ベルギーの状況とニーズ(後編)(4号、1997.3.3.)
ベルギーの将棋愛好者たちの将棋普及に関する意見・考え方をお伝えするための前置きとして、前回は自分の体験をもとに当時の状況について紹介してみた。(海宝明)
ベルギーの将棋愛好者たちの将棋普及に関する意見・考え方をお伝えするための前置きとして、前回は自分の体験をもとに当時の状況について紹介してみた。
その最後に触れたところであるが、最新10月号の「将棋世界」を見ると高橋和女流初段のベルギー訪問記が特集として掲載されている。ヨーロッパ歴訪の一環として、オランダの後ベルギーに立ち寄り、さらにフランスでも指導将棋を行うという企画である。内容を見ると、ベルギー将棋連盟事務局長で、以下に紹介する手紙をくれた御本人であるウォルター氏が奮闘している様子がレポートされていた。記事の中身は高橋初段ら一行を観光案内も含めフルアテンドしている様子とか、メンバーが勢揃いして多面指しの指導を受けている場面などが中心になっており、女流プロを迎えて力が入っていることがよく分かるものである。引き続きメンバーたちは活発に活動しているようである。またブラッセルの古い町並みを背景とする全員の記念写真も載せられていた。駐在していた頃を振り返りつつ、今は異次元的な組み合わせである「ヨーロッパと将棋」もそのうちあたりまえのものになるのだろうかなど自問した次第である。
さて、そのメンバーたちの意見を集約してくれた手紙の内容をご紹介したい。私の名前も出てきて少々面映ゆいところもあるが、まずはとりあえず訳文を載せてみよう。
〜高山に挑む〜
私が海宝明氏とブラッセルで知り合ったのは92年の終わり頃でした。残念なことに、氏は翌93年の1月末に帰国しなければならなかったので、会う機会はごくわずかなものでしたが、氏はベルギーを離れても連絡を続けてくれると約束してくれました。そして、事実その通りになって現在に至っております。
最近、私は彼からの便りの中で『世界に将棋を広める会』が日本以外の国で将棋を普及させようという活動を始めているということを知りました。
将棋普及というのはなかなかに容易でない仕事だと思います。それは、様々な困難に遭遇しながら高山登頂を目指そうという行為に比較できるものではないでしょうか。海宝氏は手紙の中でこの将棋普及について何か思うところがあるかどうか、あれば教えてほしいと尋ねてくれました。そこでこれにお答えするため、私はベルギー人の将棋ファンに出来るだけ多く意見を聞いてみることにいたしました。
そのヒヤリングの結果として、将棋を西欧で発展浸透させてゆくためのアイデアを次のようにお示ししたく思います。色々意見が出されたのですが、ここでは最も有益と思われるアイデアや提言のみを敷衍してあることをお断りするとともに、これが皆様の何らかのお役に立てばと願っている次第です。
西欧で将棋を発展させるために
1)ベルギーで将棋を発展させるために有効なこと。出来るならば日本の助力がほしいこと。
=英文で将棋雑誌を編集・発行する。
=以下の詳細な翻訳がほしい。
・完璧な将棋ルールブック(持将棋規定を含む)
・段級昇段規定
=もっと接触機会を拡大する。日本将棋連盟あるいはその他の日本のグループ組織において次のアクションをとっていただくことが出来れば有り難いのですが・・
・ベルギー日本大使館に働きかけてベルギー人と日本人駐在員による将棋の催しを開催すること。
・ベルギーに進出している全ての日本企業に当地将棋関係情報を送り接触のチャンスを増やすこと。
・ハッセルト(訳注;ベルギー東部の都市。日本記念館、庭園などがある)のジャパンセンターにも同様に将棋関係情報を送ること。
=ベルギー将棋選手権のスポンサーになるか、スポンサー探しの手助けをしてくれること。
実力アップをするには
2)ベルギー人が実力アップをするにはどんなことがあれば望ましいか?
=定期的に日本人プロによる講習機会がオルガナイズされること。
=日本人プロによる多面指しの講習は面白く刺激的である。
=将棋の本が読めるようになること。しかし、現実には詰め将棋か必死問題が読解可能なだけ。指し手の解説については日本語の壁がありどうにもならない。
=強いコンピューターソフトの配布
3)コンピューターソフトについてどう思うか?
=複数の人間が以下の条件ならばソフトを手に入れたいとのこと
・ヨーロッパのパソコンOSで動くこと
・リーズナブルな価格であれば・・
上記は質問に対し、いろいろ私に協力を惜しまなかったベルギー人プレーヤーたちの意見の主要部分です。
このプロジェクトが成功することを願うとともに、『世界に将棋を広める会』の発展を心よりお祈りいたします。そして将来、この件に関し更なるグッドニュースが聞けることを楽しみにしたいと思います。
ベルギー将棋連盟事務局長
ウォルター・フレールトブルーゲン 」
さて、上の文章を読まれてどのようにお考えになるだろうか。
ここでは「ベルギー」に於けるニーズとして紹介したわけであるが、これを広く「諸外国」と読み替えてもいっこうに差し支えないだろうと思う。いうなれば、これは日本の外における将棋ファンの生の声であり各国において相応の共通性を持つテーマとも見ることができる。
そこで再整理してみると、彼らの第一のニーズというのは基本的な情報を英語で得られる環境を整えること、そしてその環境の上に於いて何よりも日本人と実際に対戦する場がほしいということにありそうである。
そう述べる上で実は一つだけ注釈を付けておく必要があると思っている。
上記の中でわざわざコンピューターソフトのことについて一項が設けられていることがお分かりであろうが、それはウォルター氏との
手紙のやりとりの中で、こちらのほうから、「日本では普及している将棋コンピューターソフトの英語版を作ったら大いに利用してみたいと思うかどうか」問い合わせたことがあったためである。彼らの現在の棋力にだいたい合いそうでもあるし、一回ならずレターの中で将棋好きな日本人駐在員がいなくなって残念だと訴えていたため思いついたことであった。そうしたやりとりを受けた回答でもある。
個人的意見であるが、こうした試みも意味は十分あるだろうと思っている。パソコンの進化とともにレベルも上がってきているし、私の勤務している会社でも、実戦対局は殆どやったことがないが、ソフト相手には将棋を楽しんでいるという若い人が何人もいる事を発見した。英語版のソフトがあれば既に将棋を知っているEnglish Speaking Peopleたちにはよい刺激になるのではなかろうか。当然ながら問題は採算であって、マーケットの現状から見て商業ベースに乗るとは思われない以上、何らかの助成金みたいなものが必要ではあろう。果たしてソフト開発が国際交流・日本文化紹介の範疇にはいるのかといった観点も含め色々な困難はあるかもしれないがその方向で実現を目指すのも世界にこのゲームの面白さを伝える一つの有力な手段になりうると思う。
しかし、この手紙も含めて、普段からの私信のやりとりとか、或いは当時の会話を振り返ってみると、どうもそれだけではやはり不十分であると言わざるを得ない。本当に求められているものはもっと別のところにあるようだ。
ではそれは何かというと、結局ゲームの面白さを通じた「ヒューマンコンタクト」あるいは「ヒューマンコミュニケーション」の問題になるのではないか。つまり将棋を媒介とする人間同士のコミュニケーションに彼らは一番の価値を見いだしていたように思われるのであるが、またそれは同時に我々日本人側にも言えることであった。
以前ブラッセルにおいて一緒に例会に参加した日本人仲間のひとりが何気なく言った言葉であるが妙に記憶に残っているものが一つある。それは「将棋を指している間は会話が少なくて良いので(外国語がおっくうな自分にはあるいは日本人にとっては)何時間も一緒に対面していても普通と違って結構気楽だし、それで向こうも喜ぶ上にこちらも楽しめるんだから、我々はいい機会を見つけましたね」というものであった。
確かに会話は少く、お互いに盤面に集中する時間が大部分である。しかし、そうして何回か対局している内にそこに同じ時間会話をしていたのに匹敵するほどの十分な相互理解というものが生まれていたように思う。このことはコミュニケーションの本質は何かということに係わる問題でもある。そして会話というのはコミュニケーションのある一部分に過ぎないと言うことの再確認でもある。また自身自分の心理について述べるのは恐縮であるが、振り返って何故私がここのISPSに参加させてもらっているのかという事に対する自分自身への答えであるとも思うのである。勝手に言わせてもらえば、ISPS全体としても改めて活動の基軸は何にあるべきなのかと考えてみたとき、それは「『SHOGI』を通した相互のリアルコミュニケーションの場を作ってゆくこと」にあるのではないだろうか。それが彼らにとっての期待と同様、我々にとっての「意味」になるのではないだろうかと思うものだ。
交流の場を目指して
ただ手紙ををざっと眺め渡して具体的に何が出来るのかということについて話を及ぼすとすると、ある程度出来そうなこともあるけれども、かなり現段階では困難な内容が併存しているのは事実である。ルールブック程度ならば一回限りのものであろうが、指し手解説を含めた本格的なマガジンとなるととても片手間にということにはならない。また、対局機会の拡大についても、日本の中で企画するのと海外で企画するのでは実現性と関与の程度について大きな差異ならびに制約があるのは当然である。
当会は発足して歴史も浅いしまたフレキシブルな集まりであるから、何をすべきかと考えたとき答えはそれぞれの人によって違うかもしれないし、目的と手法のイメージも異なるものがあるのは当然だ。それはこれからの議論でもありまた次第にコンセンサスが出来てくればよい話であろう。そのプロセスにおいてはこの手紙の内容も参考に色々なご意見を伺ってゆきたいものである。
また余計な感想かもしれないが将棋の世界普及というようなことが、自発的に議論されている場が生まれてきていること自体、やはり我々日本の社会もある意味での良い熟成に向かっていると感じるのである。「朋あり遠方より来る。亦楽しからずや」という言葉が21世紀に装いを新たによみがえってくるような場を造っていきたいものである。
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