世界棋類大比較(10号,1999.6.2)
会員の皆様は、日本の将棋の魅力、他の国々の将棋・チェス類との違いについて雄弁に語ることができるでしょうか。将棋は王と金以外のすべての駒が成ることができるし、成らないこともできる、また、将棋には取った駒を再使用できるルールがあってそのことが将棋を終盤になっても複雑でおもしろいゲームにさせている、などがすぐに思い付きますが、そこからすすんでさらに日本の将棋の魅力を外国の方に伝えようとすると、つまってしまうのではないでしょうか。子供のころに自然に習い覚えて、自分にとっては将棋はおもしろいゲームということが当たり前すぎるようになってしまっているので、私などはなかなか将棋の魅力を外国の方に雄弁に伝えることができません。(Larry Kaufuman/寺尾学)
「将棋を世界に広める会」のメンバーでありながら、そういうことではうまくない、と思っていたところ、インターネット上で将棋について主に英語でディスカッションするメーリングリストの SHOGI-L に、6月の国際フォーラムで来日が予定されているアメリカ合衆国の Larry Kaufman 氏が非常にためになるエッセイをこの2月に寄せられて、世界の将棋ファン、特に、各地で将棋を広めようと尽力している人の間で話題になりました。氏の許可を得ましたので、日本語に翻訳してご紹介いたします。このエッセイは、SHOGI-L メーリングリストで、一月ごろから、大将棋、中将棋などの話題が出始めたときに、関連として発表されたものです。
氏は、7種類のゲーム(将棋、チェス、シャッフルチェス、グランドチェス、シャンチー、チャンギ、中将棋)について、下表の8項目それぞれに最高各一点を与え、合計8点満点で比較評価をし、将棋に最高点を与えています。(下表は、氏のエッセイの内容に基づき寺尾が作成した)
(以下本文)
私は、将棋とわずかに関連する将棋 Variant についての話題が、このリストではやや多すぎるのではという印象を受けているが、(SHOGI-Lの場でチェス・将棋類に属する様々なゲームを比較することに)大いに関心があるようなので、私も、これらの将棋 Variant に対して、本将棋が Variant に対して比べものにならないほど指されていることを考慮しながら、持論を述べてみたい。
まず最初に、私が何者かを説明しておくべきだろう。私は、世界で、チェスと将棋の両方においてレーティングで 2400 を獲得した唯一の人間である。すなわち、チェスにおいてはインターナショナルマスターであり、将棋においてはアマチュア5段の実力をもっている。また、私はかつて、合衆国において、東洋人を除いては最強のシャンチープレーヤーと目されたことがあり、また、チャンギ(朝鮮将棋)、中将棋、またグランドチェス( Capablanca の 10マス X 10マスのもの ) についても約10局くらい指したことがあるので、それぞれについて、どんな点がよくてどんな点がよくないかの感触をもっている。
私の考えでは、これらのゲームを比較するときに考慮すべき重要な点は、以下の点である
・そのゲームの習熟者同士の対戦における引き分けの頻度(少ないほど可、ただし、ごく小さな引き分けの可能性があるほうが、全くないよりも好まれるかもしれないが)、
・先手後手の勝利の可能性が大ざっぱにいって等しいこと、
・序盤を記憶することの重要度(少ないほど可)、
・複数の駒を用いることで手が広いこと(主に チェッカーズを意識。囲碁にたいして指摘する人もあるかもしれない)、
・歴史、伝統の有無(非常に望まれる)、
・一局の長さ(長すぎず、短すぎず、多分に主観的なものではあるが)、
・戦略的な原則の有無(多いほど可)
・早い段階からの先手後手の相互作用(望ましい、なぜなら、相手がどう指すかをみないで自分の指し手をきめられるのならば、そのゲームは面白みが不足していると考えられる)。
以上の8点である。
まず、チェス・将棋類のなかで、もっとも広範囲に楽しまれている(最も多くの国で指されている)チェスについて検討しよう。チェスは、歴史と伝統、ゲームの長さ、戦略的原則、および、早期の相互作用の4点において、非常に高く評価できる。しかし、残念なことには、引き分けの割合が高過ぎる(ハイレベルの者同士では約50%におよぶ)。この引き分けの多発は、競技者のファイティングスピリットの欠如からくるというよりは、チェスというゲームの性質上からくるといってほぼまちがいのないところだろう。先手後手の勝率は極めて等しくない。すなわち、ハイレベルの競技者のゲームに於ては、後手が3勝する間に先手はだいたい5勝している。序盤の知識は、ハイレベルの競技者間では、重要すぎる。もっとも、これについては、シャッフルチェスというアイデアが解決策となりうるのではあるが。
手の広さについては、悪くないという評価ができるが、もっとよくなりうるともいえるだろう。ということで、チェスは、8つの評価項目のうち、4.5 項目についてよい評点を獲得した。シャッフルチェスも評点は同じになる。なぜなら、序盤の知識で得点した分、シャッフルチェスは歴史と伝統が無く、その面で失点するからである。
次に、中国チェス(シャンチー、訳者註)についてみてみよう。私の信ずるところでは、チェスの変形で最も多くの人に指されているゲームである。シャンチーは、「歴史と伝統」「一局の長さ」「序盤からの相互作用性」では、チェスと同じく高得点を与えることができると考える。しかしながら、「戦略的原則の多寡」については、中程度の評価である(沢山の戦略的原則は存在するが、チェス程は多くないと感じている)。「引き分けの頻度」はチェスより少し低くはなるが、依然として高すぎると考える(引き分けが多い大きな理由は、「象」および「相」を自陣にとどめておかねばならない制約にあると私は考えている)。また、多分、チェスほどではないとは思うものの、かなりのところ「先手優位」である。「序盤の知識」は、チェスと同様大きな問題である。「手の広さ」はほぼチェスと同じとみている。よって、私は、シャンチーについてはチェスと同じく4と二分の一点を与えたい。
朝鮮チェス(チャンギ - 訳者註)は、シャンチーの親戚である。シャンチーより、「歴史と伝統」において少し低い評点で、「序盤の知識」において少し高い評点を与えられる。その他の項目はだいたい同じである。よってチャンギには、4.5 点を与えよう。
さて、この場(SHOGI-L 訳者註)で多くの論議の的となっている中将棋についてはどうだろう。中将棋に「歴史と伝統」があったのは疑いのないところである。ただし、そのほとんどが現代のわれわれにとっては知ることができないので、「歴史と伝統」は、0.5 点とする。私は、中将棋では習熟者同士の対戦では、「引き分けの頻度」は低かっただろうと想像する。尤も、現代においてこの仮説を検証できるだけの中将棋の習熟者がいるとは考えられないのではあるが。また、同様に、先手の優位性が、ささやかといえる以上のものになるとは思えない、多分、51 - 49% といったところだろう。
「序盤の知識」については、問題とならないのは明らかである。たとえ、「序盤の知識」が必要だとしても、中将棋のように複雑で決着がつくまでに長い手数を要するゲームで、決定的な要因にはなりそうもない。「手の広さ」については、明らかに並外れている。実際問題私としては、様々な種類の駒(成駒も含む)が存在することによる手の多様性は、人間がゲームを楽しむことができる程度をはるかに超えており、この項目については 0.5 点しか与えられない。中将棋の場合は、手が広すぎることが、駒の使い方に習熟するのを困難なものにしており、結果、対局内容の質を減ずるようにしかはたらいていない。「一局の長さ」は、対局できない長さということではないものの、ほとんどの人が望ましいと考える水準よりもかなり長い。
「早い段階からの先手後手の相互作用」は確かに起こる。しかし、敵陣と自陣の間の空間が広いことことがそれを小さくするようにはたらくので、中将棋にはこの項目で 0.5 点しか与えられない。「戦略的原則の多寡」については、私の意見ではそんなに多くはないように思えるし、戦術的な要素がこのゲームでは支配的のようにみえる。しかし、私としては、中将棋について確かなことをいえるほどには習熟していないので、この項目も 0.5 点としたい。
よって、莫大な時間を中将棋に費やして熟達の域に誰かが到達するかもしれないという留保条件つきながら、中将棋は合計 5 点で、いままでのうちでは、最高点である。私自身は、ときおりこのゲームを楽しむけれども、マニュアルなしで成駒の動かし方を覚えているほど指し込んではいないし、私の技術と楽しみも、ゲームの後半になるにつれ怪しくなってくる。
中将棋の親戚といえる大将棋については、私は、Colin Adams の、「有利さを相殺することなしには、中将棋よりやりやすいゲームといえないのは明らかである」という見解に賛成せざるを得ない。また、これら大きなゲームについの議論を続けるのは、あまり賢いことではないと思う。私は、George Hodges の、「大きな将棋類がこの世に存在することはそれらが本当に指されたということを意味するわけではない」という見解に強く同意する。成り駒が生に戻る大将棋のバージョンについては、まったく引き分けになりやすく、退屈である。中将棋ですら、すでに駒が多すぎ、それが、指されなくなった理由と思われるのに、それよりも大きなバージョンの大将棋について語るのはほとんど冗談に近い。遺憾ながら、私は、天竺将棋については知識がないので、ここではコメントしない。
将棋に対する中将棋と同様、チェスに対しては、グランドチェスが存在する。チェスよりも大きな盤と、チェスにない駒(ビショップとナイトの両方の能力を持つ駒と、ルークとナイトの両方の能力を持つ駒)が、このゲームに新しい次元をもたらしている。私としては、このゲームは、「歴史と伝統」では 0 点の評価である(Capablancaによるいくつかのゲームはここでは評価の対象にならない)。しかし、「引き分けの頻度」は、習熟者の間ではとても低いし(私はまだ経験したことがない)、先手の優位性も小さいといって差しつかえない。「序盤の知識」は存在しない。もっとも、これは、グランドチェスがもっと指されるようになったときには、少し問題となるかもしれない。よって、「序盤の知識」は、0.5 点。「手の広さ」は悪くない。中将棋のように駒が取られすぎてて盤上からほとんどなくなってしまう状態にならなければ、チェスよりも手が広い感じであるが、私としては、ちょっと物足りなさがあるので、0.75点を与えたい。「ゲームの長さ」は、適当と思われる。チェスよりは少し長いが、中将棋のようなことにはならない。
「早期の相互作用」はチェスと同様で、「戦略的原則の多寡」もチェスと似たようなものである。よって、グランドチェスは、あまり指す人が多くはないものの、私の基準からすると、いままで考察したゲームのなかでは、8点満点中、6.25 点と最高の点数になる。
さて、いよいよ将棋である。このゲームは、千万単位の日本人、および、数千人単位の西洋人によって指されている。「歴史と伝統」は豊僥であり、チェスと遜色がない。「引き分けの頻度」(プロ間で 2%, アマチュア間で 1% 程度)は、最小である。(小さすぎるという者がでるくらいである)「先手の優位性」も非常に小さい。(おおよそ52% - 48%)「手の広さ」もほとんど理想的である(チェスの6種類に対して、成りも含めると10種類の動きの駒がある)。「序盤の知識」は大きな問題である。序盤で悪くしたのを逆転するチャンスは将棋のほうが多いとはいうものの、チェスと同様「序盤の知識」が必要である。よって、これについては、0.25 点(おそらく、我々はシャッフル将棋が必要になるかもしれない)。「一局の長さ」は理想的である。「序盤からのの相互作用」もかなりのものであるが、チェスよりは少し劣る。よってこれについては 0.75 点である。「戦略的原則」については、非常にたくさんあるといってよい。多分、チェスと匹敵するであろう。よって将棋は、8点満点中の7点を獲得する。すなわち、これら将棋、チェス類の競争での明らかな勝者ということになる。
とはいえ、将棋は完全なゲームというわけではない。駒の動きが恣意的な場合があること(王、金以外の駒が成れるときに成・不成を自由に決められるルールを指す、と思われる - 訳者註)、戦端を開くのがよくないとされている序盤があり、それゆえにときおり引き分けになること、入玉模様の将棋では、駒数による美しいとは言えない決着の仕方が必要なこと、双方が矢倉囲いに入城するまで、相互作用が起こらない対局が少なからずあること、等の批判が存在する。また、居飛車穴熊の固さは多くの人によって、将棋をつまらなくするもと受け取られ、しばらくの間、振り飛車戦法を歴史の表舞台から遠ざける威力があったが、近年の対居飛車穴熊の藤井システムの成功は、この批判に大きく穴をあけるものであった。これらの批判はあるものの、私としては、将棋があらゆるチェス・将棋類のなかではベストのゲームといえるに足りる根拠をもっていると思うし、また、囲碁プレーヤーを刺激することになるかもしれないのだが(私自身は、囲碁も打ち、囲碁というゲームに敬意を払っているのであるが)、多分、すべてのゲームのうちで将棋がベストなゲームになるものと考える。(翻訳文了)
この文章が発表された後、いろいろな感想が SHOGI-L に寄せられましたが、おなじ合衆国の Doug Dysart 氏の
"I will be printing it out and showing it to most of the chess players I know, as well as newbies to the chess scene."
に集約されているように、チェス・日本将棋以外の将棋は知っているが、日本の将棋は知らない人に対して日本の将棋の魅力を比較論で伝えるのに大変有効なエッセイで、これが発表されたことは将棋界にとってたいへん意義深いことと考えます。拙訳が、会員の皆様の活動に少しでも役立ち、また、日本の将棋界において将棋の魅力の再認識につながればこれ以上の喜びはありません。
(原文は、インターネットに接続できる人ならば
http://www.shogi.net/shogi-l/Archive/1999/Nfeb07-06.txt で見ることができます。
この URL はかけはし10号発行当時と変わっていますので修正しました - Webmaster 註)
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