« Translating Shogi-1(1号、1996.4.1) | メイン | ワシントンDC将棋クラブ(2号、1996.7.7) »

西海岸で出会った将棋(2号、1996.7.7)

忘れえぬ局面

後手:藤本信義
先手:Mr.Jeff Mollett
33手目 先手8六歩まで
33moves.gif
「ううむ、これは困ったことになったぞ。」図の局面を前に、私は考え込んでしまいました。
宇宙開発事業団 藤本信義

 このまま飛車をさばかれては一段金の先手陣は妙に固く、一方私の後手陣は矢倉の角金銀が壁になっていてとてもしのぎきれそうにありません。しかし、相手は将棋を始めて1週間というアメリカ人です。このままずるずると負かされるわけには、どうしてもいきません。何とか打開策を求めて私は長考に沈みました。・・・・
 この将棋は去年の10月15日、私の帰国を惜しんでサンノゼの友枝さんが開いてくれた送別将棋大会で、飛び入り参加のアメリカ人青年、JeffMollett さんと指した一戦です。彼はインターネットの将棋メーリングリスト(電子メールで将棋の情報を交換し合うグループ)でこの会のことを知り、実戦を指すのは初めてといいながら参加してくれたのです。それも、何と1週間ほど前に Shogi for Biginners という英語の入門書を読んで将棋を覚えたばかりというのです。最初は指導将棋と甘く見ていた私も、この局面にいたっては青くなっておりました。彼は元々はチェスの強豪プレーヤーでアジアの将棋に興味を持ち、いろいろ調べているうちに将棋にも行き当たったのだそうです。

世界の将棋・日本の将棋
  カリフォルニア州サンノゼ近辺はシリコンバレーという呼び名で日本でもよく知られています。ここには日本からの駐在員、戦前からの移住者など多くの日本人が暮らしておりその数は万を数えるともいいます。また、日本だけでなく、韓国、中国、ベトナム等々アジアの国々からたくさんの人々がやってきており、アメリカの中でも最もアジアの文化が流れ込んでいるところといえます。そして、それらの人々が、それぞれの国の文化とともに、それぞれの「しょうぎ」を持ち込んできています。すなわち、韓国のチャンギ、中国のシャンチー、タイのマークルックそしてもちろん将棋とチェス。
 遠く国を離れても、将棋ファンの情熱を遮るものはなく、チャイナタウンの一角では、まさに大阪新世界の雰囲気のシャンチークラブを目にしました。そのせいでしょう、日本では手に入れるのすら大変であった中国将棋、韓国将棋の盤駒や書籍がここでは簡単に手に入ります。シャンチーの本はもちろん中国語ですが、うれしいことに漢字で書かれているので、気合い(?)を入れれば何とか読みこなせます。もちろん日本将棋の盤駒、書籍も、日本からの輸入品で少し値ははりますが、手に入れることができます。どの将棋も知れば知るほど深く、おもしろいものです。お互いにそれぞれの将棋を楽しめたらどんなにすばらしいだろうと思いました。

将棋普及の夢
 私が将棋の海外への普及に興味を持ったのは、数年前、会社の同僚が英語で書かれた将棋の本があるよといってSHOGI-Japan's Game of Strategy; by Trevor Leggettという本を買ってくれてからです。当時スペースシャトルの打ち上げ準備でしばしばフロリダを訪れていた私は、この本を手にして、アメリカ人に将棋を教えてみたいなあという漠然とした想いを擁きました。そのころケネディスペースセンターで同じ仕事場にいた日本びいきのアメリカ人エンジニアが囲碁をやっており、日本から本を持ってきてくれるよう頼まれたのを機会に、この将棋の本も渡して何とか興味を持ってもらおうとしたのですが、あまり関心を持ってはもらえませんでした。
 それでまず、チェスプレーヤーならばと思いチェスを少し勉強し直して、その後もアメリカに行くたびに、チェスクラプを探したりなどしてみていたのですが、行き先が田舎ばかりだったせいでしょうか、まったく成果がありませんでした。その私が1年間の予定で、カリフォルニア、ベイエリア(地図をご覧ください)に滞在することが決まったとき、偶然目にしたのがサンノゼの友枝氏が近代将棋の読者のページに投稿された記事でした。
 「これから行く先に将棋の熱心なファンがいる!」そう思った私は矢も盾もたまらず、友枝氏に宛てた手紙の筆を取っていたのでした。その友枝氏から、「いつでも歓迎いたします、まずはお電話ください」との暖かいお返事をいただいたのが、日本を出発するほんの少し前でした。サンノゼの隣に落ち着いた私は早速友枝氏をたずねました。氏はもう長いことサンノゼ地区に住まわれており、たくさんの将棋ファンがたずねてこられるそうです。一時期は10人ほどの在住ファンがおり、将棋連盟サンノゼ支部の結成間際まで行ったものの、転勤、帰国などで現在は人数もへり、現在は少し下火だとのお話を伺いました。それでも、短期滞在者や、近々来訪予定の幾人かの将棋ファンを紹介してくれるとのお話をいただき、1年間の滞米中は半ばあきらめていた将棋が指せるという嬉しさにこころ弾ませながら、私のアメリカ生活が始まったのでした。
 この友枝氏の紹介で、まずは日本から3ヶ月ほどの予定できているコンピュータエンジニアの方やバークレー大学に短期研究にくる先生等にお会いしました。そしてそれらの方々の紹介で次々に将棋の輪が広がってゆきました。なかでも、バークレーにお住まいの GaryPicker さんは大変に熱心な方で、ほとんど独学ながら、日本人留学生との実戦で鍛えた力強い将棋を指されます。もう、日本ではあまり見かけない、形は悪いがくそ力のある将棋で実力は立派な二段はあったでしょう。盤駒からチェスクロックまでいく組みもそろえ、バークレー将棋クラブとして、不定期ながらも例会を開いています。

インターネットのおかげで
 インターネットというのは、今大はやりですが、元々は大学や、軍関係を中心にアメリカで発達したコンピューターネットワークが基になっています。これが、私の渡米の前の年くらいから、商業利用の分野でも急速に発展しだし、ことコンピュータ利用ではアメリカに大きく遅れをとっている日本でもようやくコンピュータのネットワーク化が加速度的に進みはじめていました。私がパソコン通信を始めたのも、元はといえば、日本のニフティサーブという商業ネット上で将棋が指せる事を知ったからでした。しかし、日本とアメリカとの電話料金を考えれば、さすがにアメリカからこれを利用するのは無理だろうと思っていました。ところが、インターネットの急速な普及がそれを可能にしました。私の部屋のコンピューターが、まったく日本に居るのと同じ感覚(スピード、料金)で日本のニフティサーブなどにつながったのです。
 さらには、友枝氏に紹介していただいた方の一人から、前述の国際将棋メーリングリストの存在を教えていただき、アメリカから、さらに世界の将棋ファンへの窓が大きく開きました。ここを通じてアメリカにいながらにして、世界の将棋ファンの意見を聞いたり、電子メールを使ってイギリス、ドイツ等ヨーロッパの将棋ファンやアメリカのほかの地区の将棋ファンとの郵便将棋が楽しめるようになりました。そして、これらの方々の実力や、熱心さに目をみはりました。ここで知り合った方々とは、帰国後も電子メールを通じて将棋を楽しんでいます。
 また、冒頭でも書いたように Mollett 氏はネットワークを通じて将棋大会を知り、サンノゼ近郊(といっても車で1時間弱)から駆けつけてくれたのでした。また、インターネットは滞米中の私にもう一つの扉を開いてくれました。折りしも、リコーの将棋部が開いたホームページに接続し、感想の電子メールを出したところ、本会の谷川さんからお返事をいただき、また、「将棋を世界に広める会」のご紹介を受けたのです。それは、アメリカにいて私が求めていたもの、そのものでした。

神様のプレゼント
 恐らくあの友枝さんの記事を目にしなかったら、アメリカでのたった1年の間に、これほど多くの人々に巡り合うこともなかったでしょう。アメリカで将棋を広めたいな、という考えてみれば途方もない夢、そんな思いをずっと擁いていたので、神様がちょっとプレゼントをしてくれたのかもしれません。
 ところで、冒頭の将棋ですが、あのあと、 Mollett 氏に角が歩の頭にダイブするというチェス感覚(チェスのポーンは正面の駒は取れませんね)の一手ばったりがでてあっけなく終局となってしまいました。氏とはいま、電子メールを使って、どちらにとっても未知の将棋であるマークルック(タイ将棋)を戦っています。将棋を通じての世界の旅はまだまだ当分続きそうです。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

サイトナビゲーション

最近のトラックバック

Powered by Six Apart

Google Analytics

  • トラッキングコード