北京ツア−メモリ−(9号,1998.12.31)
少年宮の小中学生との対戦は、子供達50名に、我々会員15名プラス原田九段という組み合わせ。数の関係上、当然2面指しや3面指しを行うことになり、それでも子供達がまだ余っていて、1局終わると直ぐ次の子供が交代で入って来る。終わりそうな対局を見張っていてその直ぐ後ろで待っていたり、或いは、あっ、あそこが空いたと気が付いてすっ飛んで来るというわけだから、全くトイレに行くヒマも無いほど忙しい。(鈴木良尚)
トイレに行っている間に、良い手を考えられて負けてしまった、とぼやいている会員もいたが、これも仕方がない。
手合い割りは、子供達をA・B・C・Dの4クラスに分けて、飛車落、二枚落、四枚落、六枚落でそれぞれ対戦(ひとり特Aが居て別格の平手)した。一方、会員の方は原田先生別格で他は一律。勿論会員の方も初段から六段まで相当な差があるのだが、これを分けるとまた煩雑になるので、すべて有段者として一括したのだ。ところが、この手合い割が適正でありすぎた為か、四、五段の猛者にとっては何でもないことも、初、二段の会員にとっては、結構苦戦の連続。中には5割の勝率」を挙げるのがやっと、という会員も出てくる状況。勝った子供には日本製のノート(中国製より紙質が良好)を賞品として用意してあったので、そのぶん子供達を喜ばせてしまった。それにしても低段者側はあまりにも苦しい、ということで午後からは六枚落を止めて1ランクずらし、角落、飛車落、二枚落、四枚落、の手合いに変更して、何とか指導将棋らしい面目を保てることとなった。
親子相談将棋
会場には子供達だけでなく、そのお父さんやお母さんが付き添いで多勢来ており、後ろの方から自分の子供を懸命に応援。中には小さな声で、ああしろこうしろ、と子供をリモートコントロールしている親もいる。何とかして子供を勝たせたい、という親の意気込みは立派なものだ。
これは、少年宮の指導方針として、家庭では子供だけでなく、親も一緒に将棋を楽しむように、というお触れが廻っていて、親も一緒に将棋を勉強しているためであり、たいへん結構なことである。私の対局でも1組このような親子がいた。その子が結構強くて4枚落の飛車先から攻め込まれ、飛車の進入は防げたものの、形勢容易ならぬ事態に立ち至った。
ここで一寸トイレに行って時間を置き、席に戻って来ると、やおらその子が、待ってました、とばかりに力強く王手を掛けて来る。王様を下や横に逃げるとダメなこと、ひと目明白。そこで敵の浮飛車めがけてヒョイと上へ上がった所、ここで親子揃って同時に「ううっ」というようなうめき声。親まで合唱してしまっては、これで親子合作の王手であったことが完全にバレた。私がトイレに行っている間に話し合ったに違いない。王様が上に上がって来るなんて、全く気が付かなかったらしい。このあと、心なしか親のヒソヒソ声が減ったような気がした。結局、入玉のうえ、飛車まで取って下手の王は詰み。親子相談将棋に花を持たせてあげられなかったのは、私のせいなのだ。家に帰ってから親子喧嘩になっていなければ良いが、と案じている。
泣くな小鳩よ
次も結構それなりに強い子の話。第1図は上手と下手が上下逆だが、4枚落で下手が▽7六歩と金頭に歩を打って来たところ。これは手筋の歩だ。▲同金とも▲同銀とも取れない。そこで私は、これを放置して、▲7五桂と飛車取りに打った。この子は飛車を逃げるに違いない、と踏んだのだが、あにはからんや、▽7七歩成とやってきた。おぬし強い!上手が飛車を取ると更に銀まで召し上げて、上手の王は袋の鼠、という計算だ。どうやら、この子は勝負の気合を知っている。
しかし、日本のオジサンだって負けてはいない。ここからオジサンの底力を見せなければ、と少し読むこととする。そこで奸計を発見。先ず、▲6五桂の王手。案の定▽5二王と逃げる。しめしめ!そこで、▲6四桂と追撃。▽5一王と下がる。ここで▲8三桂不成と飛車を取る。下手は勇躍▽6八とと銀を取りつつ上手王に詰めよ、若しくは詰めよもどきを掛けて来る。そこで上手は▲1五馬と引く。すると、下手は勝ったとばかり喜び勇んで、▽5八金と来たもんだ。なるほど、うまい、これで上手の王は確かに詰んでいる。
でもオジサンは、あわてず騒がず、▲1五馬が下手の王に対し王手になっていることを指摘する。下手はあせった。あ、そうか、とばかり、急いで、▽4二金と上がって王手を防ぐ。実はこれが上手の奸計。▲同馬と切って以下バタバタと詰んでしまった。下手にとっては、王手を指摘されたところで、多分頭真っ白。以下、何が何だかわからないうちに自分の王様が詰んでしまって、まさに天国から地獄に真っさかさま。みるみる両眼から涙が溢れ落ちてきて、これにはこちらが参った。覚えたての中国語で「がっかりしないで、これからたくさん練習しようね」と言ってあげる。
これが後ろで見ていたお母さんに通じたらしく、「リエンシ、リエンシ(練習)」と子供に声を掛けていた。こんな時はどうすれば良いのでしょうか。胸キュンでした。
あア 惜しい
次の子は陽気で明るい子の話。この子も強くて参った。決して無理をせずに、数で攻めて来る。必死に抵抗したけれど、駒が3つも成ってきて、上手玉は右端の方に追いやられてしまう。しかし、上手という怪物は、さっきの話ではないけれど、下手の気が付かないうちに、そっと罠を仕掛けて1手違いの大逆転を狙っていることを忘れてはいけない。
ところが、こういう場面で時間終了の報せが来てしまい、打ち切って下さい、というお触れ。一瞬この子の顔を見ると、「ああ、惜しい!」とばかりに右手で机をポンと叩いてニコニコしている。この動作はいかにも、あと一寸で勝ちだったのに時間切れで惜しいなあ、という表現のものだ。上手としては、現在劣勢であることは認めるが、まだ終わったとは思っていない。でも、この子の完全に勝ったと思っている笑顔を見ているうちに、ついもっと喜ばせてあげようという気持ちになってしまった。そこで「君の勝ちだ」とこの子の対局表に丸を書いてあげたところ、それはそれは大喜び、全身で喜びを表現して帰って行った。
これで私の対局表には3つ目のバツ印が付いたけれど、心は晴れ晴れ。これで良かったのかしら。でも可愛い女の子には、全部負けてあげた、という会員はホントにいなかったのでしょうね。
プレゼント、プレゼント
少年宮での歓迎セレモニーは、気持ち良かった。我々ゲストを壇上に座らせて、ひとりひとり紹介してくれた。そして全員にプレゼント。日中両国国旗を交差させた胸に付ける小さなバッジ。まさに友好交流の印そのものだ。これがなかなかカッコヨク、そこいらの店などでは売っていない。その他に、毛筆の「書」だとか、両側から見ても同じ向きの猫の刺繍(これはホテルの売店で150元(約2千5百円)で売っていた)を頂いた。
それから原田九段より今回のツアーの将棋大会参加者全員に、直筆の(直筆ですぞ、直筆、つまり印刷ではないオリジナルということ)扇子を頂いたのです。将棋を世界に広める会のツアーは絶対に参加した方がトクです。
あ、それから、対局した子供達の殆どが、小さなプレゼントを用意していたのには、これまた感激。勿論、最初に対局した会員だけしか貰えないわけだが、因みに私が貰ったのは、小さな金色の亀が付いたキーホルダー、高さ10センチ位の磁器製の可愛い顔をした猫、それに四角い弁当箱位の大きさの紙包みの3つだった。最後の紙包みは、その場で開けなかったので、何だかわからなかったが、ホテルで開けてびっくり、何と、中国文房四宝と呼ばれる、毛筆(2本)、墨と硯、文鎮、白地の印鑑と朱肉、のセットだったのである。勿論、小さいとは言え、飾り物ではなく立派な実用品だ。
帰りに空港でお土産品コーナーでみたら、同類のものが150元で売られている。中国人の平均月収が600元とのことだから、月収の4分の1の値段だ。こんな高価な物だったとしたら、あらためてお礼を言わなければならないが、今となっては、もはや、どの子から貰ったものなのかもわからない。でも、そんなに高価な物をプレゼントをする筈もない。ひょっとすると、その子のお父さんが、この商品の生産者か何かで、十分の一位の原価で入手出来る立場にあるのではないか、との結論を出し、有り難く頂戴することにした。
一方、会員の中には、予め子供用のプレゼントを用意していた方も散見された。日本製の鉛筆や消しゴム、それに小さな王将の駒にヒモのついた小物などである。私は将棋を指すのが最大のサービスと考え、何も用意しなかったのだが、やはり用意した方が良かった。私と対局した子供達は不運だったのだ。
原田九段の指導将棋
ホテル内では夕食後、一部屋が会員同志の親善対局場として提供された。そこで将棋の好きなツアー添乗員の尾沢さんが、会代表の真田さんに2枚落で、しごかれていたとは知るや知らざるや。勿論、原田先生も会員への指導対局に余念がなく、幸せな時間を享受した会員も多勢いた。しかし、なかでも最も幸せだったのは、中橋さんと私であったと確信している。何故ならば、万里の長城観光の日、原田先生はホテルでお休みするので、誰かいたら将棋を指してもいいですよ、とおっしゃって頂けたのだ。中橋さんは、一人だけでは何だから、と私と同室の池谷さんに誘いの電話をかけてこられたので、これに乗ってしまったのが私の方だった、というわけである。
お蔭様で一日静かなホテルの一部屋で、先生と一対一で御指導頂けたのは一生の思い出。しかも、飛車落で2番も緩めて頂いたものだから、つい嬉しくなって、こんな所にも書いてしまうのだ(これでは少年宮の子供と同じだ)。しかも「敵」様からお茶や御煎餅のサービス付きだったのです。因みに、敵とは原田先生のことではなく、先生の奥様のことです。何故奥様が敵なのかというと、原田先生がどういうわけか奥様を、敵が、敵がとおっしゃるからなのです。これからは、私も家内のことを敵と呼ぶことにしようかなア。
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