« 8月エリックさんと将棋を指す(9号、1998.12.31) | メイン | 北京ツア−メモリ−(9号,1998.12.31) »

北京滞在日記(9号、1998.12.31)

  去年北京少年宮の子供達を日本に招待した時から、こちらからの北京訪問が懸案事項だった。少年宮という制度にも興味があったし、そこでの将棋教室の様子も見たかった。短い時間とはいえ、日本で積んだ研修がどのように実を結んだかも確認しておきたかった。(山田禎一

寒いぞ-  

 7月になってそれが実現しそうになってきた。JTBの協力を得て、ツアーが組めるかもしれないというのだ。いくつかの日程案をJTBからもらったが、費用的に無理のないところだと11月の終わりになるという。ちょっと寒いらしいが、雪の北京も乙な物、とここに決定。  決めた途端に、北海道並みに寒いのだと脅かす人が現れる。決めたんだからいいの!とばかり雑音は無視することにして、参加者の募集方法を検討する。かけはしへの掲載は基本。他のメディアはどうするか?週刊将棋紙には頼んでみよう。将棋ペンクラブ会報にも載せてもらえるようだ。将棋ペンクラブとISPSはメンバー的に重なりがある。会員同士の交流会としてもちょうどいい企画だ、ということで、両者の共同企画にすることになった。そこからツアーの団長には原田先生にお願いできないか、という話になり、これも快諾頂く。企画が充実してきた。  後は実際の応募者を待つだけ、いざとなったら親戚・友人に声をかけて人数をそろえようという腹だ。締め切り日を早めに設定しておき、そこでの応募状況を見ることにした。もし少ないようでも対策の時間が充分にある。北京に将棋を指しに行くなんてツアーは誰もやったことがないのでどう転ぶか見当もつかない。JTBの尾沢さんもどの位集まるか不安顔だ。  どきどきしながら締め切り日を迎えてみると、予定の8割ほどの人数の申し込みがあった。その他にも迷っているという人が眞田代表の友人を中心に何人か。これならいける。ほっとした。尾沢さんの目が輝いている。「JTBの将棋部から何人か参加させようかと思ってたんですよ、よかったですね」とニコニコ顔。

少年宮の様子
 北京にもISPSの会員がいる。少年宮の李民生先生、それと三菱電機の庄司政義さんだ。庄司さんは少年宮に頻繁に通い、将棋クラスの指南役となっている。李先生が講義を、庄司さんが実戦を担当と分担されているとか。 庄司さんたちが中心となって、北京の日本人学校と少年宮の将棋の対抗戦も開催されたそうだ。その時の様子を庄司さんにまとめていただいたので紹介することにする。  それではツアーを振り返ってみたい。参加者からのコメントを囲み記事にしてあるのでそちらもご覧頂きたい。ツアーの雰囲気が感じ取れると思う。

11月26日
 朝成田空港へ。集合場所が判らなかったが、ライターの湯川博士さんが原田先生と話しているのを見つけた。少年宮へのおみやげで湯川さんの荷物が重い。普通は帰りの方が重くなるのだが、行きからこれでは大変だ。全員揃ったところで定刻通り出発。北京の気温は零度とのこと、尾沢さんに用意してもらった使い捨てカイロが役に立ちそう。そう言えば寒さに備えて全員重装備で、空港では暑い暑いと口をそろえていた。  北京に着くと道端には雪が残っている。見るからに寒そうだが、出迎えに来ていただいた庄司さん、開口一番「暖かくなってよかったです」と言う。雪が降ったのは先週のことで、昨日今日は気温が上がっているそうだ。日本はかなりの暖冬だったので感覚がずれている。

中国棋院へ

 ツアー一行の内から5名だけ別行動、庄司さんが手配してくれたバンに乗って中国棋院へ向う。中国にも囲碁のプロがいて日中対抗戦などで活躍しているが、その元締めが中国棋院。囲碁だけでなくシャンチーとチェスを合わせて3種目を統括している。中国ではチェスは国際将棋と言い、囲碁は囲棋と書く。シャンチーとは中国将棋のことなので、全部棋類である。  少年宮の子供達が上達し、国際大会を開くようなことになれば、中国棋院の協力が必要になる。いい機会なので原田先生と眞田代表が表敬訪問することになっていたのだ。  中国棋院のトップは陳祖徳氏。元は囲碁の選手で中国囲碁界を世界レベルに引き上げた功労者だ。その人が日本将棋に興味を持っているのは頼もしい。竜王戦の北京対局があった時、立会人を務めたので正座させられて難儀したとか。その時陳先生は原田九段にも会っていたらしい。  中国は書の国だが、書といえば原田九段も負けない。直筆の色紙、扇子などを寄贈して初日から熱烈歓迎ムードで会談は進む。中国棋院の中でも将棋(しょうぎ)を楽しむ人が現れつつあるらしい。 今後、将棋(しょうぎ)に関して北京で何かある時は中国棋院将棋(シャンチー)部が窓口ということになるらしい。  秘書の王氏の案内で中国棋院を見学した後、ホテルに戻って全体と合流。一服してからバスでレストランへ。店内に舞台があり、中国風BGMの生演奏を聞きながら料理を楽しむ。曲目も客層(つまり我々)向けだし、料理も日本人の口にも合ってうまい。早速老酒を堪能する人もいる。食後は舞台の京劇とか曲芸とかを観劇。字幕もないので台詞がさっぱり判らないが見るだけでも面白かった。 11月27日  この日はほぼ全員が参加して観光。北京に来たからには万里の長城に登らずには帰れない。いくつもある登り口の中から今回は八達嶺に挑戦。駐車場近くには毛皮の帽子売りの女の子が待ち構えている。バスから降りた途端に群がってくる売り子をかき分けて登城口にたどり着く。向って右手が女坂、左手が男坂、女坂の方が景色がいいです、とのガイドさんの意見に従い、女坂に挑戦することにした。朝ホテルを出る時の曇天はどこへやら、快晴の青空の中に城郭がどこまでも伸びている。一番奥を目指して城壁の上を延々歩くも途中で挫折して引き返す。端まで歩いたら日が暮れていただろう。  絶景を目の当たりにして、ツアーの女性軍団も写真撮影に余念がない。眞田代表は土産物売りのおじさんをからかって楽しんでいるようだ。定陵という巨大古墳も見物した。立派な建物と感心していたらそれは古墳の前庭で、背後の山と思っていた部分が古墳だという。そのスケールにびっくり。 ホテルに戻る途中で団体客用の土産物屋に寄る。漢方薬みたいのが多い。昼食の時にでたミニボトルの焼酎をみつけた。1本10元(170円)と缶ジュース並みだ。早速1本購入。その晩に消費。

11月28日
 いよいよメインイベントの日である。北京崇文区少年宮での交流親善交流将棋大会に参加したのはツアーの中から合計16名。少年宮からは数十人出てくるので2面とか3面指しで楽しもう、ということだけ事前に決めてあった。行ってみると中国人の熱烈歓迎ぶりに驚いた。人数が多いので講堂でやる、というのは聞いていたが、そこにはひな壇がしつらえてある。開会式の間、北京側のお偉いさんと並んで我々もひな壇の飾り物である。  歓迎の挨拶に応えて、原田九段も挨拶。「駒で良くないのは眠休遊怠死、適材適所が大事です」という言葉に日本人も納得。  日本から持参のお土産を贈呈し、その倍くらいのお土産を頂いて友好ムードが盛り上がる。非売品の日中友好バッチなどは滅多に見ない貴重品だ。一体どこで準備したのやら。幹事の6人には少年宮招聘書が渡された。これからは少年宮顧問ですな。  いざ対局となると子供たちの目が光り始める。原田九段は別室で指導対局、他は講堂での対局。長机を四角く並べて日本人が内側に入る。これで逃げられないという訳だ。いやになる程将棋を指す覚悟を決める。  人数が余りにもアンバランスなので全員2~3面指し。アマでも強豪クラスは指導将棋に慣れているから多面指しも上手を持つのも問題はないが並のアマチュアは未経験の対局形式になる。まあ見落とすこと、見落とすこと。3面指しだと特にひどい。負けるのがいやという訳ではないが、ポカであっさり終わっては申し訳ない。半分は意地で、粘っているといつの間にか形勢は怪しくなり逆転していくという将棋が多かった。

一番真剣なのは

 一局終わると普通は感想戦だが、ここでの感想戦は通訳の負担が大き過ぎる。急所の感想を一言だけ伝えるようにしたが、子供よりも背後の両親に話しているような気がした。まるで進学相談のような真剣な表情でこちらの言葉を待っている。子供の方は負けて残念とか勝って嬉しいとか、とにかく表情が単純なのだが、親はそうではない。これで身を立てられるか教えてくれと言わんばかりだ。考えてみるとここの子供達は全員一人っ子なのだ。  その表情に相応しくて、なおかつ当たり障りのない言葉を捻り出していると、今対局を終えたばかりの子供がノートを片手にやってくる。サインしてくれ、と言う。最初意味が判らなかったが、どうもプロにサインをせがむ感覚ようだ。こちらをプロに近い存在と思っているわけだ。駒落ち、多面指し、親の目つき、サイン。やたらとこちらにプレッシャーをかけてくるもんだと思いつつ周りを見てみると、みんなサインをねだられている。心なしか顔つきがにやけている。プロの気分を味わっているのだ。ま、悪くないね。

少年宮のシステム

 ところで、少年宮とは何だろうか。ここは学校ではなく、放課後に子供達が集まってくる場所だ。いろいろなクラスがあって、自分の好みに応じてアコーディオンを引いたりジャズドラムを叩いたり、あるいは歌を唄い、絵を描いたりする。以前は何を習うかは先生が決めていたようだが、今は子供が好きに選べる。その分、親の費用負担も大きくなったらしい。  地区毎にある(我々が尋ねたのは崇文区少年宮)が学区とは一致していないので他校の子供とも友人ができる。幼稚園から高校までの子がいるがメインは小中学生で、中国式英才教育の現場がここにあるのだろう。各教室を見学させてもらったが、かなりなレベルだ。廊下に張り出してある習字なんて、大人が書いたものと変わらない。もっとも、幼稚園の子供は習い事はしなくて、専らお遊戯にいそしんでいた。  そんな中に将棋(しょうぎ)教室がある訳だが、母体は将棋(シャンチー)教室である。李先生自体が将棋(シャンチー)の教師で、見込みのある生徒を将棋(しょうぎ)の方に引っ張ってきているのだ。このシステムの中で鍛えられればかなりの進歩が見込める。指導体制の確立が急がれるところだ。

勝つか負けるか

 さて、対局に戻ろう。日本側も実力のばらつきはかなりあり、一番上が原田九段、もう1人指導棋士六段の前田さんが参加されていた。この辺になると、勝つときは勝つ、緩めるときは緩めるで自由自在だが、アマの中にはむきになって負かしにかかる人もいて面白い。本当は相手の性格を見て、負かした方が伸びるタイプと飴を舐めさせた方が伸びるタイプを判断したりするのがいいのだろうが、今会ったばかりの子供の性格までは判らない。こちらとしても勝負にこだわった方が子供のためになると思いながら指していた。  ところが前田さんによるとある程度態度で、見分けがつくそうである。勝ちが見えた時に表情が緩む子は厳しく指すようにした方がいいらしい。どちらにしても、私のレベルではそんな調整などできないので、全力で勝ちに行くだけである。  しかし、元が駒落ち、すぐに局面は不利になる。思わず「しゃあねぇなぁ」と呟いたところ、相手の子も「シャーネーナー」と声を合わせる。これには意表を突かれた。言われてみると何だか中国語っぽく聞こえてくる。しかし、意味のある言葉なのだろうか?  ひょいとその子の顔を見ると喜色満面、ニコニコしている。もう勝った、と顔が言っている。前田さんの言ではないが、これは負けるわけにはいかない。むきになって、持ち駒をべたべた自陣に貼り付けて粘りに出、最後は引っくり返してしまった。大人気なかったかな?  ここでちょっと初級中国語講座。先生という中国語は英語はではミスター。~さんにあたる表現だ。それでは日本語の先生を中国語では何と言うのかというと老師と呼ぶ。老は尊敬の意味を示す言葉だから年齢は関係ない。若くても老師である。それで原田先生は原田老師と呼ばれることになるが、この呼び方、原田九段にはぴったりくると思いませんか?  別室の原田老師はずっと2面指しで指導。李鵬宇君が果敢にも飛車落ちで挑んだ以外は全て2枚落ち。こちらの部屋には新聞社の取材が入っていたらしい。後日の棋牌周報と中国科協報に記事が出た。写真に付いていたコメントが如何にも老師らしくて面白い。 「なかなか強い。中には五段くらいの手もあったが、私も60年も将棋を指していますのでそのくらいの手では負けません」  結局12~13盤指導され、1局を除いて全勝とのことだが、楽しみな子もいました、との講評もあった。次ページに4局ほど棋譜を載せる。  夕方5時に全対局終了。ここら辺の時間が正確なのはお国柄。子供達はニコニコして帰り、こちらはくたくたになって、ホテルに戻った。会員同士で指せるように、対局できる部屋を用意してもらうようホテルに予め頼んであった。さすがに今日は使わないだろうと思ったが、この夜も満員御礼となったのでした。お疲れの老師も快く参加して下さり、北京には一日中駒音が響いていたのでした。

11月29日

 帰国の日。なのだが、幹事6名は延泊することになっていた。一日だけじゃもったいないという中国側の意見によるものだ。ツアーの皆さんは市内観光と買い物に行って空港に直行するので、我々とはホテルでお別れ。後は尾沢さんにお願いして、幹事6名は再び少年宮へ。  今度はこちらの人数も少ないので前日控え室として使っていた会議室でまたまた対局する。この日の対局は午前中だけの予定だったので最初から気合充分、全員殆ど負けてないはずだ。  午後は2枚落ち定跡の講義と模範対局。李鵬宇君の下手に眞田代表が上手。ちょっと上手にきつい条件で、李君が模範的に勝ち切った。対局には大盤解説が付き、次の一手名人戦をやってみた。子供達が喜んで、大いに盛り上がる。最後に勝ち抜いた2人には扇子を進呈。  なごりは惜しいが日も暮れた。少年宮を後にして夜はパーティー会場に向かう。中国棋院将棋(シャンチー)部長胡海波氏が主催してくれたもので、普段公開していない特別の会場に招待された。ちょっとびびりそうなくらい立派なところだった。

11月30日

 前日帰国組も無事成田についたらしい。居残り組も今日帰国。 かなり端折りながらの報告でしたが、紙数が尽きてしまいました。撮ってきた写真も山ほどあります。いつかご紹介することをお約束して北京日記は一旦おしまい。 (以下の4局はいずれも1998年11月28日に行われた) harada-ryu.JPG harada-lihouu.JPG harada-likou.JPG harada-kaiseki.JPG

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/437479/20431331

北京滞在日記(9号、1998.12.31)を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

サイトナビゲーション

最近のトラックバック

Powered by Six Apart

Google Analytics

  • トラッキングコード