Translating Shogi-1(1号、1996.4.1)
翻訳の難しさ 本格的に外国語を習ってみると、翻訳という作業の難しさというものが誰にでも理解できるでしょう。二つの言語それぞれの単語と文法を知ることは作業のほんの一歩にすぎません。何世紀にも渡る文化がそれぞれの言葉の中に独特の言い回しを数多く生んでいますので、ある言語に特徴的な単語は他の言語では全く意味を持たないということがよく起きるのです。例えば、エスキモーの言葉では雪を意味する単語が20以上もあります。これをアフリカの言葉に訳すとき、一体どうすれば訳し分けられるかを考えてみてください。(Reijer Grimbergen, 山田禎一訳)
将棋用語の問題点
このような翻訳の場合、面白いことが起きることがあります。翻訳しようとする言語の持つ文化が翻訳作業に影響を与えたら、元の言語の文化を覆い隠してしまったりすることがありえるのです。
将棋の翻訳でも正にこれが起こったのです。30年以上も前に初めて将棋が西洋に紹介されたとき、将棋とチェスの類似点がクローズアップされたため可能な限りの将棋用語はチェスで使われる言葉に置き換えて訳されました。その結果、将棋についての本や雑誌でありながら海外で出版された物は日本人からはほとんど理解できない物になり、一方日本語で書かれたものは重要な本があるにもかかわらず日本人の手で翻訳することが難しくなったのです。
「銀」は silver と訳されることは恐らくご存知でしょうし、「香」がlance(槍)、「桂」が knight(騎士)と訳されることもご存知かも知れません。少し想像力を働かせると static rook(動かない飛車=居飛車)と ranging rook(さ迷う飛車=振飛車)の意味はわかるでしょう。しかし climbing silber(よじ登る銀)や vanguard pawn (尖兵の歩)はどういう意味か判るでしょうか?
国際共通の言葉
そこで私はこの連載の中でいろいろな将棋用語はどのように表現されるかを4回に分けて説明していきたいと思います。これが海外への将棋普及に興味がある方々の手助けになれば幸いです。
英語のように国際的に通用している言語で将棋用語を表現するということが如何に大切か、その重要性を過小評価してはいけません。日本語を知らない人達には、将棋を指すためだけにわざわざ日本語を学習するほどの情熱がありません。将棋用語を国際共通(すなわち日本語以外での)の言語で表現することは将棋を世界中に広めるために極めて重要な役目を果たします。
漢字を取り除く作業
今回は最初ですから、まず将棋盤と駒から始めましょう。
「将棋世界」や「近代将棋」のような日本の将棋雑誌では将棋版の升目は右から左に「1」から「9」の番号が、上から下に「一」から「九」の番号が打たれています。これらを翻訳するときに最も重要な(かつ当たり前の)原則は「将棋の表現の中から漢字を取り除くこと」です。
一般的に言って、外国人には漢字は理解できません。従って世界中誰にでもゲームを理解できるようにするためには漢字を西洋の記号に置き換えることが必要です。よって「一」から「九」を西洋の記号に置き換えなければいけません。初めて将棋を英訳した人はどうすればいいか悩んだ事でしょう。選択肢の一つはアラビア数字(1~9)を使って漢字をそのまま変換することでした。
しかしチェスの文化が将棋の文化に取って代わった最初の例がこの翻訳方法なのです。チェスでは升目は左から右にaからhの記号が、下から上に1から9の番号が打たれます。この考えが流用されて、「一」から「九」をaからⅰに読み替える方法が選択されました。従って、将棋盤の左下の角の升は「9九」の代わりに「9ⅰ」と表現され、真ん中の升は「5五」ではなく「5e」となります。
空飛ぶ戦車!?
次に訳すべき漢字は、駒の漢字です。ここでまたチェス文化が翻訳に大きな影響を及ぼしました。「飛車」は「空飛ぶ戦車」とは訳されず、チェスで同じ働きをする駒、rook「ルーク」の名を与えられました。同じことが「角」(bishop「ビショップ」)と「玉」(king「キング」)にも起こりました。同じく「桂」はknight「ナイト」、「歩」はpawn「ポーン」と訳されましたが、この二つの駒はチェス駒のそれぞれの動きとは完全に同じではありません。
残りは「金」「銀」「香」の3つです。「金」と「銀」はそれぞれgold「ゴールド」とsilver「シルバー」と日本語から字義通り訳されました。恐らく翻訳者の視点から見て最も悩ましい駒は「香車」でしょう。文字通り訳すとfragrant chariot(香り高い戦車)となり、長すぎて不便ですし、この駒の名前がどこから来たかと不思議に思うでしょう。(ご存知の方がいらっしゃいましたら「香車」の由来を私に教えてくれませんか?)
「香」は結局lance「ランス」と訳されてきました。これは槍という意味で、素晴らしい訳だとおもいます。駒の動きを明確に述べているからです。(前にだけ進めて、後ろには戻れない。)
成り駒の呼称
チェスと将棋の違いの一つは将棋ではほとんどの駒が成れることです。チェスでは成ることが出来るのはポーンだけです。そのためチェスには成り駒全般を指す言葉はありません。将棋を訳すときにはpromotion「プロモーション」が「成る」の訳語として使われ、成った駒は頭にpromoted「プロモーテッド」を付けて表わします。「竜」はpromoted rook、「馬」はpromoted bishop等となります。時には「竜」と「馬」を字義通り訳したdragon「ドラゴン」とhorse「ホース」が使われることもあります。
さらには、ほとんどの西洋人選手は「成った歩」を表わすときには日本語の「と金」(tokin)をそのまま使います。tokinという言葉は短くて西洋人にとっても語呂がいいからです。日本語の用語がそのまま外国でも使われている例は他にもありますので次号以降でも紹介します。
次回は西洋の記法では棋譜をどのように表わすかを説明し、基本的な将棋用語の翻訳にも触れていきましょう。
今回のまとめ
日本語 英語
<盤面>
9・・・1 9・・・1
一・・・九 a・・・ⅰ
<駒>
玉 king
飛 rook
竜 promoted rook/dragon
角 bishop
馬 promoted bishop/house
金 gold
銀 silver
桂 knight
香 lance
歩 pawn
と promoted pawn/tokin
成 promoted
(筆者紹介 Reijer Grimbergen ライエル グリムベルゲン 1967 年2月6日モンニッケンダム(オランダ)生まれ。1994年、ナイメゲン大学にて人工知能研究により博士号授与。本稿執筆当時は筑波電総研にてゲームプログラミングの研究中。2004年7月現在山形大学工学部助教授。 将棋は1984年、1回生のときに覚えた。現在四段。オランダチャンピオン6回。ヨーロッパチャンピオンも3回。-Webmaster 註)
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