ニューヨーク第一回将棋世界大会レポート(13号、2000.9.15)
今年5月にニューヨークで行われた第1回将棋大会は、大成功のうちに幕を閉じた。世界各国の予選優勝者を大会側が渡航費用をもって招待し、各レベルの入賞者に多額の賞金を出すというこの世界大会は、日本を除く全世界のアマ最強者を決定するというのがそもそもの趣旨であったが、最終的にはそれ以上の結果を生んだ。(荻原茂孝、ニューヨーク将棋クラブ幹事・将棋世界大会運営委員長)
参加者の多くから頂いた、これまでにない素晴らしい大会だった、心に残る良い体験だったという賛辞が、今大会を企画し実行したニューヨーク将棋クラブのメンバーをねぎらった。準備は半年以上も前からあったが、まずは大会当日の模様から報告したい。
*日本からプロも参加
日本から特別ご参加いただいたプロの石川陽生六段(ニューヨーク支部特別顧問)と近藤正和四段が5月15日(月)にニューヨーク着。17日(水)には日本将棋連盟からの派遣棋士として、飯塚祐紀五段と佐藤伸哉四段のお二人が到着されて、その晩はマンハッタンの中華料理店でニューヨーク将棋クラブ員による歓迎会が行われた。飯塚、佐藤両先生はニューヨークは初めてとのことだったが、たちまちに楽しい雰囲気に飲まれて、二次会までお付き合いとなった。
大会の会場となったのは、ニューヨーク市郊外アーモンクにあるラマダ・イン・ホテル。5月19日の金曜日の午後から、世界各国からの競技参加者および関係者が続々と集まってきた。ブラジルからの総勢8人(競技者でない者も含む)の選手団も、すでに投宿していた。この日の午後10時までに登録手続きを済ませるという規定だ。
登録の際にはすべての人に、大会側が用意した16ページのプログラム、各自の名前や国名が印刷されたネーム・バッジ、今大会に特別制作したTシャツ、アルファベットで大会名が入った珍しい扇子、および棋書1冊が手渡された。事前の手配通り、参加者全員が同ホテルに部屋をとって明日に備える。大会主催者の担当者はこの晩、予選の組み合わせ表やアマプロ戦の対戦表を作って会場に貼り出した。
翌20日(土)が競技の初日である。8時45分から大ホールで開会式。プロの先生方や関係者の式辞と紹介、予選組み合わせ等の説明、競技ルールの確認などが一通り済んで、9時15分に試合開始となった。この日はまず、予選参加者が9ブロックに分けられ、3回戦の結果によってAクラスからCクラスまで分けられた。
*アマプロ角落ち戦
一方各国(およびアメリカ各支部)予選の優勝者にヨーロッパ・チャンピオン、全米チャンピオンなどを加えた合計20名の招待選手はシード選手として、予選に出るかわりにアマプロ戦を楽しんだ。
4人のプロ棋士がすべて角落ちで5面指し。世界から集まったそうそうたるアマ強豪20人が3局ずつ指したが結果は合計してプロの51勝6敗。角落ちという手合いで、さすがプロというべきか、アマが善戦したというべきか評価は分かれるところだ。
アマ側20名のうち、1勝した者が2名、2勝したのが2名で、あとは全敗という結果だった。タイ代表の伊藤千顕さんとロサンゼルス支部代表の浅田拓史君(15歳)がともに2勝して並んだため、優勝者決定戦が臨時に夕食後に大ホールで行われた。159手の大熱戦の末、浅田君が優勝して1,000ドルの賞金を手にした(準優勝者は500ドル)
この日の夕方までにAクラスの第2回戦までが終了。午後、自分の競技が済んだ者は、プロの指導対局に参加したり、将棋道場で自由に対局したりと様々だ。この将棋道場とは、ホテルの2階の会議室を特別仮説道場にしたものだ。日本にある町の道場と同様、席主を置いて個々人の勝敗表にスタンプを押していく。2日間の最多勝者にも賞品が用意されていた。
*盛り上がった夕食会
夕食は、大ホールのとなりにあるホテル内のレストランで全員がビュッフェ・スタイルのディナーを楽しんだ。世界各国から集まった将棋仲間が、飲みながら自由に将棋を語らい合うだけで盛り上がるが、それだけではない。その場に用意されたマイクロフォンの前に各国の参加者が次々と立って、自由にスピーチをしたのだ。それぞれのお国なまりの英語で、自己紹介や抱負今大会に対する思いや感激を思いのままにしゃべってもらった。ついにはプロの先生方までが呼ばれてマイクの前に立ったが、特に、英語を交えて茶目っ気たっぷりに挨拶された近藤先生のスピーチには沸きに沸いた。
夕食後には、思いがけない余興が実現した。プロの4人の先生方が公開対局をしてくれることになったのだ。近藤四段と飯塚五段が対局し、佐藤四段が記録係、石川六段が大盤解説を担当して、即興のプロ対局が実現した。海外にいる将棋ファンにとって、プロの対局を目近に観戦できる機会はめったにないので、こんなに嬉しいことはない。まして、数少ない本を便りに将棋を勉強してきた外国人の多くにとっては、初めての体験だったに違いない。
対局の途中で5回ほど「次の1手」問題をやって大賑わいとなった。石川プロの楽しい解説と聞き手(兼通訳係)の話がすぐ近く対局者に聞こえるので、対局者も時々クスクス笑いながら指しているといった、終始和気藹々としたお好み対局となった。(勝負は飯塚五段の勝ち。)参加者を楽しませて頂いたプロの先生方に感謝したい。
*ハプニング続出
翌21日(日)の朝は、Aクラスの第3回戦、B,Cクラスの第1回戦、および前日Aクラスの第2回戦までで敗退した者のため敗者戦リーグの第1回戦から始まった。
見ごたえのある熱戦が多かったが、こういった大会で特別のマッチでない限り棋譜を残せないのが残念。持ち時間はすべて20分と30秒の秒読み。時間が短いのでハプニングも起こる。
本命の一人と思われたワシントンのラリー・カウフマンはニューヨークの鈴木さん(現全米チャンピオン)に敗れたが、その鈴木さんは4回戦でイギリス代表のトニー・ホスキング(英語で将棋の本を出版していることで知られる)に苦戦。ところが、際どい終盤戦でホスキング氏が二歩を指して、あっけない幕切れ。ふだんは物静かでクールなホスキング氏も、この時ばかりは頭をかかえていた。
ロサンゼルス代表選手であった15才の浅田君の活躍も期待されたが、第3回戦でブラジルから参加された大原さんに敗れた。結局、ベスト8に勝ち残ったのは、Yoshihisa Suzuki(全米チャンピオン/ニューヨーク)、MarcTheeuwen(オランダ)、Chiaki Ito(タイ)、Chuichiro Yamada(マレーシア)、Katsushige Ohara(ブラジル)、Katsumasa Egoshi(ブラジル)、Arendvan Oosten(ヨーロッパ・チャンピオン/オランダ)、Kisao Ichihara(香港)の各選手だ。
オランダ、ブラジルがそれぞれ2名をベスト8に送り込んだという点が注目を集めた。昼食をはさんで準決勝戦が行われ決勝戦に勝ち上がったのが、タイ代表の伊藤千顕さんとブラジル代表の江越克将さんの二人。決勝戦は3時半に予定されていた。
一方、Bクラス、Cクラス、敗者戦もそれぞれ決勝戦が行われ結果は以下の通り。Bクラス優勝:Motohiko Sato(シカゴ)、Cクラス優勝:Sigeru Ishida(ニューヨーク)、敗者戦優勝:第1ブロック・Shigetaka Ogihara(ニューヨーク)、第2ブロック・TakushiAsada(ロサンゼルス)。
*白熱の決勝戦
さてAクラスの決勝戦。特別対局室が2階の個室に設けられた。1階の大ホールでは、プロの先生方による大盤解説が行われ皆がそれに聞き入った。伊藤さんの先手で始まった戦いは、3手目でいきなり角交換から筋違い角の戦型に発展。試合後に聞いた話だが、江越さんは対局前、初対局の伊藤さんに勝つためにどの戦法にしようかとあれこれ考えたが、筋違い角はまったく予想外だったので、3手目の2ニ角成りを見て頭が真っ白になったという。しかしそこからがさすがの実力者だ。玉頭を盛り上げ、チャンスと見るや、端歩を突いた上で5五角と打ち下ろした。ここからは後手の攻勢、先手の防衛という流れとなり、そのまま一気に先手の玉を攻め落して、後手・江越さんの勝ちとなった。
アマ世界チャンピオン、江越克将さんの誕生である。
江越さんは、27才。奨励会に在籍した経験があるそうだが、現在ブラジル在住。サンパウロから400キロも離れたアマゾンの奥地で、現地の孤児のための施設を作ることを目指した活動に従事している。生活を支えるためにマッサージ師をしているという。孤児院設立の夢に向ける情熱も旺盛で、福祉国家として知られるノルウェーの選手などと、協力者を捜す手がかりなどについて話し合っている姿が見られた。ラップトップのコンピューターを買って帰りたいと言っていたが、大会本部席でたまたま見かけたものが約2,600ドルだと聞いて「それはぼくのブラジルでの1年間の生活費ですよ!」と言って舌を巻いた。こんな真摯な青年が3,000ドルの優勝賞金を勝ち取ったことを喜びたい。ブラジル選手団がわがことのように喜んでいたのが印象的だった。
ちなみにこの決勝戦は、インターネットによる実況中継によって世界中に同時発信された。
日本のインターネット将棋道場「将棋倶楽部24」との連携プレーによって、世界初の試みが成功したのだ。 「将棋倶楽部24」主宰の久米さんの報告によると、決勝中継の観戦者数が204人だったということで、これは日本の明け方の時間帯だったことを考えると過去最高数に匹敵するという。
また、ニューヨーク将棋クラブのホームページ(www.nyshogi.com)へのアクセス数が、決勝戦のあった21日には6,600に達したという。信じられないような数字だ。
*楽しい表彰式
決勝戦の後に行われた表彰式では、たくさんのトロフィーと賞金が手渡され、賞品が参加者全員に贈られた。賞金は、Aクラスは1位($3,000)から4位まで、Bクラスも1位($1,500)から4位まで、Cクラスは1位($300)と2位にそれぞれ、プロアマ戦の優勝者と準優勝者にも賞金が渡された。敗者戦優勝者や、将棋道場での成績優秀者にもトロフィーが贈られた。
そればかりではない。プロ指導対局の場におけるMVP賞が、近藤プロのご推薦でノルウェーから参加したAntje Rapmund女史に贈られた。唯一の女性選手だった彼女は、指導対局においても非常に熱心に質問をし、棋力向上に対する姿勢が印象的だったという。
審判員賞(プロの先生方が選んだ入賞者意外の一人)にはブラジルの大原さんが選ばれ、また大会委員長賞(林会長が選ぶ)には、ニューヨーク将棋クラブの和島、藤原両氏が選ばれて大きなトロフィーが渡された。
コンピューター操作が得意な和島さんは、大会本部席のコンピューターの前に張り付いて、対局成績をまとめたり、大会の進行を着々とホームページに載せたり、インターネットの実況中継を担当したりと忙しく、対局はほとんどできなかったが、大会に対する貢献度は誰もが認めるところだ。
一方の藤原さんも大会のフォーマットを考案し、トーナメントの進行に沿って選手の組み合わせ表を作成して発表しスムーズな大会運営に貢献した。
最後に、トーナメントMVP賞というのが準備されていて、これは実行委員の総意によって石川先生に贈られた。ニューヨーク支部顧問としてここ数年毎年のようにニューヨークにお越し頂いて支部との交流を深め、また毎年の全米将棋大会の特別顧問も務めて頂く石川プロのそういった献身的なご指導が今回のニューヨークでの世界大会の礎となったことを思えば、トーナメントMVP賞のもっとも相応しい受賞者といえるだろう。
*四大陸戦
日曜日の晩は、希望者を募ってロングアイランドにあるPeter Lugerという有名なステーキ・ハウスに食事にでかけた。海外からの参加者のほとんどが同行して総勢30数名になったので大変な賑わいとなった。
2日間の正式行事が終了して帰途についた者も多かったが、翌月曜日は、非公式な番外企画として「四大陸チーム・トーナメント」が催された。
まだニューヨークに残れる人たちを集めてアジア・チーム、アメリカ・チーム、ブラジル・チーム、ヨーロッパ・チームの4つのチームを組み、団体対抗戦とした。和気藹々とた友好的な雰囲気の中にも真剣な勝負が続き、アジア.チームの優勝となった。
*クラブの才能集結
今回の世界大会は、ニューヨーク将棋クラブが企画し、主催し、実行したものである。このような大きなイベントを計画し運営した経験などまったくない、−将棋クラブがこれを成功させるまでには苦労があった。資金集めや世界各地に埋もれた将棋ファンとの連絡も大変だった。実行委員のメンバーを中心にミーティングを何度も重ねたり、打ち合わせや連絡の取り合いにEメールの交換も頻繁だった。
関係者間で電話連絡やEメールが毎日のように飛び交ったが、その総数はおそらく何百となるだろう。みな仕事に忙しい者ばかりである。その人たちが仕事の合間をぬって、あるいは仕事をある程度犠牲にして準備に奔走した。
ニューヨーク将棋クラブのメンバーの多才ぶりがこれほど発揮されたことはない。コンピューターのエキスパートである者がクラブのホームページを作って広報に効果をあげた。デザインを本業とする者が大会のロゴ・デザインを作りプログラムの作成から印刷までを担当した。
集金力のある者が資金調達をし、収支の管理は会計士であるクラブ員が担当した。日本将棋連盟と太いパイプを持つ者が、連盟およびプロ棋士との連絡や調整にあたった。英語の得意な者が渉外的事務をこなし、日本から受け取った石川先生や二上会長の挨拶文などを翻訳した。
ジャズが好きだというプロには、クラブ員の中のジャズ専門家が案内役となって接待した。日本にいた頃から各種の将棋トーナメントに出場した経験のあるというクラブ員が、数学的頭脳をもって今大会のフォーマットと時間配分を考案した。
競技ルールの作成とその英文化はこれに明るいクラブ員が担当した。中でも、時間的に比較的ゆとりのあった増井さんは、商社マン時代にビジネスの世界で鍛えた手腕を発揮して、世界各地との膨大な量の通信、全員の渡航とホテルの部屋の手配、予算の配分から大会運営の細部にいたるまで、すべてに渡って指導的役割を果たした。まさに今大会を成功裏に終わらせた原動力だったと言っていい。
このように、クラブ員がそれぞれに自分のできる部分をできる範囲において能力を発揮し合った結果、目を見張るような力となって、素晴らしい成果を生むことになった。このニューヨーク将棋クラブのチームワークの良さとそれによって大仕事をし遂げたという充実感は、今大会における思いがけない収穫であった。
今後の将棋の海外普及を考える上で思うところもいろいろとあったが、それについては別の機会を待ちたい。
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