期ですし、60歳までが、対局以外の仕事をした時期
ですね。そして、60歳での病です。</p>

<p><strong>松岡</strong>　現役の頃と今とでは、将棋界の見方に違いがあると思うのですが、現在の将棋界に対する心配事や提言はありますか。</p>

<p><strong>中原</strong>　離れた状態ですので、あまり余計な事を言ってもいけないし、自分ができるわけではないから、いわゆる隠居生活というところです。</p>

<p><strong>松岡</strong>　まだ、隠居と言うには、早すぎるのではないでしょうか。多くの方々が、先生の言葉を待っていると思います。</p>

<p><strong>中原</strong>　私の師匠も42歳ぐらいで引退しましたから、隠居は、別にいやなわけではないのです。高校生の時に、友達に「早く隠居したい」と話していたそうです。（笑い）まあ、小文などを書くなど、少しずつ仕事をしていこうと思っています。</p>

<p><strong>松岡</strong>　現在、将棋は中国を筆頭に世界各国に普及してきています。世界に普及することと、日本の将棋の有り方などどのように思われますか。</p>

<p><strong>中原</strong>　中国の普及は素晴らしいですね。まだ、さほど普及していなかった頃、上海に何度か行きました。１年ほど前ですが、許建東さんは
家に来たのですよ。世界大会を二度ほど開いたのですね。数年前は、とてもそのようなことができるとは思えませんでしたから、たいしたものだと思っていま
す。</p>

<p><strong>松岡</strong>　先生も、日本将棋連盟主催の国際フォーラムを開かれました。</p>

<p><strong>中原</strong>　第2回・3回と、二度担当しました。第1回国際フォーラム開催には、大内九段が非常に頑張られ、それを引き継いだ形です。現在
も発展して続いているのは、素晴らしいと思います。ただ、このような形の国際大会は資金が重要で、現在は、なかなか資金を集めるのが難しい状態になってい
るのが気になりますね。</p>

<p><strong>松岡</strong>　世界に広がっていけば、また新たな問題も生まれてくるわけですね。</p>

<p><strong>中原</strong>　そうですね。日本の将棋界もプロの位置付けをきちんとするなど、スタンスを明確に固める必要があります。</p>

<p><strong>松岡</strong>　最後になりましたが、今後の目標とするところはどんなことでしょうか。</p>

<p><strong>中原</strong>　もう少し、体が動けるようにしていくことでしょうか。幸い右手が動きますので、字を書くことはできますし、しゃべることは問題がありません。早く回復することかと思っています。</p>

<p><strong>松岡</strong>　どうも有難うございました。お体の一刻も早い回復と、将棋界発展に向けて、更なる力添えをお願い致します。</p>

<p>　「取材は無理か」、と思いつつ、恐る恐るアポイントを取ったのです。許諾の返事を受け取った時には、嬉しさというより何か信じられない思いに包まれました。療養中であるにもかかわらず、自宅での取材を許して頂きました。</p>　<p>川崎北部の閑静な住宅街。先生にふさわしく堂々とした佇まいを見せる邸宅の門をくぐりました。案内された部屋に、やがて中原先生が。思ったより、元気な姿にすっかり安心して、インタビューに入りました。</p>　<p>最初、少し堅かった表情も、インタビューが進むにつれて和らぎ、和気藹々の中に終えることができたのは望外のことでした。<br />棋
歴を改めて調べてみると、中原先生の偉大さが実感されます。正に大名人の名にふさわしい。お会いしてみると、左半身が不自由でしたが、以前の威厳は衰える
ことなく、圧倒されそうになる自身をどうにか保ちつつ取材が続きました。確か、故原田泰夫先生の命名だと思いますが、『自然流』と言われる将棋と同じよう
に、語られる言葉も口調も、いかにも自然な雰囲気を感じます。<br />「大人になって見ると、高校に行ってよかったと思います。人生は長いですから」<br />いかにも普通に語られます。棋歴を辿ると、その3年間は、三段から四段に中々上がれず、もがき苦しんだ3年間でもあったわけです。必死に動かす足を他に全く気取らせず、平然と、滑るように水面を進む白鳥の姿と、中原自然流は重なります。</p>　<p>取材中、白鳥の水面下の動きを垣間見た場面が一つ有りました。「思い出の一局を」との問いかけに、最初にあげたのが、負けた将棋でした。喜びより悔しさが先に現れました。『悔しさ』。強烈な負けず嫌いが、穏やかな自然な笑顔を支えているのでしょう。<br />現在は療養中です。「楽隠居」の言葉も出ました。ゆっくりと噛み締めるように、<br />「何かを失ったときに、あまりがっかりせずに、次のことに向かっていく、ということです」<br />と、
言う先生の言葉は、自身に対しても発せられた言葉であったと思います。「現在の将棋界と未来」に話しが及んだ時に、「あまり余計な事を言ってもいけない
し、自分ができるわけではないから」と言い、「隠居ですから」と付け加えられましたが、伏目がちであった顔が元に戻った時に見せた強い目の力は、特に印象
的でした。<br />人生『万事、塞翁が馬』と、語り、現在の状況を糧とする強靭な精神力は、依然として健在であることを確認する取材となりました。<br />『棋界の重鎮』。現在、雌伏中です。<br />（写真撮影：松岡 眞美子氏）</p></div>
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        <title>お祝いの言葉（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:52:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-09T23:52:01+09:00</updated>
        <summary>　2010年は『将棋を世界に広める会』ISPSが成立15周年を迎えます。北京将棋...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　2010年は『将棋を世界に広める会』ISPSが成立15周年を迎えます。北京将棋研修センターはISPSに熱烈な祝福をおくり、またISPSの事業が今後も末永く発展する事を祈念します！</p>

<p>
　1995年成立以来、ISPSは日本将棋の中国北京での普及活動に多大な尽力をしてくださいました。北京での将棋普及に関し多方面でのご指導、日中将棋
の北京地区での教学と普及に大変重要な基礎作りをして頂き、真田さん、袴田さん、森本さん、鈴木さん、池谷さん、寺尾さん、勝俣さん等の方々が北京での将
棋発展に大きな貢献をしてくださっています。1997年、1999年、2002年には私達を日本に招待して学習、私達の発展推進に歴史的役割をもたらし、
私達協会が順調に発展、今日に至りました。皆さんのご指導と協力に心から感謝申し上げます！（<strong>北京将棋研修センター　李民生</strong>）</p><p>　ISPSのサポートと私達の努力で、日本将棋の教学は大いに発展し、近年北京地区では多くの小中高、大学で学生やその学校の指導関係者達から好評を得ています。永年、私達が多数の棋力に優れ且つ総合能力を備えた青少年の棋手を育成した結果、広範な中学生や大学生達が日本将棋に関心を持つに到りました。また、社会の多くの大衆にも認知されるようになり、多くの棋界の方々も目を掛けてくださっています。その結果、一定の実力を備えた将棋環境と普及を推進する学徒の成長、発展を既に作り上げることができました。</p>

<p>　過去十余年、ISPSの招請を受け日本将棋連盟との間にも強固な関係ができ上がっています。相互に切磋琢磨、交流経験、友好を増進し、将棋の縁結びで双方の意思の疎通が進み、日本将棋の世界普及に関し、我々北京地区では多大な働きがあり、1997年からISPSは連続13回、北京での日中小学生将棋交流大会の活動を後援、サポートしてくださっています。1998年には原田泰夫九段自ら日本の棋士を引率して訪中、北京の将棋学生達に指導をしてくださいました。このように、永年ISPSは両国学生の為、北京で将棋の発展に影響力のある働きをし、良い推進力になってくださっています。お蔭で、北京での小学生将棋大会は学生や父兄達の心に浸透し、多くの中国人、日本人に日本文化の魅力を伝えることができています。</p>

<p>　過去十余年を振り返って、私達はISPSの長期の協力が無ければ日本将棋の北京地区での普及成就も困難だったと深く感じています。此処に心から感謝の意を表します！<br />　未来を展望し、今後とも協力して日中将棋活動に力を尽くし、日中両国の文化交流の為お互い頑張りましょう！</p>

<p>　重ねてISPSの成立15周年をお祝い申し上げます！<br />（原文は中国語。中国文は割愛させていただきました。訳　袴田 勇）</p></div>
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        <title>祝辞にかえて（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:51:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-09T23:51:00+09:00</updated>
        <summary>　将棋を世界に広める会が今年で15年になるという。長い間、普及活動ご苦労さまでし...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　将棋を世界に広める会が今年で15年になるという。長い間、普及活動ご苦労さまでした。と言うよりも有難うございました。</p>

<p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_yonenaga1.jpg"></a><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_yonenaga1_2.jpg"><img height="448" border="0" width="300" alt="20110109_yonenaga1_2" title="20110109_yonenaga1_2" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/20110109_yonenaga1_2.jpg" /></a>


<br />


</p>

<p>　眞田尚裕さんにお会いしたのが12年前。NPO法人を立ち上げたいと相談されたのが初めです。やはり組織として動き、それを法人化し、認定してもらう手順
はいろいろ苦労が多いとお聞きしました。それを乗り越え、多くの同志と海外に出掛けて行っての活動は、民間ならではの自由さがあって羨ましい限りでした。（<strong>日本将棋連盟会長　米長邦雄</strong>）</p><p>　日本将棋連盟としましては、あまり口出しすると言うか、干渉するようなことは一切しないようにしております。やはり、アマチュアの方々が何の制約もなく、のびのびと動かれる姿は楽しそうであり、頼もしいものです。</p>

<p>将棋は日本独自の伝統文化です。同じ将棋の仲間は、現在では40種類あるらしい。そんな事情があるので、日本の将棋だけを世界に普及するというのは極めて難しい条件下にあるのです。そこが囲碁との決定的な差と言えるかもしれません。</p>

<p>将棋を世界に広める会は、世界各地に出掛けて行っては将棋を指し、パーティーをひらき、その足跡は海外普及の礎として、今後の普及に大いに影響を与えることと思います。世界に出て行くだけではなく、外国人を日本へ招待されているのも活動の一環にある。外国人を日本に招待した時などは、将棋を指すと言うことのみは大丈夫だろうが、宗教、民族、言語などいろいろ大変ではないかと想像しております。私としては、余り深くお付き合いはせず、しかし協力すべきことは出来るだけ惜しまないという姿勢で臨んできました。えてして普及部が前面に出てしまいますとNPO法人にとっては却って迷惑ということが多かろうと思ったからです。<br />今回節目を迎え、会員の皆様がますます充実した活動をされている様子を目の当たりにするにつけ、私も会長を退いた後には個人として入会したいなと思う次第です。これからも更なるご発展をお祈りしております。</p></div>
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        <title>機関誌「かけはし」発行50号、並びに発足15周年を迎えるにあたって（50号、2010年10月9日発行）</title>
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        <published>2011-01-09T23:50:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-09T23:50:00+09:00</updated>
        <summary>　私どもの｢将棋を世界に広める会｣が活動を開始してから15年，NPO法人になって...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　私どもの｢将棋を世界に広める会｣が活動を開始してから15年，NPO法人になってから10年経ちました。</p>

<p>15年前に、将棋を世界に広めようなどということは夢のような話でした。将棋は日本だけのもので、外国では、見たこともないし，従ってどんなものか知らない人がほとんどでした。<br />
盤駒が手に入らない、現地の言葉で書いた将棋の本がない、指導する人がいない、というのが普及の三つの大きなネックでした。英語で書いた将棋の本が、丸善へ行っても3冊しかなかったのです。</p>

<p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/09/20110109_sanada1.jpg"><img height="225" border="0" width="300" alt="20110109_sanada1" title="20110109_sanada1" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/09/20110109_sanada1.jpg" /></a>


</p>

<p>又、将棋好きの人が世界のどこにいるのかもはっきりはわかりませんし、どれだけの国に広めればよいかも、判りませんでした。</p>

<p>　世界にはチェスを始めとして中国象棋、その他将棋と類似のゲームが既にあります。それらに比べて、将棋がはるかに面白いか、少なくとも同じぐらいに面白い、と認められなければ、一生懸命に広めようとしても、出来るとは思われません。</p>

<p>こんな状況の時にわれわれの会は発足しました。（<strong>ISPS理事長　眞田尚裕</strong>）</p><p>　それから15年、北京、上海、ロシア、スウェーデン、韓国、ウクライナ，フランス、モンゴルその他の国に将棋指導に行きました。北京、上海、韓国、ウクライナなどから、われわれの招いただけでも、何人かの人々が将棋のためにやって来ました。少しずつではありますが、外国で将棋が指されるようになってきたのです。</p>

<p>個人的には将棋の普及に海外へ行かれる人も居ました。特に将棋の総本山である将棋連盟は、断続的に棋士を外国に派遣し続けていますし｢国際将棋大会｣は将棋の国際普及に大きなインパクトを与えました。</p>

<p>そしてここ数年のインターネットの飛躍的発達が将棋の海外普及の方向を大きく変えました。今までは人が行って教える、又は人が来て教わるという以外、方法はほとんどありませんでした。ところがインターネットを通じて将棋を指すことが出来るようになったのです。極端な話，お互いの顔を見なくても将棋をさせる世の中になりました。ロシアでは1年に4,000局もインターネット将棋を指した青年が居ると聞きました。</p>

<p>従って世界の将棋人口は大幅に増加し質的にも変化しつつあります。今まで全く将棋のなかった国で将棋が指されるようになりました。また上海のように地道に普及を図っていたところでは、将棋人口は東京を超えるだろうと言われています。</p>

<p>地球上のどの国にでも将棋を指す人が居るようになるというのは、われわれの会の大きな目標です。とても考えられないようなことが、出来そうになってきました。ただその｢深さ｣イコール｢強さ｣と言う点では、今のところまだ日本が一番です。相撲界や囲碁の世界でも、日本は一番強いとは言えません。将棋でも世界中の中から日本より優れた人が出てくるかもしれません。がそれはまだ10年ぐらいかかるような気がします。</p>

<p>　将棋の指導には大きく分けて2段階あると思います。将棋を憶えて少しできるようになって面白さを感じるようになるまで、とそれ以上になって将棋の奥深さが解るまで、との二つです。我々の会は前者を主に相手にしています。しかし今の調子で急速な「幅の広がり」が続くとすると、どうしても、会の人数をもう少し増やさなければならないかもしれません。それもコンピューターのよく解る人、語学の堪能な人などです。勿論今までのメンバーにもそういう人は沢山いますが、持った力を十分に出してはいません。現役で忙しいからでしょうし、ボランティアの会の限界かもしれません。我々の会は300人足らずの小さな会です。スポンサーを付けて必要なことには大きな金をだすようなことかできれは良いのですが。</p>

<p>将棋普及の三つのネックのうち、現地語で書いた初級の本は、すでに英語、中国語、フランス語、ロシア語、モンゴル語などで、出来ています。まだまだ充分ではありませんが、徐々にパンフレットを抱えて行かなくてもよくなりそうです。</p>

<p>　今一番必要なのは駒と盤です。将棋に興味を持っても、外国では駒を簡単には買えません。今は普及用、又は百円均一の駒をまとめて私どもの会で供給しています。自分で作っているところもあります。これは安い駒を多量に生産して供給できるところがあれば、やがては解決するでしょうが、今のところ需要のほうが先行してしまっています。</p>

<p>　三番目の指導者の問題は、じっとしていてもインターネットが解決してくれるかもしれません。外国へ長期に住み着いて教えようと言う人が増えれば普及の速度はもっと加速します。</p>

<p>　いずれにしても世界中の国が相手となれば2つや3つの国が相手のときとは違います。<br />夢は大きく、やることは確実に一歩ずつ、と言うのが当初からの会のモットーです。今、将棋の国際普及のスピードが我々の力に追いつき追い越そうとしています。この時に当たって何をどうすればよいか、15周年を機にもう一度じっくりと考えてみようと思っています。</p></div>
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        <title>人物紹介コーナー（49号、2010年2月20日発行）</title>
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        <published>2011-01-08T15:40:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-08T15:40:00+09:00</updated>
        <summary>　今回は、Pineau Jacques-Marie （ピノー ジャック・マリー）...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　今回は、Pineau Jacques-Marie （ピノー 
ジャック・マリー）氏を紹介します。と言いましてもピノー氏を知らないISPSの会員は、あまりいないのではないかと思います。本会発足以来、理事を務め
られ、海外普及に大きく貢献されてきました。いつも近くにおられますが、実は、じっくりとピノー氏の想いを聞く機会はありませんでした。インタビューをし
てみると、驚くことばかり。つくづくお聞きして良かったと思っています。（<strong>松岡信行</strong>）</p>

<p><img src="file:///C:/Users/yosaburo/AppData/Local/Temp/moz-screenshot.png" /><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/08/pineau_1.jpg"><img height="225" border="0" width="300" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/08/pineau_1.jpg" title="Pineau_1" alt="Pineau_1" /></a>


</p><p>ピノー氏と言えば、チェスの大家として誰でも知っていることでしょう。日本チャンピオンに輝くこと２回。羽生名人、森内元名人のチェスの先生。将棋も中々の指し手。このようなことは、以前から知ってはいたのですが、ある時、目隠し将棋ならぬ、目隠しチェスを６人相手にしているところに遭遇。しかも、次々と打ち負かしている。以前に、12人相手に指したことがあると聞いたときの驚きは、今も鮮明に蘇ります。今回は、池袋の椿屋珈琲店の一角を会場としました。</p>

<p>コーヒーの薫りの向こうに、いつもながらの優しいまなざしに迎えられ、席に着き、あいさつもそこそこに、早速、インタビューに入りました。</p>

<p>フランス、ツーレヌ出身、48歳。ツーレヌは大河、ロワール川のほとりの都市で、温暖な気候は歴代のフランス王にも愛され、ルネサンスの頃には、王自らが住んだそうです。歴史的建造物も多く、恵まれた環境だったと、透明な光の下で客観的な精神が培われたと、懐かしそうに語ります。</p>

<p>「24歳のころ日本に来ましたから、フランスと日本。丁度、同じ年月、住んだことになります」<br />「日本に来た切っ掛けは、どういうことだったのですか？」<br />「小学校の頃です。フランス人の父とベトナム人の母を持つ友達がいまして、家族ぐるみで、とても暖かく迎えられたのです。絶えず黒白を付けたがる北ヨーロッパの文化との違いを感じ、いつかアジアに、と思っていたのです。学生の時、妻に会い、日本に来ることを決めました」<br />何時、チェスの力を身につけたのかを尋ねた時です。<br />「中学生のときでした。国語の先生が、私の応答はどこかおかしいと、母に告げたのです」<br />全く違う話しが始まったのには驚きました。<br />「実は、先生の言っている事がよく分からなかったのです。原因を調べると、耳がよく聞こえていなかったことが分かりました。慢性の中耳炎だったのですね。２年ほど、夏休みを利用して、ピレーネ山脈にある療養所で集中的に治療を受けました。その時、一人の先生が私にチェスを教えてくれたのです。耳が駄目な分、目に頼ったのでしょうか、すっかりチェスに取り付かれました」<br />「直ぐに強くなったのですか」<br />「治療を受けている時、すでに教えてくれた先生とほぼ対等というか、弱点を見つけ、少し優位になっていたと思います。地元に戻ると、チェスクラブを見つけ入会しました。地方では一番強いクラブでしたが、一年もしないうちに、代表チームのメンバーとなり、翌年、地元のチャンピオンにチャレンジ。フランスのトップのジュニアになりました。ですが、高校、大学は、勉強が忙しく、数多くの大会に参加することはできませんでした」</p>

<p>　続いて、日本に来てからの、チェスとの関わりを尋ねました。<br />「ベルフォーレで行われた、世界ジュニアチャンピオンシップで知り合った小林さんに、日本チェス連盟を紹介され、権田さんと何度か対戦しました。初年度で、日本チャンピオンになったのですが、日本に来た大きな目標、『チェスを通じて、沢山の友人を』、との願いは中々進みませんでした。日本語の不足はどうしようもなかったのです。それでも、1988年、テサロニキでのオリンピック、1992年のマニラでのオリンピックで日本チームのメンバーとして貢献できたことは嬉しいことでした。やがて、自分が強くなることより、日本にチェスを普及する方が重要だと思えてきました。そこで、1989年に朝霞チェスクラブを立ち上げたのです。作家の湯川博士さんの協力を得て、随分と大きくすることができましたし、チェスの雑誌を発行できるようにもなりました。最大の目標はどうにか実現できました。今の夢は、国際大会で活躍する多くの日本人選手を誕生させる事です」</p>

<p>　「ところで」、と、前置きをして、「羽生先生、森内先生にチェスを教える切っ掛けは、どのようなことからですか？」と尋ねると、嬉しそうに次のように答えてくれました。<br />「15年ほど前のことです。朝霞のチェスクラブでは、メンバーはいつも30分ほど遅れて来るものですから、のんびりと準備をしていました。その日、ほぼ定刻に背の高い青年が尋ねてきたのです。慌てて用事を済ませ、対局しました。青年は、定跡は知らないものの集中力は素晴らしい。やがてメンバーが集まり始めました。皆の緊張の様子から、今、指している青年は特別な方だと分かりました。森内さんとの最初の出会いです。フランス人の私としては、森内さんは、とても尊敬できる方です。一つは、彼の謙虚な態度です。フランス人は謙虚さを大切にします。友人となった後、ご夫婦で、３度ほどフランスに尋ねてきてくれました。私としてこれほど嬉しいことはありません。</p>

<p>　羽生さんとの出会いは、少し後になります。羽生さんは熱心でよくいらっしゃいました。一ヶ月に何度も指すことがありましたが、しばらくはチェスと将棋の違いが分からなかったようです。でも、分かったとたんに私の域に達していました。1999年、女流ヨーロッパチャンピオンのアルミラ・ロティエさんに圧勝しています。羽生さんも森内さんも、数週間チェスに没頭できれば、強いIM（インターナショナル・マスター）に、数ヶ月行えば強いGM（グラン・マスター）レベルになると思います。ですが、世界チャンピオンは無理でしょう。チェス界はチェス界で、天才がいますし、天才が育つ環境を用意していますから。これはさておき、日本のチェス界にとっても、将棋の国際化にとっても、2人の存在が大きなことは確かです」<br />「チェスプレーヤから見て、将棋にはどんな印象がありますか」<br />「発祥は共通したゲームですが、育った文化的な土壌はかなり違っていますので、それが、二つのゲームに特性を与えています。北ヨーロッパの伝統である透明性を求める精神の影響で、駒にパワーを与え、最終的に綺麗に駒が消えて、局面の基本しか残らない唯一のゲームがチェスですし、日本の将棋は、仏教の影響か、無駄遣いを嫌う国民性か、取った駒が生き返ってくることに特徴があります。私は、島国である日本の感覚を表現したものだと思っています。強い人の棋譜を並べると、将棋は、海辺の、引いては打ち寄せる波のように見えます」</p>

<p>　最後の、『波のよう』との将棋に対する表現に、思わず「では、チェスはどのようなものですか」と聞いていました。『光のよう』だ、との答え。チェスが分からない私は、「もう少し詳しく」と迫ると、「透明で、残るのは線だけのような」感じだという。どうも明確にイメージできないのが残念ですが、一応、「打ち寄せる波と、吹き抜ける風の違い」と私なりに理解しました。<br />　最後に、ISPSのこれまでの活動の内容と、今後の方向性について聞きました。<br />「将棋を楽しむ多くの外国人は、日本の文化に興味があるか、チェスから少し離れて、違う味を楽しみたいと思って将棋に接触します。私の場合は、義理の父がチェス好きの私に将棋を教えてくれたことから始まります。しかしながら、私はあくまでもチェスプレーヤです。ISPSとは、1997年に眞田さんに出会ったことに始まります。1998年にフランスで行った日本年の前の年でした。私はこの大きなイベントのスタッフの一人として、日本将棋連盟やフランスチェス連盟との接触、羽生さんやロティエさんへの協力の要請、フランス大使館との協力関係などを図っていました。日本大使館は、凱旋門近くに大きな建物を手に入れていたのです。会場に一歩足を踏み入れた時の感動は今も忘れません。この時、眞田さんはじめ、鈴木さん、池谷さんたちが、全面的に協力してくれたのです。お蔭様で成功裏に終わることができました。改めて、感謝の意を表したいと思います。</p>

<p>　以後、理事のメンバーとして、1999年・フランス大使館、2002年・NECのチェス＆将棋のイベント、カンヌの国際ゲームフェスティバルなどを通じ、日本の将棋とISPSの紹介に努めて来ました。その後、本間先生のヨーロッパへの将棋の普及活動のため、友人のエリック・シェイモルを紹介し、フランス将棋連盟へのコンタクトを図り、ドイツの総領事、丸尾氏を介してヨーロッパへの将棋の普及を行って来ました。今、将棋はヨーロッパに相当に広がっています。嬉しい限りです」<br />「今後の方向性としては、道具として、インターネットを活用すべきだと思います。外国人に将棋を紹介する。歴史、ゲームの基本や定跡、名人の試合へのコメントなどを、なるべく分かりやすく、それぞれのサイトを活用し、英語・中国語・ロシア語・スペイン語、そしてもちろんフランス語での伝達を行っていくべきだと思います。この際留意すべきは、ゲームのルール以外の難しさを減らすことだと思います。駒や形などで役割さえ分かれば良しとし、先ずは将棋の本質を伝えることに全力を上げるべきです。その後、漢字を学び、棋譜を読めばいいのです」</p>

<p>　一呼吸置いて、再び、ゆっくりと語り出しました。<br />「私は、チェスを通じて、違う文化に育ったもの同士が良い関係を創れるよう努力しています。きっと眞田さんも同じ気持ちでISPSを誕生させたのでしょう。戦争や争いは、相手の文化に対する不安や恐れが引き起こすのです。自分の文化を良く知るものは相手の文化を恐れませんし、相手の文化を知るものは不安に陥ることはありません。将棋を通じて外国人とコミュニケーションを取る、日本の文化を伝える。やがて不安や恐れの壁はどんどん低くなってくると思います」</p>

<p>　静かな語り口の中に、ほとばしる情熱が伝わってきます。<br />「私は、チェスを通じて文化を伝えようとしています。全く同じ基盤に立って将棋を通じて行おうとしている人々がいる。素晴らしいことです。哲学をなくしてはだめです。人間との関係を見失ってはならないのです。将棋は素晴らしい。将棋の本当の素晴らしさは、生まれながらに身近にあった人たちには判らないのかもしれません。世界に広める重要性を改めて確認して欲しいものです」。</p>

<p><a href="http://shogi-isps.org/photos/uncategorized/2011/01/08/pineau_2_2.jpg"><img height="225" border="0" width="300" src="http://shogi-isps.org/kakehashi/images/2011/01/08/pineau_2_2.jpg" title="Pineau_2_2" alt="Pineau_2_2" /></a> </p>

<p>　次第に強まる語気に、胸の奥が次第に熱くなって来るのを抑えることができなくなっていました。</p>

<p>いつも控えめに話すピノーさんの内にある、自己の役割、存在意義に対する確固とした支柱の一端に触れる場となったことの喜びと、皆に、うまく伝えられるかどうかの不安が交錯する心のままに、席を立ちました。</p></div>
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        <title>着実に進むフランスの将棋普及（49号、2010年2月20日発行）</title>
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        <published>2011-01-08T15:35:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-08T15:35:02+09:00</updated>
        <summary>先進国は発展途上国や中進国に比べて将棋を広めていくのがなんとなく難しいと思われて...</summary>
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>先進国は発展途上国や中進国に比べて将棋を広めていくのがなんとなく難しいと思われている節があるようですが、フランスは例外ということになってしまうのでしょうか。他の先進国もフランスと同様に将棋を広めていける余地があるのではないか、という問題意識をもって、フランスでなぜ確実に将棋が広まりつつあ
るのか考察をしてみたいと思います。（<strong>寺尾学</strong>）</p><p>　最初に私の結論から申し上げると、フランスではフランス将棋協会を中心に次の５つの要素がかなりの程度満たされているので確実な将棋の普及が進んできていると考えています。</p><blockquote><p><strong>(１）現地の言語による将棋入門書、将棋書物の出版</strong><br /><strong>(２) 将棋を知らない人に対する将棋の紹介活動が組織的に行われていること</strong><br /><strong>(３) 普及用の盤駒の供給体制を整えていること</strong><br /><strong>(４) 現地の言語によるユーザー参加型のネット上のオープンな将棋コミュニティの存在</strong><br /><strong>(５) トーナメントや将棋会が定期的に各地で行われていること</strong></p></blockquote><p>　それぞれについて、もう少し細かくみてみましょう。</p><blockquote><p><strong>(１) 現地の言語による将棋入門書、将棋書物の出版</strong></p></blockquote><p>　フランス将棋協会は2007年に四間飛車についての本をフランス語で出版していましたが、昨年の11月には愛好家数人が各章を担当して全くの初心者向けの将棋の入門書をゲームの書物を多く刊行している出版社から発行しました。</p>

<p>　英語では、ジョン・フェアベアンさんの著書や訳書、トニー・ホースキングさんの著書や訳書など、それなりの数の棋書が存在しますが、フランスの人にとって、英語は日本語ほど縁遠い言語ではないにせよ所詮は外国語の書物です。やはり、母国語による棋書、とりわけ、全く将棋が初めてという方向けの入門書については母国語のものがあるのとないのとでは大きな違いです。それは、日本でチェスを覚えようと思い立ったとき、日本語の入門書が発行されている場合と、英語でしか入門書が手に入らない場合を想像してみれば、容易に納得できることではないかと思います。</p><blockquote><p><strong>(２) 将棋を知らない人に対する将棋の紹介活動が組織的に行われていること</strong></p></blockquote><p>　先進国で将棋があまり広がっていっていない国にありがちな現象は、複数の将棋クラブが国内にあって、定期的に将棋会やトーナメントがそれぞれで行われているものの、それ以外の活動がなされていないので新しく将棋に触れる人、興味を持つ人がなかなか増えない、という現象です。フランスでは、日本のマンガ・アニメを中心に日本文化に興味がある人が10万人以上集まる7月のパリの「ジャパン・エキスポ」や、南仏のカンヌで毎年冬休みの時期に行われ、国内各地のゲーム好きがやはり10万人以上訪れる「ゲームの祭典」の場で将棋のブースが出され、フランス人の将棋愛好家によって、将棋の展示、入門指導が毎年行われ、新しく将棋に興味を持つ仲間が増えています。2009年は、これら二大将棋紹介イベントに加えて、11月にドイツの国境に近いナンシーのアニメイベントで将棋のブースを出展、12月にはボルドーのボードゲームクラブで将棋の紹介およびカーレースで有名なル・マンで行われたチェストーナメントの場に将棋のスタンドを設けて、これまで将棋を全く知らなかったか、あるいは名前は聞いたことがあってもよく知らなかった人を対象に将棋を紹介する活動を行っています。これらの活動は（１）で述べたようにフランス語の将棋入門書が発行されたので今年からはさらに効果が出るものと期待されますし、また、将棋が紹介される機会自体ももっと増えるのではないかと思われます。</p><blockquote><p><strong>(３) 普及用の盤駒の供給体制を整えていること</strong></p></blockquote><p>　イーベイという誰でも個人で好きなものを国内のみならず海外へも販売できるサイトがあります。そこで、百円ショップで売られている100円の駒が海外向けにいくらで売られているかご存知でしょうか。19.5ドル（約1,800円）です。つまり、フランス以外の国では、折角将棋に興味を持った人が盤駒を買おうと思っても、2,000円近くを出して日本の100円駒しか買えないことを意味します。フランス将棋協会では、ホームページで100円ショップの駒ではなく、日本将棋連盟のロゴ入りのビニール盤とプラスチック駒のセットを15ユーロ（約2000円）で販売しています。同じ2,000円程度でも全然お値打ち感が違います。これは、フランス将棋協会の Osmont 氏から「ネット業者の価格ではなかなか普及しない。普及品の盤駒をなるべく安価に手に入れてフランスの将棋ファンに供給したい」とのたっての願いに答えて、日本で買い付けたビニール盤とプラスチック駒のセットを原価で50セット程度の単位で船便の小包（運賃を押さえるため）で送っていることによって可能になっています。代金の決済は、ネットの個人間の取引の小口決済が簡単にできる PayPal というアプリケーションを使って行っています。<br />初めて覚えた将棋が自分にとって面白いゲームかどうか実際に盤駒を購入して試してみたいという段階の人にとって、そこそこの盤駒が納得できる価格で手に入れられることはかなり大事なことではないかと思っています。その段階の人に、100円の駒が2,000円近くで売られたり高級な盤駒しか用意されていないのでは、なかなか将棋が広がっていくことは難しいと言えるでしょう。</p><blockquote><p><strong>(４) 現地の言語によるユーザー参加型のネット上のオープンな将棋コミュニティの存在</strong></p></blockquote><p>　フランス将棋協会の会長のOsmontさんは、ネット上にフランス語ができる者なら誰でも参加できる将棋フォーラムを2005年の10月から設けていて、1月７日現在で228人の方がフォーラムに参加をしています。交わされる話題も様々で、日本のプロ棋戦の結果の情報、世界のアマチュア将棋大会の告知と結果の共有、フランス国内の将棋イベントの情報交換、将棋のルールや定跡・手筋などについてのQ&amp;A、将棋ソフトの新製品などについての情報交換、新しくフォーラムに参加した人の自己紹介など、活発な情報・意見交換が行われています。フランスは日本の1.7倍の面積をもつ広い国ですが、ネット上のコミュニティは距離を感じることなくやりとりができるのでフォーラムの参加者はたいへん重宝しているようです。</p><blockquote><p><strong>(５) トーナメントや将棋会が定期的に各地で行われていること</strong></p></blockquote><p>　フランスでは、パリで毎週月曜日に将棋会が行われているほか、パリやコルマーで毎年定期的にトーナメントが行われています。また、「ジャパン・エキスポ」や「ゲームの祭典」などの場は、新しい人の勧誘だけでなく、同好の士の交流やトーナメントの場にもなっています。さらに、ネット上の PlayOK というオンライン対局できる場所で、フランス語ユーザーだけによる集まりもあるようです。このような機会が各地で定期的にもたらされることによって、一度将棋ファンになった方が将棋から興味を離れずに定着するよう図られています。</p>

<p>　以上のような5つの活動が並行して行われていることによって、フランスでは将棋が着実に広がりつつあります。その他の先進国でなかなか将棋が広まらないのは、上記の５つの活動のうち一つないし複数の活動が欠けている、ないし、不十分なためとの推定が成り立つと思っています。その部分を改善すればフランス以外の先進国でも将棋が着実に広まっていくことにつながるのではないでしょうか。フランス以外の先進国に対して同様な分析をして何が必要かを現地の普及家に提案していく人が増えていくことが今当会に求められていることではないかと考えています。</p></div>
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        <title>ニューヨーク第３回将棋大会の報告（49号、2010年2月20日発行）</title>
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        <published>2011-01-08T15:35:00+09:00</published>
        <updated>2011-01-08T15:35:02+09:00</updated>
        <summary>　2008年11月天童の国際フェステイバルにはじまり、2009年8月の上海、そし...</summary>
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        <category scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" term="北米" />
        
        
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<![CDATA[
<div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><p>　2008年11月天童の国際フェステイバルにはじまり、2009年8月の上海、そして11月のニューヨークとここのところ国際化をうたった将棋大会が連
続して開催されました。またLadies Holly Cup の決勝戦が11月5日に上海の「花園飯店」でおこなわれました。こうした国際化の流れは偶然とは言えず、最近の将棋界の動向を踏まえたものと思われます。<br />
　いずれにせよこうした情勢をISPSの立場から、この目で確かめたかった私は、11月13日全日空機でニューヨークへ向かいました（<strong>宇都宮靖彦</strong>）</p><p>　今回は第3回将棋世界大会（英文ではThe Third Shogi World Championship Tournament）と銘打っており、ラガーデイア空港のすぐ近くの瀟洒なホテルで11月14日~15日の両日世界各地からの選手や地元アメリカの各支部からあつまった総勢51名［子供大会は除く、また各地の予選大会を含めると総勢400人参加］が参加して行われました。顧みれば2000年に第１回世界将棋大会が成功裏に開催され、第２回大会を次年度に鋭意準備していた矢先に9月11日のテロリストの事件が起き、中止のやむなきに至りました。爾後中断していましたが、第１回の当事者であるニューヨークの将棋クラブ（日本将棋連盟ニューヨーク支部）の人たちが再びたちあがって今回大会を開催にこぎつけられたと聞いております。ただ今回もサブプライムローン問題やリーマンブラザースの破錠などの未曾有の経済問題が米国経済を直撃しており、その中で準備を進められた関係者の皆さまには深く敬意を表するものであります。</p>

<p>　さてこうした大イベントをとりしきるのは、ニューヨーク将棋クラブのトップ林稔さん同じく副会長の荻原茂孝さんです。古武士の風格のある林さんは大会の期間中ずうっと半纏風の上っ張りに身を固めて、お忙しいだろうに細かい相談にものっておられました。荻原さんはISPSの古くからの会員で本職は弁護士さんです。流暢な英語を駆使して、大会ではもっぱら司会、進行役を努めておられました。</p>

<p>　大会の方は1日目は招待選手以外の選手による予選がおこなわれており、招待選手はもっぱら日本からやってきたプロ棋士相手の指導将棋をうけていました（屋敷九段、石川七段、近藤六段、伊藤（真）四段、伊藤（明）野田沢女流）。ただ下馬評では、どうも今回は予選から勝ち抜いてくる選手が強そうだとの噂で、事実決勝はアメリカ国籍で日本からやってきた小木ポールさんとブラジルに将棋指導に渡ってから50年という烏山久夫さんの実力者同士（いずれも招待選手ではない）の戦いとなりました。</p>　<p>烏山さんは小野ゆかりさん（招待選手、アマ女流名人）カウフマンジュニアなどの強敵を倒しての決勝進出です。また小木ポールさんは準決勝で元奨で前回の優勝者江越克将さんを破っています。</p>　<p>小木さんは埼玉県代表として平成21年度アマ名人戦全国大会に出場し、なんと準々決勝まで勝ちすすんだという強豪で、将棋クラブ24でレーテイング2,700点以上というからいずれトップアマをめざす、いや既にその域にたっしつつある新進の一人といえましょう。<br />さすがのベテラン烏山さんもこうすべくも無く敗れましたが、最近の日本アマ棋界における序盤作戦の進歩に「今更穴熊を勉強する気にもならんしー」とぼやいていました。<br />話は変わりますが、ISPSからは最近では初めてアメリカを訪れたわけですが、我々の従来の認識では、アメリカには独特の日系社会があり、アメリカ各地に支部がありますが、大半が日系人中心であること、その運営も日系人が担っていると考えていました。したがってISPSの従来ヨーロッパ、中国など現地のヨーロッパ人や中国人を直接対象にした普及のやり方とは一味違ったものと受け止め、アメリカ将棋界はその歴史があり、それぞれ尊重しながら今日まで参りました。</p>　<p>ただ我々もHIDETCHIさんのYouTubeによる英語の将棋教室を中心に活動をしてゆくうちに、南部のアメリカの人たちの中にも共鳴する人が現れてきます。</p>　<p>たまたまミシシッピー州のメンフィスで将棋をしているグループから、ニューヨーク将棋クラブへ連絡が入り、荻原さんや石田さん（小生の滞在に関しお世話になりました）が出かけて、児童の指導にあたるなどの情報も入りました。（詳細は将棋世界１月号に記載されています。）<br />それでは今後は情報交換をみつにしましょうということになりました。またとりあえず、「かけはし」46号のHidetchiさんのYouTubeによる将棋教室に関する記事を10部ほどコピーして持参したので、参加者の中から日系人や日本語の読める外国人を選んで説明する機会を持ちました。</p>　<p>今回参加者の中で目立ったのは、ブラジルなどの南米勢でした。ブラジル将棋連盟はその昔大山名人が力を入れられて、現地から師範派遣の要請があった時、専門家に適当な人が見つからず、早稲田をでて地方銀行に勤めていた烏山さんに白羽の矢が立ったと聞いています。それから幾星霜　早稲田の烏山くんはブラジル代表ロベルト高島さんとともに我々の前に姿を現してくれました。<br />またブラジルから現在はチリに移住して学生、学童中心の将棋普及活動をつづけている江越さん（最近連盟のチリ支部を設立支部長に就任）は、HIDETCHIさんのYouTubeの将棋教室については南米ではスペイン語が全てですよとの意見でした。<br />その後帰国して調べてみると、HIDETCHIさんの将棋教室は、すでにスペイン語訳への翻訳が有志により進められており、なんと対応が可能ではないかという返事が返ってきました。<br />ニューヨーク将棋クラブ（日本将棋連盟ニューヨーク支部）といい、ブラジル将棋連盟（日本将棋連盟ブラジル支部）といい、いずれも日系人を中心に強固な地盤を持っています。これ等のかたがたのご協力によりさらに一層の普及が進めば嬉しいことです。<br />とくに昨年５月にはサンパウロに安恵八段石川七段が行かれたとき、ブラジル将棋連盟の斉藤専務理事のご好意で、ポートアレグレの大学で仲間に将棋を教えていた柳田真由美さんのグループを暖かく受け入れてくださったことがあり、こうした積み重ねが将来に続いて欲しいものです。</p>　<p>さてここまでは日系人の将棋について述べてきましたが、ここで非日系人の強豪について触れてみましょう。</p>　<p>ラリー　カウフマン、ランス　カウフマンの父子、アラン　ベイカー（天童で３位　大学準教授）の3人がいずれも出場し、ランス　カウフマンさんは４位に食い込みました。そのほかに小生が対局したことのある実力者に、ベッケルという長考派の米国人がいますが、今回は来ていませんでした。人材の宝庫というかアメリカはなんといってもいろんな能力のある人の多い国です。日系人以外に広がってゆけばそれはそれできっと強い選手が出てくるでしょう。<br />将来への夢が広がる旅でした。</p></div>
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