北京・少年宮−その後(ISPS訪中団フォローアップ)(10号,1999.6.2)
2月上旬、中国のWTO加盟問題に関する協議のため、上海と北京を訪問する機会があった。私は、昨年11月の将棋を世界に広める会(ISPS)の訪中に参加できなかったことを大変残念に思っていたのだが、今回の訪問で、是非少年宮を訪問してその後のフォローアップを行おうと考えた。幸い、出張は週末をはさんでいたので、2月7日(日)の午前中に北京の少年宮を訪ねることができた。(山田彰(外務省勤務))
2月の北京はとても寒いと予想していたのだが、偶々なのか北京は暖かい晴天で東京とあまり変わらない。少年宮には北京在勤経験があり中国語の堪能な同僚の杉田事務官が同行してくれたのだが、少年宮に向かってホテルを出発した後に、彼は車の運転手となにやら話し合っており、「ところで少年宮の住所はどこでしたか」と私に聞く。実は北京には北京市の少年宮があり、また色々な区にも区の少年宮があるそうで、我々が向かう崇文区少年宮はあくまで崇文区の少年宮なのであった。ただし、後で聞いた話では、崇文区の少年宮は活動が活発であり全国でも模範的な少年宮で、王所長(主任)は市の少年宮の所長への異動を打診されたときに、崇文区の少年宮に勤める方がよいと言って断ったそうである。
さて、少年宮に着くと、三菱電機(中国)の王タンさんが待っていてくれた。ISPSの訪中団の際に色々とお世話していただいた三菱電機の庄司さんは帰国されたのだが、今回の訪問のために庄司さんから紹介された王さんが色々アレンジして下さった。
少年宮で李民生先生に出迎えを頂き、王軍主任ともお話をする。私からは、ISPSの中国訪問が大変な成功で、団員は皆満足して帰ったし、日本の種種の将棋メディアにも取り上げられたこと、北京の少年宮の少年を中学生名人戦に招待する企画が進行中であること等をお話しした。
王所長は、少年宮では最近特に将棋に力を入れている旨述べていた。ISPSの訪中のせいもあるのだろう。
私は、仕事に紛れてお土産を買うのをすっかり忘れてしまい、かけはしとISPSの訪中の時の写真をたくさん渡しただけで、お土産を差し上げられず、残念な気がした。王軍所長からは私だけでなく、王さん、同行の杉田君にも扇子と日中友好バッジが贈呈され恐縮してしまった。みんなで写真を撮ったが、ISPSの訪中団の写真が掲示板のところに何枚も飾ってあった。なるほど、将棋は崇文区少年宮で重要視されている。
しばらくしたところで、子供たちが対局を楽しみにしているとのことで、対局に移る。子供たちが指している教室ではなく、留守中の副所長の部屋を使って、三面指しの対局ということになった。三面指しなど簡単、四面指しでも大丈夫と思っていたが、久しくそんなことはやってなかったので、実は慣れないところで馬脚を表し、たくさん悪手を指してしまった。
少年宮最強の李鵬宇君との平手の一局で頓死してしまったのが今回のハイライト。平手での対局を申し込まれたときは「へー、だいじょうぶなのかな」と思ったが、李君は闘志満々の顔つきで駒を並べている。相振飛車の戦型となり、李君は経験は少ないと思うのだが、金無双に構えて堂々の駒組。ただし、細かいところを言えば、李君の交換した歩の数が少なくちょっと彼の作戦負け。中盤の入り口で、李君は、いきなり端攻めを仕掛けてきたが、これは無理ですぐに私にとがめられて、銀角交換の駒損になり、さらに角を打ち込まれて李君は一気に不利に陥った。私は、最短距離の寄せに入り、この将棋はもう終わったと思い、むしろ別の飛車落ちの対局に集中していた。この対局は、原田九段が「才能がある」と評した少年(名前は忘れてしまった)との一局で、序盤いきなり私の単純な錯覚で上手の銀損。三面指しの中で単純ミスが出てしまった。それから気合いを入れ直して指したが、少年は鋭い指し手も交えて、飛車を成り込み、上手は苦戦。少年にはお母さんがついていて心配そうな顔つきで棋譜を取っている。さて、李鵬宇君との対局は、必死がかかってどうにもならなくなったところで、比較的早指しだった李君は長考に入ってしまった。私は、三面面指しのうち、正面の飛車落ちに専心していたところ、10分近くたったところで8三歩成(部分図参照)。
私は何も考えずにすぐに同歩と指し、指したその瞬間に気がついた。李君も全くあきらめていたと思うが、とたんに顔が明るくなった。李君の手が踊ってご覧の通り三手(8二角、7二玉、7一金)で頓死。むろん、8三同歩のところで同玉あるいは7四玉で何ら問題なかった。
局後少し感想戦をしたが、李君は大喜びで引き上げていった。後で、みんなが将棋を指している教室をのぞいたら、李君はにこにこしながら解説用の大盤に直前の一局を並べて一手一手棋譜をつけていた。三面指しとは言え舞えたのは悔しかったのだが、李君の喜びようを見ていると負けて良かったのかなと思えてきた。 一方、飛車落の方は、上手の怪しげな粘りにごまかされてついに逆転。少年もお母さんも負けてしょんぼりしていたので、感想戦ではいい手をほめてあげた。全部で10局近く指したが、もう1局二枚落ちで負かされ、ISPSの訪中でみんな強くなっているのではないかと思わず考えた。
午前の対局が終わって、李先生と北京名物羊肉のしゃぶしゃぶの火鍋を食べに行く。羊肉も牛肉もとても薄く切ってあっていくらでも食べられる。そこで、こんな話しをした。
「私の母校の創立者の一人は嘉納治五郎というのですが、彼は日本古来の柔術を柔道という武道として確立し、それを世界に普及するために生涯を尽くしました。今では、柔道はオリンピック競技にもなっていますが、日本は金メダルを取るのもなかなか難しくなっています。日本の将棋が本当に世界に広まれば、その時には外国人の名人、チャンピオンが出るかもしれない。それを残念がる日本人もきっといるだろうけど、文化が世界に普及するということはまさにそういうことであり、嘉納治五郎も今日の柔道の様子を墓の下で満足に見ていると思う。将棋も柔道のように世界に広まることを我々は夢見ています。将来、中国から日本の将棋のプロ棋士が生まれる日がいつか来るでしょうが、その時には李先生は中国の先駆者として歴史に名が残るでしょう。」
李先生はにこにこしながら聞いていた。
中国からはその後、上海の許先生も小学生名人戦に出る中国の子供を連れて訪日したし、中学生名人戦への招待も実現するらしいので楽しみだ。
今回は、北京の大使館でも上海の総領事館でも、中国における将棋の普及を大いに応援してもらえるように、仕事の合間に陳情してきた。
私の方は、異動のため当分中国に行く機会はなさそうであるが、今度は世界の別の地域での普及にまた何かをしたいと考えている。
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