ダスヴィターニャ・サンクトペテルブルグ(13号、2000.9.15)
綿毛
5月20日の夜、白夜のサンクトペテルブルグに着く。午後10時を過ぎてもまだ明るい。目の前を白いものが舞う。なんだろう?手に取ろうとするとふわりと逃げる。雪ではない。薄い綿のようなもの。
バスで空港からホテルへ向う。道の両側に立ち並ぶ白樺。広がる緑の草原にはたんぽぽが鮮やかな黄色を散らしている。けれど、あの綿毛はたんぽぽのそれとは少し違うようだ。
それから2、3日して、わたしたちはおびただしい量の綿毛が浮遊するサンクトペテルブルグの町で、ポプラと呼ばれる樹木(日本のポプラとは少し違うようだ)の、つぼみの先端に綿毛を見つけた。(高橋冨美子)
バラの学校
5月22日。バスでサンクトペテルブルグの83番学校、別名「バラの学校へ」。
「こんにちわ」と笑顔の出迎え。覚えたてのロシア語で「ズトラーストヴィチェ」と挨拶してみる。どっとみんなが笑って一斉に「ズトラーストヴィチェ」。受けた。
ホールで歓迎のコンサートが開かれた。30人ほどの可愛い合唱団が登場。グリーンの制服の生徒に混じって和服を着た女の子が10人ぐらいいる(聞くところによると母親のお手製とか)。鮮やかな着物の色が白い肌によく似合う。日本の歌を次々日本語で歌う。驚いたことに校歌は浜口庫之助の「バラが咲いた」だった。
続いて弁論大会優秀者の挨拶。流ちょうな日本語だ。内容もまとまっていて淀みがない。
日本語で演じられたプーシキンの「金の魚」も面白かった。正直でちょっとたよりないおじいさんと強欲なおばあさん、金の魚の3人の主役はそれぞれに特色を出していて、飽きさせない。
昼食をはさみ4時まで将棋を指す。用意された盤は19面。こちらの人数に合わせて下さったらしいが、生徒の数がそれに満たないようだ。
2枚落ちから6枚落ちでの対戦が始まった。初戦を見た限りでは、日本の大人たちは強すぎて、子供たちが可哀相という印象を受けた。駒落ちで、力の差は歴然としているのだから、もう少し緩めて指してあげたら…。
そこへいくと、さすがは原田先生、少年の力を引き出すように形を作らせて指していらっしゃる。プロの力をあらためて知る思い。
わたしは3年生の男の子と6枚落ちで対戦することになった。セオリー通り端を攻めてくる。仕方がないので端は破らせてと金を作った。受けにまわると受けてばかりいるので、角と飛車を使って攻めるようにアドバイス。彼が二歩を指したので注意したら、女の子に「なぜ彼に指させないのですか」と日本語で咎められた。
終わると観戦していたちょっとハンサムな男の子からプロポーズされる。さっきの子よりだいぶ大人びた感じ。最上級の11年生くらいだろうか?
でももう食事の時間。残念でした。
お昼は清潔な食堂で心のこもった食事をいただく。量が多いのですこしずつ残してしまう。デザートはとうとうギブアップ。ごめんなさい。
トイレはドアも壁もピンク色、清潔に管理されている。水色のトイレットペーパーがかわいい。小さな扉がついているだけなので、使用している人の足が見える仕掛け。窓側の部分には扉がない。合理的なのだ。
廊下には折り紙細工や紙で作った雛人形などが飾られている。失われつつある日本の良さを、この国で伝え続けている人の努力が見える。
食事が済んでから先ほどの彼を捜した。「指そう」というと、にっこりして頷く。
6枚落ちだ。いきなり銀をただで捕られ王手金で虎の子の金を抜かれる。もう、ハンサムな男に弱いんだから。なんとか銀を取り返し、粘りに出る。なかなか詰ましにこない。入玉が出来るかなと思った途端、綺麗に詰まされた。
今度は気を引き締めて盤に向かう。指しあぐねて居る様子だ。飛車を使うようアドバイスする。けれど、2局目はしっかり勝った。
貴族になった気分
5月23日、大和財団を訪問。その素晴らしい歓迎にびっくりした。ピッコロとバイオリン、チェロの室内楽にダンスやソプラノ、バリトンの独唱が続く。男性はカツラを被り、女性は長いドレスをきている。さながら「アマデウス」の世界だ。部屋の作りがいいのか音がとても綺麗に響く。
昼食の時にはこの室内楽に加えて小さなバイオリンの演奏があった。世界でも指折りの奏者との紹介がある。彼はボランティアで出演してくれたという。
たくさんの浮世絵が飾られた部屋で将棋の対局。バラの学校の少年、少女の顔も見える。この日わたしは5人のロシアの人と対局することができた。
はじめは5年生?の男の子と指した。
ロシア語と英語と日本語で話をする。こちらも片言の英語でジョークを交え談笑しながら指す。クルクル良く動く目が印象的。5局ほど指した。2枚落ちの2歩突っ切りの定跡を教えるとすぐ覚えた。これに2局負けると2枚落としてくれという。4枚落ちだ。さきほど覚えた2歩突っ切りの定跡を使ってきた。ただ、王は囲わない。「囲った方がいい」といっても頭を横に振る。彼の意志で指したいのだ。しかし囲わない玉頭から手がついて下手が負け。もう2枚落とせという。
6枚落ちの2局目をはじめる前、腕組みをして「僕は一局勝たねばならない」と宣言した。仕草がユーモラスでかわいい。
終盤、ついに彼の玉は入玉した。こちらは敵陣に竜を作ってはいたが、小駒の数は彼のほうが多い。わたしは彼の頑張りを評価して投了。頭を下げるととても嬉しそう、いい笑顔だった。
次はモスクワから来たノソヴスキーさんと対局した。彼は英語がとても上手。3級とのことだ。駒を落とそうとするとそのままでいいという。わたしが勝って、悪手を指摘すると「分かっていた」と英語で。彼にもプライドがあるのだろう。もう一度と誘ったが、「もういい」と断られた。他の人と指しますかと訊くとやはりもういいという。友人がロシア語に翻訳した棒銀のテキストを手渡される。色々話しているうちに彼は連珠のチャンピオンで、近く連珠の大会で京都に行くという。そうか、彼の本命は連珠だったんだ。
それにしてもモスクワから10時間もかけてやってきて、彼が将棋を1番しか指さなかったのは…わたしの指し方が悪かったのかしら?
ロシアの将棋は今、種まきが終わり芽を出しかけている大事な時期。バラの学校でも、もっとたくさんの子供たちと将棋を指したかった。そして将棋の楽しさを知った子供たちが定跡を覚えて強くなっていってほしい。そのためには良き指導者が必要だろう。せっかく芽生えたものが枯れることなく伸びていってほしいと切に願う。
メモリー
* ネヴァ川の川巡りは楽しかった。川から見た町並みはしっとりと美しくヴェネチュアを思わせる。イサク寺院の聖堂な
どイタリアの建築家によるものが多いせいだろう。
* この旅で観たバレーも踊りも、音楽や歌も水準の高いものだった。厳しい冬がロシアの高い芸術性やすぐれた文化を育むのだろうか?
* 若い女性の美しさに目を見張る。肌も綺麗だし足が長い、スタイルは抜群だ。柔らかな笑顔についうっとり。
* ピョートル大帝の夏の宮殿も印象に残った。ベルサイユ宮殿を模して造られた金ピカの部屋や家具。わたしには少しも美しいとは思えない。人間の飽くなき欲望を見るばかりだ。広い庭は美しく、歩いていて心地よい。新緑の森の小径には日本と同じ種類の草が数多く見受けられた。
最後の自由時間
T氏とふたりで駈け足でデパートを歩いた。道路に沿って細長く並んだ売り場。ところどころにカフェテラスがあり、家具も洋服もすごく安い。通過した地下道では黒人も見かけた。CD が縦につんである(取りにくそう)。辞書も売っている。
ポーチをしっかり握って歩くが、スペインの街をひとりで歩いた時のような危険な感じはない。跪いたおばあさんの目の前の空き箱に小銭が次々と投げ入れられる。日本ではもう見られない光景だ。一般の人々はそれほど豊かではないはず。貧しい仲間として、弱者を思う気持ちがこの街ではまだ生きている。
待ち合わせの時間を間違えてみなさんにご迷惑をかけてしまったけれど、ゆっくりと変わりつつある生のロシアに触れた貴重な1時間だった。
欲をいえばもう少し街をぶらつき、街頭で売っている絵や、似顔絵を描いているところを眺めたり、雑踏の中のカフェテラスにゆっくりと身を置きたかった。
さようなら
いろいろな思いを乗せてバスは空港へ向う。この5日間ですっかり親しくなったネヴァ川ともお別れだ。2度も食事を取ったカラオケ付きのレストラン、美しいマリンスキー劇場やエルミタージュ美術館、そしてあのムソルグスキー劇場とも…。
ダスヴィターニャ、楽しかった日々。ダスヴィターニャ、サンクトペテルブルグ。
おしまいに、参加者それぞれに細かく気を配って下さった原田先生ご夫妻や真田さんご夫妻、荻原さんに、そして初参加のわたしたちを快く受け入れてくださったみなさまに心からお礼を申し上げます。
楽しい旅をありがとうございました。
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