中国将棋史上初の北京・上海・広州交流戦(29号、2004.9.18)
画期的な三都市交流(於、北京)
8月15日に中国北京市崇文区少年宮にて第一回北京・上海・広州三都市将棋大会が開催された。三都市の青少年が一堂に会しての大会は中国では初めてである。上海から36名、広州から17名が参加、北京からは53名が参加し合計106名の大会となった。ほとんどが小中学生で、一部高校生・大学生も含まれていた。(森本幸男)
ISPSでは6、7月の理事会でこの大会を後援することを決定し、色紙・扇子・将棋駒・文房具など記念品を携え筆者は13日に北京に赴いた。
本大会は下記の主催者及び後援者により実現したもの。
主催者:北京市崇文区棋類協会
後援者:北京崇文区少年宮、日本将棋連盟、将棋普及推進の会、将棋を世界に広める会
開催までの道のり
北京市崇文区少年宮の李民生先生は小中学生の棋力向上のためには日頃の講義だけではなく年間数回は大会を開催し、実戦経験を積ませることが必要だと考え、できれば北京・東京の交流大会をやりたいと考えていた。ところが昨年のSARSの影響などで実現が難しくなり、ほかに何かいい方法はないものか思案にくれていた。
一方で、上海将棋学校校長の許建東先生も夏休みを利用して小中学生の棋力向上のための大会開催を考えていた。日本へ行くのもなかなかハードルが高い。そこで5月に李民生先生に北京での将棋交流会を提案してみた。北京にとっても渡りに船、実現に向けて準備が進められることになった。許建東先生の呼びかけに応じて広州で将棋教室をやっている馮良勇先生も子供たちを引率し参加することを決め、三都市の子供が集まる歴史的な大会が行われることになった。
許先生と李先生の要請に応じて、日本将棋連盟、将棋普及の会そしてISPSが本大会を後援することになった。日本将棋連盟を代表して行方尚史七段と本間博五段が8月13日北京入りし、14日−15日の将棋交流活動に参加される運びとなった。
8月14日両プロ棋士による指導対局
この日は午前9:00から行方七段と本間五段による指導対局が行われた。午前中は北京の子供達が対象である。少年宮の教室2室にそれぞれ16面の盤が配置され、定刻5分前には子供達が駒を並べて両プロ棋士の到着を待つ。両プロ棋士は到着後、少年宮の幹部と挨拶、少年宮の概略説明を受けた後、さっそく教室に入り、指導対局が始まる。
手合いは子供達の棋力に応じ二枚落ち(約7割)と平手(約3割)の二種類で行われた。筆者は行方先生の教室で、指導の際の通訳を担当。
11:30の昼食休憩に入るまでに2回弱、約30局が終局。2名が二枚落ちで勝つ。「中には強い子もいる。二歩突き切り定跡を指す子もいれば、矢倉や振り飛車もあり、バラエテイーに富んでいたので、16面指しもあまり苦にならなかった。」(行方七段)「5-6年ぶりに少年宮に来たが、人数も増えており、レベルも向上しているようだ。」(本間五段)
昼食は李先生の案内で少年宮の近くのレストランで北京ダックなどを楽しんだ。
午後になり上海・広州の子供たちが少年宮に到着。14:00から三都市の子供全員に対して指導対局が行われた。人数が増えたので、筆者も三面指しで一役買い、約10名と将棋を指した。
行方七段の印象では「上海の子供の方が北京と比べて力戦模様の将棋になれている。」とのこと。指導将棋は夕刻まで行われた。
大会当日8月15日
いよいよ大会当日。午前9:00に開会式が行われた。少年宮の講堂に三都市から集まった100名余りの青少年が着席、壇上には主催者、後援者の代表者が着席した。主催者である北京市崇文区棋類協会主席劉世哲氏が開会の挨拶。続いて来賓代表として行方七段が日本将棋連盟中原誠会長の挨拶状を披露した。
以前北京で少年宮の子供達に将棋の指導をした豊田通商の袴田氏(現在沈陽駐在)も開会式に参加した。中央電視台(テレビ局)や現地の新聞記者も取材に来ていた。選手宣誓の後、対局が始まった。
対局は平手、先後は振り駒、時間は一局30分、時間切れの場合は判定と言うルールで行われた。四グループに分かれての勝ち抜きトーナメントを行ったが、本大会は最強者を決めることはせず、三都市の交流を主目的とし、グループ毎に成績優秀者を表彰すると言う趣向でとり行われた。
両プロ棋士と一緒に会場となっている三教室を見てまわったが、子供達はお行儀よく、静粛な中で真剣に将棋を指していた。
二回戦が終わった10時半頃から、トーナメント敗退者を対象に行方七段、本間五段両プロ棋士が指導対局を行った。
昼食は北京李民生先生、上海許建東先生・張建敏先生、広州馮良勇先生・彭長紅先生、行方七段、本間五段、袴田氏、筆者他のメンバーで和気藹々とした会食となる。
午後からは京都から将棋普及指導員五段小野厳氏も参加された。
午後は引き続き三教室でのトーナメントと講堂での指導対局が行われた。15:00となりすべての対局が終わり、表彰式に移る。
各グループの第1位として李響君(北京)、張震君(北京)、顧冠明君(上海)、周子超(広州)が表彰された。続いて2位、3位そして敢闘賞、参加賞が授与された。
行方七段、本間五段はじめ日本からの参加者にも主催者や子供達から記念品がプレゼントされた。
普及の問題点
北京の李民生先生と将棋の普及について話しあった。現地でかかえている主な問題点は下記の通り。
・指導者不足
北京には約三年間プロ棋士の訪問がなかった。また日本人駐在員ボランテイアがいない。(以前は三菱電機の庄司さん、豊田通商の袴田さん、伊藤忠の筆者等よき協力者がいたが、今はいない。)
・教室の確保
小中学生は少年宮や学校で将棋を指しているが、そこの指導者や校長が日本将棋に理解を示し、将棋教育に賛同してもらえないと場所の確保ができない。また、高校生以上が将棋を指せる場所があまりない。
・スポンサーの確保
年間3回以上は将棋大会をやりたいのだが、スポンサー・後援者がなかなか見つからない。以前アマダの岩谷さんが将棋大会開催を支援してくれた時期があったが、いまはそのようなスポンサーがいない。
将棋大会の開催費用は個人負担で行うが、将棋教師の報酬の中から負担できる費用はわずかであり、また、保護者の費用負担にも限界がある。今回、上海・広州からの参加者は交通費・宿泊費等は全額自己負担である。
上記の指導者不足とスポンサー確保については北京でサポートしてくれそうな日本企業や個人をさがして見ることとした。手始めに袴田氏のはからいで、豊田通商の北京代表を李先生に紹介することになった。
なお、ISPSとしてこれまで実行してきた相互訪問や将棋大会の後援は今後もできる限り継続して行きたいと考える。
中国の将棋人口
中国の将棋人口は着実に増加している。許建東先生、李民生先生らの努力の結果である。
現在の将棋人口は上海10万人以上、北京2万人、広州数千人、その他省市を含めると少なくとも15万人はいると公表している。(許先生によればもっと多い。)広州では許建東先生らが二年前に現地を廻り、数ヵ所で将棋教室を開いたとのこと。馮良勇先生(27歳)、彭長紅先生(38歳)ら数名が指導をしている。
今回、中国内陸部寧夏回族自治区銀川市青少年宮からも幹部の伊兆栄氏らが見学に来ていた。(銀川市は北京から約千キロ、飛行機で約二時間。)今後、銀川市でも将棋を取り入れたいとのこと。日本将棋の普及が中国の地方都市にも広がる可能性がでてきた。
嬉しい再会
筆者は以前商社マンとして北京に駐在し、1995年から1997年にかけて少年宮で将棋を指導したが、そのころ何回か将棋を指した子供達と再会できた。中には日本に来た子供達もいる。
小学生で下級生だった李鵬宇君がすでに18歳となり、北京経済貿易大学に入学し、行政管理を専攻している。選手として出場していた。小学生上級生だった劉万超君は21歳となり少年宮で李先生の助手をしており、今回の審判員を務めた。小学一年生だった李響君もいまや高校生、選手として出場し、立派に優勝した。
上海の楼山中学で知り合った顧冠明君や湯順傑君らもこの大会に参加しており、久しぶりに再会できた。
李先生、許先生の教え子達が立派に成長し、今でも将棋を指し続けていることを目の当たりにしてこれ以上の喜びはなかった。若い世代を育成してくれることだろう。
李先生、許先生ともにこのような大会を継続、発展させていきたいと考えている。
今回三都市大会を契機として、来年はできれば東京、横浜からも参加してもらい四都市か五都市に拡大して実施したいと抱負を述べている。
ISPSとしても来年の第二回大会に日本の小中学生を引率し参加することを検討したい。
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