ジョン・ホール先生
最近、海外での将棋の普及は目覚しい。5、6年前より竜王戦の初戦が必ず海外で行われていることが、将棋の普及に大変役立っていることは間違いない。フランスでも10年以上前から将棋クラブが結成され、すでにフランス語の機関紙が発行されている。(鈴木 良尚)
初版はB5判で20ページそこそこの小さなものだったが、その後A4判に変わり、フランス棋界のために寄与している。
その中心人物は我が愛するジョン。本当はイギリス人だが、フランスを愛しフランス人と結婚して、フランスで英語を教えている語学の先生だ。職業柄フランスの地方の方言まで全て頭に入っており、フランス人同士でさえ通じない時に、通訳ができるほどフランス人になりきっている。(日本でも山形の人と沖縄の人とでは日本語が通じないように、フランスでもノルマンジーの人とマルセイユの人とでは通じないことがある。)外人にしては珍しく背が低く小太りで、何しろ底抜けに明るいのが楽しい。勿論よくしゃべるし人を引き付ける魅力は最高だ。将棋の実力は2段の腕前。もう歳なのでピークは過ぎたと本人は嘆いているがなかなかどうして。でもそう言えば何時だったかフランクフルトでの大会の成績はあまり良くなかったようだ。
住んでいるところはパリではなく、パリから北へ汽車で2時間、リーラ(Lile)というベルギー国境に近い町である。したがって、将棋のフランス本部はリーラにある。勿論パリにもクラブはあるが、人数が断然違う。リーラでは大学の若い学生を集めて大学のクラブよろしく活躍している。6年前、つまり1990年度のフランスオープン選手権はここで開かれた。トータル65名の参加者があり、当時オランダに駐在していた谷川俊昭氏(ご存知谷川浩司九段の賢兄)がこれに参加し、見事(当然?)優勝の誉に輝いた。谷川さんが将棋界の大きな看板として、ヨーロッパの将棋の普及にも役立っていることは嬉しいことである。
リーラ市訪問
1991年5月のこと、予めジョンに手紙を出しておき、或るウィークエンドに久しぶりにリーラを訪れた。勿論、大歓迎との返事を貰っていたのだが、ちょうど金曜日からフランス国鉄のストライキが行われ、ダイヤが乱れて土曜日に行けるかどうか判らなくなってしまった。すると、前夜パリのホテルにジョンから電話があり、明日は午前中に1本だけ列車が動くらしいが、出発時間は不明とのこと。リーラ行きはいつも1日に何本かあるのだが、そのうちどれが動くのか判らないという。到着予定時刻には駅に迎えに出るが、午前中大学で講義があるので、もし到着が早くなってしまった場合、ドウニー君という学生に電話して迎えにきてもらえというアドバイス。そうすれば駅でボケっと待っていなくてもすむという訳だ。ジョンはいつもこういう気配りをしてくれる。
そこで、土曜日の朝、前に利用したことのある午前10時発の列車に照準を合わせて、予定より1時間半早めにパリ北駅に来てみると、幸運なことに丁度その列車が動くらしい。しかも既に入線しており、結果的に1時間半前から汽車に乗り込んで出発を待つ羽目になった。汽車はストライキにも関わらず結構空いていた。フランス人は日本人と違って、無理やりスケジュールを強行するようなことはしないのかもしれない。リーラに到着するとまずジョンの家で昼食。奥さんより2つ年下の奥さんの妹さん(美人!)とドウニー君も来ていて、美味しい手料理をご馳走になった。その後すぐクラブへ出発。
将棋七面指し
クラブはカフェのような店の奥の一室で、椅子とテーブルで対局する。そこには20歳前後の6人の学生が待ち受けていて、何とジョンを含めて7人と多面指しをせよとの御宣託。こちとら単なるアマチュア3段(当時)で多面指しなど、こちらがしてもらった経験はあるが、自分でしたことなどは一度もない。しかも相手は7人だ。予め言ってくれれば多少の覚悟はしてきたのだが、何しろ突然である。聞いてみると日本人と指す機会などめったにないので、どうしても今日集まった全員がやりたいのだそうだ。そうとなれば最早引くことはできない。ジョンの指定するままに、平手3人、2枚落ち3人、4枚落ち1人という手合いで試合は始まった。
ところで、7面指しというのをやってみて、面白いことに気がついた。相手を座らせ、自分だけ立って忙しく右から左に動いて指すというのは、相手を上から見下ろすせいか意外と偉くなったような気分になって、すごく気持ちのよいものなのである。なるほど、プロの先生方はいつもこういう気分で指導されているのかと、とんだところでとんだ感覚を味わったものである。
その結果は
2枚落ちで指した相手に1人強いのがいて、定跡どおり上手必敗の形勢。下手側の4筋から攻め込まれて4二歩と受けさせられた。ところが何手か進むと、自分で打ったその歩を忘れて、4七歩と打ってしまった。隣のジョンが気がついて、二歩だと指摘。これで上手の即負けだが、何しろ親善将棋。ここで終わっては相手も途中で拍子抜け、もっと続けたいというアピールがあり、恥ずかしながら待ったをさせてもらった。というのにその後またまた4七歩と打ちそうになって、あわてて手を引っ込めたりした挙げ句、とうとう4七歩の代わりに4七銀とおごって打ち、この将棋を勝ってしまった。申し訳なし。
もう1人、平手で指したリシャー君という学生はチェスの名手とのこと。自分からは攻めに出ず、お手並み拝見とばかりに徹底的に攻め筋を封じて待つ姿勢。1筋から9筋まで全部四列目と六列目に歩が対峙して、ニッチもサッチも行かなくなってしまった。多面指しの悲しさで、こちらは考慮時間がほとんどないため、無難な手を選んで指した結果がこうなったのだが、かくてはならじと無理矢理打開したら案の定、形勢不利。この将棋だけが最後まで残ってしまい、日本人に一泡吹かせてやろうというリシャー君の気迫物凄く、やたら長時間考える。
いつまでも先生が立ったまま指すのも疲れるだろうからと、椅子を勧めてくれて、さぁ1対1で勝負という趣きだ。これでは何時まで経っても終わりそうにないのでとうとうじっと観戦していたジョンもしびれを切らし、あと10分で夕食の時間だから秒読みにしたいとの申し入れ。こうなるとリシャー君の経験不足は覆いがたく、持駒の金を打ってくると上手側が難しくなるところを、盤上の銀が進んできたので、あっさり逆転してしまった。この金打ちを後で指摘すると、チェスの場合は取った駒を使わないので金打ちの発想が浮かばなかったという、半分言い訳で半分本当らしい答えが返ってきた。彼はきっと強くなるだろう。彼とは次の機会には必ずチェスをやろうという約束をして別れた。
結局二歩の将棋を待ったで許してもらったので7局全部勝ってしまったが、とにかく実際に指す機会を増やすということが将棋の普及につながる。皆さんもフランスに行くときは是非リーラを訪れて親善将棋を指してきてください。大歓迎されることは請け合いです。