イラクの中心で王手と叫ぶ日を夢見て(32号,6月18日発行)
バクダッド通信-まだまだ厳しい毎日
「将棋を世界に広める会」の理事であるからには、外国に出たら将棋の普及に努めなければならない。しかし、残念ながら今の私にとっては、それは難しい。(山田彰)
高いコンクリート・ブロック、何千と積まれた土嚢、障害物、数多くの警備員に守られた建物、時として窓ガラスに響く爆音覧翼Cラクの首都バグダッドの日本大使館の中で、私はこの原稿を書いている。復興人道支援活動に従事する約600人の自衛隊員がイラクのサマーワで活躍していることは良く知られているが、そのサマーワとバグダッドに外務省員が勤務していることはあまり知られていない。
イラク戦争が始まる直前の2003年3月まで、私は外務省から別の役所に出向していたが、その時は、中東にほとんど土地勘のない私が将来イラクに勤務するようになるとは想像もしていなかった。しかし、同年4月に外務省の無償資金協力課長になった時からイラク支援に奔走する毎日になった。11月にはイラクに出張して約2000キロを車で走り、バグダッドや地方都市を訪問し、支援対象のプロジェクトを訪問し、イラクの人々から話を聞いた。困難な状況の中で、日本の顔を見せながら支援を進めることは可能と感じて帰国したのだが、イラクの治安はさらに悪化し、帰国の三週間後日本の二人の外交官がテロの凶弾に倒れるという衝撃的な事件が起きた。その一人は私の最も親しい友であり、それ以後イラク支援は私個人が特別のコミットメントを感じる仕事になった。そして、昨2004年の夏から、日本が世界中で構える在外公館のうち最も危険度の高いバグダッドの日本大使館に公使として勤務することになったのである。
外務省が全土退避勧告を出しているイラクの中でも、バグダッド及びその周辺は自爆テロをはじめとする事件が絶えず、館員の行動は極めて制限されている。一部の館員がイラク政府要人と会談するなどの職務上の外出は別として、食事や買い物といった用事で外出することは控えざるを得ない。外に出て文化交流・広報活動を行ったり、人を集めて大会を開いたりすることなどは不可能に近い。イラク人に将棋を広めるなどは当面夢の夢である。
もちろん、こうしたイラクにおいても日常の生活は営まれている。新聞には、スポーツの記事も掲載されるし、その中にはチェス大会開催の記事もたまにある。それほどさかんというわけではないが、イラクでもチェスの愛好家がいるらしい。自衛隊が活動するサマーワでチェスの全国大会?が開かれているといったニュースもあった。こうした人々に対して、将棋を広められるような日がいつか来るだろうか。
イラク人に将棋を広められないので、当面は大使館員と将棋を指すくらいしかない。昨年に着任したときには将棋を指す館員が2、3人いて、彼らと将棋を指していた。私と六枚落ちからはじめて、二枚落ちくらいまで腕を上げた者もいたが、特殊な勤務環境のため継続して将棋を指せるような形にはならない。インターネット将棋という手もあるかもしれないが、一応いつなんどきに非常事態が起きても対応するという建前にあるし、イラクではインターネットの接続自体が不安定であるので、インターネット将棋を指そうという気分にはならない。(そんなに非常事態が起きているわけではないが。)
そういうわけで、最近の相手はもっぱらコンピューター・ソフトである。イラクにくる前に、「イラクの中心で王手と叫ぶ」という題名でかけはしに原稿を書くと約束してきたが、コンピューター相手では王手と叫びがいもないというものだ。
イラクの治安情勢は相変わらず厳しいが、今年になって大使館で迫撃砲音や爆弾の音を聞く回数は減ってきており、若干の改善が見られるような気がする。1月には移行国民議会選挙が実施され、イラク国民は初めて民主的な選挙で自分たちの意思を表明する機会を得た。その後長い時間がかかったが、4月末には新政権が発足した。平和で、安定したイラクへの道はまだ遠いが、イラクは石油資源に恵まれているし、社会の中間層に人材も多い。そして、イラク人は日本人に対しては大変友好的な感情を持っており、イラクの復興について最も期待する国として日本をあげている世論調査もある。いつの日か、イラクでイラク人が将棋を指して「王手」と叫ぶ日が来るかもしれない。
最近のコメント