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「かけはし」50号記念企画I インタビュー 中原誠十六世名人(50号、2010年10月9日発行)

 本会の機関紙、『かけはし』の発行も回を重ね、50号という大きな節目に到達いたしました。一重に、これまで編集に関わられて来た多くの方々、並びに、関係各位の努力の賜物と深く感謝いたしております。

 今回は、棋界の太陽として若き日に華々しく登場し、まさに一時代を築き上げられた大名人、
中原誠十六世名人にご登場を願いました。ご自宅にお伺いし、インタビューさせて頂いたものです。(編集部 松岡信行

松岡 お久しぶりです。神奈川県小中学校将棋連盟を立ち上げる際、お忙しい中、特に時間を割いて頂き、様々なご示唆を頂いたことを昨日のように思い出します。

中原 もう6年ぐらい前のことですね。

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松岡 お蔭様で、年々大きくなっています。

中原 それはよかった。

松岡 先生のお力添えの賜物と、深く感謝しています。話したいことは山ほど有りますが、時間も限られていますので、早速、インタビューに入らせて頂きます。
     中原先生と言えば、今までの人生の半分、30年に亘りA級以上に君臨され、名人15期、タイトル獲得64期、優勝回数28回。永世名人になられたのが 28歳9ヶ月と、最年少記録はいまだに破られていません。棋歴を数え上げていたならば、それだけでこの時間が終わってしまうほどの実績をお持ちです。まず は、プロ棋士になるまでの事柄をお聞きしたいと思います。
     出身は宮城県塩釜市で宜しいのですか。

中原 そうです。

松岡 確か、鳥取でも名誉市民の称号をお持ちですね。

中原 鹿野町の名誉町民です。生まれたのは確かに鳥取なのですが、二ヶ月で塩釜にきましたから、全く覚えていません。

松岡 戦争が終わってまだ2年しか経たない、昭和22年ですね。どうやって鳥取から宮城まで来たのでしょう。

中原 私は覚えてはいないのですが、(笑い)親は大変苦労したようです。

松岡 高柳敏夫先生の下に来られて、昭和33年に奨励会に入会されました。

中原 10歳の時。小学校5年生でした。

松岡 5年生というのは、早いですね。

中原 そうですが、当時は試験も有りませんでしたし、奨励会の人数もいませんでしたから、是非に、という感じでした。一応、6級で入りました。

松岡 確か、内弟子として修行をされたのですね。

中原 ええ、10年程。

松岡 本当の意味での内弟子生活をされたのは、先生が最後ではないのでしょうか。

中原 最後では有りません。後に何人もの人が内弟子の経験をしています。ですが、皆、短いですからね。長い内弟子生活となると、最後になるかもしれません。

松岡 先生は皆の反対を押し切って、高校に進学された、と聞いているのですが、高校生活はいかがでしたか。

中原 反対を押し切ってと言うわけではないのです。学校を休んでばかりいましたから成績も悪く、高校に行くことはあまり考えてはいな かったのですが、三段になったのが、中学3年の5月だったのですよ。4月でしたらすぐにリーグ戦に入れたのですが、5月から10月まで時間が空き、丁度、 受験ができる態勢になったのですね。

松岡 高校に行ってよかったと思われますか。

中原 大人になって見ると、高校に行ってよかったと思います。人生は長いですから。

松岡 四段になられたのが、昭和40年。高校3年生のときですが、三段から四段になるのに、6期3年かかっていますね。

中原 丁度、力を蓄える時期だったのだと思います。四段になってからは、順調でしたから。

松岡 4年連続で昇級・昇段。最速でA級八段になり、その間、昭和43年に棋聖位に就いていますね。また、昭和42年には、47勝8敗・勝率8割5分5厘の最高勝率をマークしています。

中原 確か羽生さんも同じ勝率を上げていますが、嬉しい記録の一つです。

松岡 昭和47年、第31期名人戦に大山康晴名人をフルセットの末に破り名人となり、やがて、永世称号だけでも、十六世名人・永世十段・永世棋聖・永世王位・名誉王座という五つの称号を得るという偉業を成し遂げられることになります。
   棋歴を振り返られて、「まだ足りない」と思われますか、「十分満足」と思われますか、それとも「出来すぎ」と思われますか。

中原 (少し間を置いて)まあ、「十分満足」というところですかね。まだ、足りないという気分もありますが。

松岡 引退会見では、「羽生先生と一度もタイトル戦ができなかったことが、残念」といわれましたが、棋士生活を振り返って、一番嬉しかったことと、最も思い出に残る棋戦は何でしょういか。

中原 一番嬉しかったことは、やはり、最初に名人位をとった時と、一度失った名人にカムバックした最初の時ですね。カムバックは、木村名人や大山名人も成し遂げられていますし。是非に、という気持ちは強かったです。

松岡 再起を期し、気力を振り絞って達成したということですから、喜びは一入だったことでしょうね。

中原 (ゆっくり頷き、続けて)一番思い出に残る対局は、54年、米長先生との王位戦第7局ですね。将棋は、午前中から形勢がよく、 どうやっても勝ちという状態がずっと続いていたのです。「勝ち」というのは、終局からたどれば一本の道しかないのです。どうやっても勝ちと思える状態は、 楽観も生みますし危険な状態なのですね。難しくても一つしか良い手がないような状態というのは、あまり間違えないのですが、どれを選んでも勝ちというの は、とても曖昧ですし難しいのです。最終的には、落としてしまいました。「勝つ道は一つ」そんな気持ちでやっていくのがいいのです。
   これは 悔しい方の思い出ですが、嬉しい方では、何と言っても大山名人から初めて名人位を取った将棋です。悪い将棋を勝ちましたから。大山先生が49歳で私が24 歳でした。なぜか、先生は焦っていましたね。あの時、どうして先生が焦ったのか同じ歳になって分かりました。勝ちを決めて夕食にしたかったのではないかと 思うのです。体力とか気力とかに関係しています。私も、50歳過ぎる頃は、夜の11時ぐらいになると、順位戦でもよく間違えるようになりました。あの時の 大山先生は、きっと夜戦には持ち込みたくなかったのです。

松岡 ところで、先生に取りまして、将棋の魅力とは、一体どこにあるのでしょうか。

中原 なんといっても、難しさ、窮めつくせないところですね。

松岡 窮めつくそうとして取り組むと、相手は更に深みを用意している。そのあたりのことでしょうか。
   中原先生と言えば、桂馬を使う名人だとよく言われますが、大山先生の安定感と、「新手一生」を標榜した升田先生を合わせもった方のように思えるのです。

中原 修行時代に、大山先生、升田先生の影響を受けていますから。自然とね。

松岡 大山先生や羽生先生は、「新たな手」を模索するというより、今まで築かれてきた内容を更に深化させる方向が強いように思えま す。極めて安定感のある印象を受けます。中原先生は、お二人の安定感や実戦的な要素に加えて、升田先生の「夢」の要素も同時に持っているような気がしま す。有名なものでは、「中原飛車」や、今も盛んに使われています「中原囲い」などがあり、1996年には、『升田幸三賞』も受賞されていますね。

中原 確かに、新しい将棋などを考えているときは新しいアイデアなども湧いてきますから、楽しいですね。ただ、私の場合は家で研究して、と言うことではなく、実戦の場で探ることが多いですから。

松岡 勝負の最中に新手を考えるということですか?

中原 相手が長考している時など、こちらは少し自由じゃないですか。その場では役に立たないことも考えるわけですよ。

松岡 勝負の最中に、そんな余裕があるのですか。素晴らしいですね。

中原 やはり対局中が一番集中しているのです。家で研究しても、どうしても真剣味はないですからね。調整程度です。

松岡 対局中に新手を考案されているとは驚きました。「中原玉」のような、非常に深い構想も対局中に出来上がったということですね。

中原 そうです。

松岡 これを聞けただけでも、対談を企画させて頂いた甲斐がありました。

中原 人によるわけで、決して研究を否定しているわけではありません。

松岡 半世紀に及ぶ、将棋人生を振り返られて、得られた「人生訓」を一つあげるとするとどんな言葉が浮かんできますか。

中原 全般を通して一番感じたのは、『万事、塞翁が馬』ということでしょうか。将棋の局面においても、将棋のタイトルを争う意味でも、人生の流れの中でも言えることではないでしょうか。

松岡 例えば、一つのタイトルを失ったときでも、次のステップのための礎だと言うようなことでしょうか。

中原 そうです。何かを失ったときに、あまりがっかりせずに、次のことに向かっていくということです。必ず、良い事がきますから。
     この前、病気をしまして、ベッドの上で、ふと考えてみたのですが、どうも私の人生には、20年ごとに大きな区切りがくるようだと思いました。20歳まで は修行時代で、20歳の時に初タイトルを獲得しました。20歳から40歳までが、タイトル戦を闘った時期ですし、60歳までが、対局以外の仕事をした時期 ですね。そして、60歳での病です。

松岡 現役の頃と今とでは、将棋界の見方に違いがあると思うのですが、現在の将棋界に対する心配事や提言はありますか。

中原 離れた状態ですので、あまり余計な事を言ってもいけないし、自分ができるわけではないから、いわゆる隠居生活というところです。

松岡 まだ、隠居と言うには、早すぎるのではないでしょうか。多くの方々が、先生の言葉を待っていると思います。

中原 私の師匠も42歳ぐらいで引退しましたから、隠居は、別にいやなわけではないのです。高校生の時に、友達に「早く隠居したい」と話していたそうです。(笑い)まあ、小文などを書くなど、少しずつ仕事をしていこうと思っています。

松岡 現在、将棋は中国を筆頭に世界各国に普及してきています。世界に普及することと、日本の将棋の有り方などどのように思われますか。

中原 中国の普及は素晴らしいですね。まだ、さほど普及していなかった頃、上海に何度か行きました。1年ほど前ですが、許建東さんは 家に来たのですよ。世界大会を二度ほど開いたのですね。数年前は、とてもそのようなことができるとは思えませんでしたから、たいしたものだと思っていま す。

松岡 先生も、日本将棋連盟主催の国際フォーラムを開かれました。

中原 第2回・3回と、二度担当しました。第1回国際フォーラム開催には、大内九段が非常に頑張られ、それを引き継いだ形です。現在 も発展して続いているのは、素晴らしいと思います。ただ、このような形の国際大会は資金が重要で、現在は、なかなか資金を集めるのが難しい状態になってい るのが気になりますね。

松岡 世界に広がっていけば、また新たな問題も生まれてくるわけですね。

中原 そうですね。日本の将棋界もプロの位置付けをきちんとするなど、スタンスを明確に固める必要があります。

松岡 最後になりましたが、今後の目標とするところはどんなことでしょうか。

中原 もう少し、体が動けるようにしていくことでしょうか。幸い右手が動きますので、字を書くことはできますし、しゃべることは問題がありません。早く回復することかと思っています。

松岡 どうも有難うございました。お体の一刻も早い回復と、将棋界発展に向けて、更なる力添えをお願い致します。

 「取材は無理か」、と思いつつ、恐る恐るアポイントを取ったのです。許諾の返事を受け取った時には、嬉しさというより何か信じられない思いに包まれました。療養中であるにもかかわらず、自宅での取材を許して頂きました。

 

川崎北部の閑静な住宅街。先生にふさわしく堂々とした佇まいを見せる邸宅の門をくぐりました。案内された部屋に、やがて中原先生が。思ったより、元気な姿にすっかり安心して、インタビューに入りました。

 

最初、少し堅かった表情も、インタビューが進むにつれて和らぎ、和気藹々の中に終えることができたのは望外のことでした。
棋 歴を改めて調べてみると、中原先生の偉大さが実感されます。正に大名人の名にふさわしい。お会いしてみると、左半身が不自由でしたが、以前の威厳は衰える ことなく、圧倒されそうになる自身をどうにか保ちつつ取材が続きました。確か、故原田泰夫先生の命名だと思いますが、『自然流』と言われる将棋と同じよう に、語られる言葉も口調も、いかにも自然な雰囲気を感じます。
「大人になって見ると、高校に行ってよかったと思います。人生は長いですから」
いかにも普通に語られます。棋歴を辿ると、その3年間は、三段から四段に中々上がれず、もがき苦しんだ3年間でもあったわけです。必死に動かす足を他に全く気取らせず、平然と、滑るように水面を進む白鳥の姿と、中原自然流は重なります。

 

取材中、白鳥の水面下の動きを垣間見た場面が一つ有りました。「思い出の一局を」との問いかけに、最初にあげたのが、負けた将棋でした。喜びより悔しさが先に現れました。『悔しさ』。強烈な負けず嫌いが、穏やかな自然な笑顔を支えているのでしょう。
現在は療養中です。「楽隠居」の言葉も出ました。ゆっくりと噛み締めるように、
「何かを失ったときに、あまりがっかりせずに、次のことに向かっていく、ということです」
と、 言う先生の言葉は、自身に対しても発せられた言葉であったと思います。「現在の将棋界と未来」に話しが及んだ時に、「あまり余計な事を言ってもいけない し、自分ができるわけではないから」と言い、「隠居ですから」と付け加えられましたが、伏目がちであった顔が元に戻った時に見せた強い目の力は、特に印象 的でした。
人生『万事、塞翁が馬』と、語り、現在の状況を糧とする強靭な精神力は、依然として健在であることを確認する取材となりました。
『棋界の重鎮』。現在、雌伏中です。
(写真撮影:松岡 眞美子氏)

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