ワシントン将棋クラブと国際化(3号、1996.11.1)

「日本将棋のどこが面白いのか」
「取った駒が、そのままのグレード(階級)で使える事。それにプロモーション(成駒)だ。チェスより、かなり複雑だ。」
「メンバーにはチェスをやっていた者が多いのか。」
「全員がそうだ。それより一つ教えて欲しい。取った駒が再使用出来るのは日本将棋だけだが、どうして、そのようなルールになったのか。」
東京新聞編集委員 林茂雄(現名古屋外国語大学教授 - Webmaster 註))

「うーん、どうしてかな。多分日本人は平和愛好民族なので捕虜を殺さないからではないか。」
「捕虜に自軍を攻撃させるのは捕虜虐待ではないのか。」
「・・・・・・・?」

 今から15年前の1981年(昭和56年)、私は中日新聞・東京新聞のワシントン支局長を勤めていた。ある夜のパーティで「ワシントンにアメリカ人だけの日本将棋クラブがある」との話を聞いた。
 運営責任者はラリー・カウフマン氏で、有段者が2、3人いる、とのことだった。月に一回カウフマン氏宅で例会を開いているというので、取材に訪れた。その時の問答が珍妙ともいうべき前記のやり取りだ。
 インドで生まれた将棋の原形が西に伝わってチェスになり、東に伝わって中国将棋になりった。中国将棋が遣唐使により日本に伝わり、幾度かの改革後に、現在の形(駒数が四十枚)ととった駒が使えるようにルール改正されたのは室町時代末期の後奈良天皇(在位1526-57年)の時だという。(平凡社・大百科事典)いずれにせよ、取った駒が同じ戦力で使えるのが日本将棋最大の特色であり、今後将棋を世界に広める上でのセールスポイントにすべきだと思う。

カウフマン氏の功績
 ワシントン将棋クラブ・メンバーの実力は私が想像していたより、はるかに強かった。これは全員にチェスの下地がある上に、カウフマン氏の熱心な指導があるからだ。同氏は1947年生まれ。本職は証券会社に勤めるコンピュータ・プログラマー。チェスの最高位は全米ランキング25位。日本将棋に転じてからは長期休暇を取って来日。新宿将棋道場で研修した経歴があり、当時5段の免状を持っていた。以来ワシントン在勤中は時折例会に参加させていただいた。カウフマン5段には私の棋力(三段格・東京外語大将棋部主将)では平手では歯が立たず、角を落としてもらい指し分けの結果だった。同氏はロンドンで開かれた第一回将棋国際選手権で準優勝していたが、後日にロンドン国際トーナメントで優勝ね1988年のアマ竜王戦に招待選手として出場している。
 私の好敵手はコナーズ三段、フェルナンデス二段(いずれも当時)らで、勝ったり負けたりの成績だった。カウフマン氏はメンバー全員の対戦成績をお得意のコンピュータにインプットし、ポイントの開き具合で手合いを駒落ち将棋にしていた。カウフマン五段はメリーランド大学チェス・クラブのメンバーに日本将棋の指し方をおしえていたが、「みんな興味を持ってくれる」と話していた。
 その後、カウフマン氏が職務の都合でフロリダ州パークランドに移住し、月例会がなくなったので私も足遠くなった。三年間の東京勤務を挟んで、1987年に再度ワシントン勤務になった。ワシントン将棋クラブはコナーズ氏を中心に活動を続けていた。時折「トーナメントを開くから出席しないか」と誘いがかかったが、何かと多忙で二、三回しか顔を出さなかった。1987、88年にワシントン将棋クラブとニューヨーク日本人会との将棋対抗戦を行った。大学先輩の米国日経新聞社長の大原進氏の”挑戦”を受けたものだが、二回ともワシントンが敗れた。カウフマン氏不在のワシントンで選手七人を揃えるのは容易ではなかったからだ。

国際化への提案
 さて、将棋を世界に広める方策だが、やはり国際的な広がりを持っているチェス・クラブを基礎にするのが妥当だと思う。囲碁もそうだが、将棋はルールさえ知っていれば言葉を 発しなくても対局できるのは大きなメリットだ。そのためには、ワシントン将棋クラブのカウフマン氏のような外国人指導者の”核”を作るのが早道だと思う。具体的には、日本将棋に関心を持つ者を日本に集めて、混載将棋研修会を開催するのがよいのではないか。そして各国から参加した者を支部長に任命して、とにかく”核”になる将棋クラブを世界各地に発足させてしまうことだ。将棋のルールと初歩的な指し方だけは母国語で説明できる者がいなくては、国際化は無理だと思う。
 私自身の経験で言えることだが、将棋の終局後の感想戦を外国語で行なうことほど難しいものはない。対局は無言であるが、指導・解説となればどうしても言葉は必要だ。ワシントン将棋クラブでアメリカ人と感想戦をしていて、どのように英語で説明すればよいのか言葉に詰まったことが何回もある。例えば、「桂馬のふんどし」「居玉」「ひねり飛車」「腰掛け銀」など、無理に英語にすると訳が判らないものになる。
 カウフマン五段がどのようにアメリカ人に説明していたかというと、特殊な将棋専門用語はそのまま日本語を使用していた。例えば、「ヤグラ」「ミノ」「アナグマ」などの囲い方、「ボーギン」「フリビシャ」「ツギフ」などの攻め方はそのまま日本語だった。「ナリカク」「トキン」「スヌキ」なども、そのまま使っていた。私はこれは将棋を国際的に広める上でヒントになると思う。
 考えてみれば、麻雀用語はすべて中国語そのままだ。結構難しい役の名前まで原語で覚えてしまう。柔道の技の名前も日本語のままで国際的に通用している。かけはしにオランダ人のグリムベルゲン四段が「英語で将棋(Translating Shogi)」を連載しているが、私は将棋用語を無理に英語に訳すのは国際普及の本筋ではないと思う。なぜならば麻雀が中国文化であるように、将棋は日本文化そのものであるからだ。
 そこで提案だが、世界に広めるに際しては、駒の名前も含めて、専門用語はすべて日本語をそのまま使用することほ原則にすればどうだろうか。説明ではチェスのルールを比較・活用するが、チェスとは異なる日本独特の知的スポーツであることを強調するためにも専門用語は日本語を使用するべきだと思う。
 真にナショナル(民俗的)なものがインターナショナル(国際的)になることが多い。将棋も例外ではないと思う。

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