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第一回横浜上海将棋交流会(23号、2003.3.1)

【報道陣もにぎやか】
 冬晴れの2月1日、横浜産業貿易センター9階の横浜国際交流ラウンジで、第1回横浜上海将棋交流会が将棋を世界に広める会(ISPS)と上海将棋学校の主催で行われた。ISPSは、これまでも東京北京の小学生将棋交流大会を開催してきているが、今回は横浜と上海が姉妹都市であり、また上海では小中学生を中心に将棋が幅広く普及していることもあって、「横浜上海将棋交流事業」の一環としてこの交流会を催したものである。大会前日の1月31日には、日中の関係者を招いての前夜祭も開かれた。(山田彰)

 さて大会本戦に参加したのは、日本と中国からそれぞれ8名ずつの代表(中学生4人、小学生4人)の計16人であるが、この他にも上海と横浜からのオープン参加の子供たちが大勢やってきた。さらにこの日は、訪日中の北京市将棋視察交流団の一行もこの交流会に訪れた。北京市崇文区教育委員会の劉金蘭副主任、崇文区少年宮の王軍主任やISPS会員の方にはおなじみの少年宮の李民生先生などがメンバーで、子供たちも数名やってきている。この子供たちもオープン戦で日本の少年たちと交流対局を指すことになっている。
 10時から開会式が始まり、まずISPS眞田理事長が上海と北京からの訪問に歓迎の辞を述べ、子供たちに対局を通じて仲良くなって欲しいと話し、上海将棋学校の許建東校長は、将棋は以前は日本の将棋でしたが、これを世界の将棋にしていきたいと将棋普及の高い志を語った。原田九段は、来賓挨拶でISPSの小学生将棋交流大会で北京を訪問した時の思い出を語り、「将棋を指すと頭が良くなる、年をとってもボケない」などと話して中国の人たちの笑いを誘っていた。大会には神奈川新聞、将棋世界など多くのメディアが取材に訪れた。また当日の模様は2月4日の囲碁将棋チャンネル放送「将棋90分」で放映された。
【棋士の指導対局】
 交流会には、朝から原田九段と斉田女流四段がお見えになり、さらに午後からは青野九段、高橋女流二段も来られて、指導対局を行ってくださった。原田九段は、子供たちとの指導対局を終わるたびに、通訳を介した感想戦で指導した後、ご自分の名刺に「二級と認定」などと書いて子供たちに渡していた。子供たちにはとてもいい記念になっただろう。
 他のプロ棋士の方々も多面指しで日中の子供たちを指導していただいた。ほとんどの中国の子供たちにとっては、初めての経験だったと思う。原田九段に指導を受けた女子中学生の李雪亭さんは、「緊張してうまく指せなかったけど、とても勉強になりました。凄く良かったです。」と感想を述べていた。原田九段はテレビのインタビューに「思ったより強い子が多くて、感じもいいし態度もいい。指導者がいいからでしょう。」と答えていた。いつもこのように将棋の指導に来ていただく棋士の方に心より感謝申し上げたい。
 指導対局のほかに、本戦参加以外の上海、北京と横浜の子供たち同士で多くの対局を日中間で行って交流を深めることができた。上海と北京の将棋指導者の間でも、中国国内の交流についてもいろいろ話し合われていたようで、横浜の地で思わぬ形で上海・北京の交流企画が進むことになりそうだ。

【日本チーム強し】
 本戦の方から日中対抗の対局を2局見てみよう。第1図は▲山田君▽朱君の戦いで、山田君の三間飛車に朱君が急戦を挑んだが、受け止められてしまったところ。
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上海勢は細かい駆け引きには慣れていないようだ。以下▽6五歩▲同歩▽7七角成▲同桂▽2二角▲6六角▽同角▲同銀▽6七角と朱君は強引に攻めたが、▲5八角▽同角成▲同金(第2図)と受けられると1歩損が残って続きの攻めが難しい。この後、飛車交換になって攻め合ったが、振り飛車の制するところとなった。
23_shanghai_2.JPG

 ▲篠原君と▽李君の一局はやや変則的な出だしから矢倉の戦いとなった。先手の歩交換をとがめた形で、後手がうまく組み上げた第3図は李君の作戦勝ちであろう。
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以下、▽6四角▲5五歩▽7四歩▲6五歩▽8二角▲4六歩▽5五歩▲4五歩▽同銀直▲4六銀鐚同銀▲同角(第4図)と進んだ。
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 ▽8二角と▽5五歩は疑問のような気もするが、まだ後手優勢である。ところが、この後の後手の攻めが重くなってしまった。第4図から、▽4七歩▲3八飛▽2七銀▲5八飛▽3六銀成▲2八角▽4五銀▲8三銀▽2七成銀▲3九角▽4六銀▲8二銀成▽同飛▲4四歩▽4二金引▲5四角となって完全に先手のペースとなった。
 結局本戦の中で、日中対抗は小中学生合わせて12局あったが上海チームは1番も入らなかった。日本側は小学生も含めて三段、四段クラスの猛者ばかりだが、上海チームは強い子供で初段、二段くらいであろうか。また、日本の子供の方が対局慣れもしていた。
 中学生の決勝戦は、篠原永紀君対菅野倫太郎君。菅野君の四間飛車に対して篠原君は細かく動いて第5図となる。
23_shanghai_5.JPG

 図のとおり、篠原君が▽8七角と打ち込んだところでは、角成りが受けにくくしてやったりと思ったのではなかろうか。菅野君は、▲6八飛▽6二飛▲6七銀と角成りを受けたが、後手は▽7五歩と攻めつけた。先手は▲8四角▽7六歩▲6二角成▽同金▲7八銀と何とか受けようとする。ここで後手は決断して▽同角成▲同飛▽7七歩成▲同飛(第6図)と進んだが、次に▽5五角と打ったのが痛恨の手順前後だった。▽3六桂を見せて飛車取り詰めよのつもりだったが、▲7六飛で受かってしまった。
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 以下▽7五歩▲5六飛▽4五銀▲5五飛と進むと、振り飛車がすっかり捌けた形となって逆転した。第6図では、先に▽3六桂と打つと、先手は▲同歩と取るほかなく、▽5五角の王手飛車で後手が優勢だっただろう。
23_shanghai_7.JPG

 この後、篠原君は自陣飛車を打ってよくしのいで粘ったが、菅野君の攻めが勝り、菅野君が見事3連勝で優勝となった。小学生の優勝は仲澤宏史君で、その他の成績は別表のとおりである。
【楽しい連将棋】
 本戦の対局が終わったところで表彰式に移り、優勝の菅野君、仲澤君が原田九段から横浜市長名の賞状、(株)御蔵提供の将棋駒などを手にした。その他の日中の子供たちは、原田九段の色紙や青野九段の署名入り著書が授与された。
 表彰式の後に、日本と中国の子供たち全員参加で、一人一手ずつ指す連将棋を指した。中国の子供たちは連将棋のルールを知らなかったかもしれないが、オープン戦参加の子供たちもまじってすぐに数十人で連将棋が始まった。みんな自分の順番が来るのが待ちきれない様子だ。
 日本側横浜チームは四間飛車から向かい飛車に転じたのに対して、先手の中国側上海チームは棒銀で応戦するがうまく捌けない。横浜チームが角を成りこみ、その後飛車角を交換して優勢になった第7図。

 ここで横浜チームはどうしたのか▽5二金と上がってしまった。すかさず▲7一角と打たれ、以下▽9二玉▲5二馬▽同飛となった。ここから▲8二金と打てば以下やさしい詰みがあったのだが、上海チームはこれを逸して▲5三金と打ってしまった。以下▽同飛▲同角成▽6一金となって局面はよりが戻ってしまった。その後上海チームも頑張ったが、結局横浜チームが確実に寄せて横浜の勝ち。上海チームは負けてしまったが、大勢の子供たちが一緒になって指す連将棋を十分楽しめたと思う。
 その後閉会式となり、日本側と中国側の子供たち全員に記念品が配られた。最後にもう一度、日本、中国の主催者を代表してISPS眞田理事長、上海将棋学校の許校長が挨拶を行った。許さんは、今回の大会が日中のすばらしい交流になったことに触れ、今回だけで終わらせず是非第2回、第3回と続けていきたいと力強く挨拶した。実際、東京北京の小学生交流大会もあり、日中の交流大会を続けて開催していくことは財政面も含め大変なことだが、このような交流を続けて将棋を世界に広めていきたいものだ。

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