ロシア将棋旅日記(25号、2003.9.27)
8月25日(月) 午後5時キエフ発モスクワ行きフライトが6時間遅れて午後11時発。実際には更にもう少し遅れて、モスクワ・シェレメチェボ空港第一に到着したのが午前2時だった。ロシア入国証明に8月25日と書いてあったのを、係官が目ざとく見つけ8月26日に訂正させられた。
空港出迎えのロシア人も真夜中までご苦労さん。尤も、この人は遅延情報を予め入手していた筈なので、空港でずっと待ちぼうけていたのではなく、遅延時間に合わせて現れたのだとは思うが。結局、就寝は午前4時。(鈴木良尚)
8月26日(火) 朝食カットで11時起床を宣言していたので、池谷さん一人で朝食をとったらしい。将棋に勝つにはメシより睡眠だ。午後2時半に迎えに来てもらうことになっていたので丁度良かった。もしこれが午前10時にでも迎えに来るなんて約束だったら、フラフラでどうしようもないところだった。迎えに来たアレクサンダー・ノソフスキー氏は希土類金属の輸出入を取り扱っている会社の社長さんで、モスクワ将棋協会の会長さんでもある。3年前に「将棋を世界に広める会」が、サンクト・ペテルブルグ・ツアーを催した際、ペテルブルグでお会いして名刺をもらっているのだが、顔までははっきりと覚えていない。それでも不思議なものでロビーに大勢いる中から、この人みたいだなという直感が働き近づいてゆくと、先方もこちらを覚えていたかどうかはわからないが日本人が近づいて来たということで、すぐ「ミスター・スズキ?」と問いかけてきた。
これからモスクワの将棋クラブを案内するという。正確には囲碁やチェスやオセローなどマインド・スポーツ一般クラブでオリンピスキークラブというそうだ。宿泊したホテル・コスモスは、クラブのある所まで地下鉄で一本(逆にそれを聞いてホテルを選んだのだが)。
会長さんに連れられて地下鉄の入り口へと向かう。会長さんは名刺くらいの大きさのカードを持っていて、改札口でそれを差し込むとそれが別の口からヒョイと出てくる。そこで一人通れという指示。同じことをしてもう一人。最後に自分が通って、同じ一枚のカードで三人が乗れた。それから、古ぼけた黒いエスカレーターを下ってホームへ。ところが、このエスカレーターのスピードが速く、乗る時に体のバランスを失って転びそうになるのだ。そういえばウクライナでもそうだった。日本だったらたちまちクレームがつきそうな速さである。
ロシアの体操が優秀なのは普段の生活から体のバランスを鍛えられているからではないか、と思ったりした。そのエスカレーターが下まで長い長い。東京駅の横須賀線ホームへ下るエスカレーターも長いけれどそれよりも長い。あまり長すぎて時間がかかるためにスピードを速くしているのかも知れない(そうかな。本当かな)。こんなに地底深いのは冷戦時代に防空壕として使うことも考慮した結果だと聞いている。
電車に乗ると地下鉄路線図が窓に貼ってあった。ここからここまで行くのだと会長さんが教えてくれた。でも、駅の名前を覚えるのがタイヘン。スペイン語ペラペラの池谷さんもここでは覚えたてのロシア文字をたどって小学生の看板読みよろしく、声を出して発音するがすぐ忘れる。不肖私は第3語学にロシア語を選び優をとった昔の杵柄で池谷さんとここで差をつける。でも見たらすぐ読めるけど初めて聞いた駅名をすぐ忘れる点では池谷さんと同じ。結局、幾つ目の駅かということを覚えるのが一番早かった。
ホームの柱などに駅名が書いてない。トンネルの壁の方には行く先の駅名が黒字で次々に書いてあり、当駅は赤字になっているからそれを見られれば、やっとわかるけれどそれしかない。でも、この日から何回か地下鉄を利用したら、車内放送を聞いてわかるようになったのだから2人共たいしたものだ。
少年チャンピオン
オリンピック・スタジアムのあるプロスペクト・ミーラという駅で降りて10分くらい歩く。守衛の居る大きな建物の2階に上がると幾つかの明るい部屋があり、その一つに入ると子供が3人将棋に興じており、その傍に頭の禿げた五十恰好の囲碁の先生ルスタム・サハブデイーノフさんが立っていてにこやかに迎え入れてくれた。ルスタムさんは将棋の方は初段とのこと。実はモスクワでトーナメントが出来ないか、と依頼していたのだが土曜日曜でないとやはり無理ということだった。池谷さんは早速子供たちとプレー開始。先ず男の子2人と二面指し。一人が平手で一人が2枚落ち。
平手の方はアレクサンダー・コゼルスキー君と言って12歳以下部門のロシア・チャンピオンだった。池谷さんはいくら子供好きとはいえこの子に特別甘い顔を見せなかった模様。次の女の子のも勝たせなかったらしい。
一方、私の方はロシアの将棋事情などしばらく話していると、いつの間にかチョビ髭のパベル・マカロフさんというオジさんが現れて、モスクワで一番将棋の強い人だと紹介された。そこで1局親善試合。相振飛車になったが一方的に勝ってしまい、このオジさん自分でいいところがなかったと言ってしょげていた。なお、ウクライナでもそうだったが、飛車を振る人が多く、こちらが振ればどうしても相振飛車の将棋が多くなる。池谷さんは子供達を指導したあと会長さんと一戦を交える。
ところが、穴熊に囲った玉を上から雀刺しで攻められ、なんとか穴から這い出したものの結局討ち取られてしまった。池谷さんは悔しがり、どうしても勝つまでは日本に帰れないなどと言うから、それでは帰してあげましょう、などと言われている。
翌日の予定としてルスタムさんは是非自分のクラブへお招きしたいとのこと。かなり遠いらしいが会長さんがやはり午後から連れて行ってくれるとのこと。従って午前中は空き。池谷さんがお土産を買いたいというと、それならアルバート通りに良い店があるので地下鉄で行ったらどうかと、2回乗り換えるルートを教えてくれた。そして10回分の地下鉄回数カードを買ってやるから50ルーブル寄越せと言う。1ルーブルは約4円だから地下鉄料金は一回20円で全線均一どこまでも乗れるということだった。
早速、帰りはこのカードを使う。ところがカードを入れて池谷さんがパーッと通ろうとするとガチャンとストッパーが飛び出て完全に通り抜けられずに引っ掛かってしまった。すぐ監視員と思しきオバサンがすっ飛んで来て、日本人がモタモタしているのを見て、すぐ行け行けとの合図。込み合っているので後ろがつかえているのだ。よく観察してみると挿入したカードが排出された時に緑色のランプが点灯し、それから一人が通ればよいのだが、カードが出きらないうちに通ろうとしたのが原因だとわかった。そういえば会長さんがカードを使わせてくれた時っはOKの合図をしてくれて(その時カードが出た)、それから通っていたのだ。一応無事にホテル帰着。
路線図を探す
8月27日(水) 今日は2人で地下鉄2回乗り換えのアルバート通りへチャレンジ。先ず、路線図を入手すべくホテルのフロントへ。でも、そんなもの無し。ニエットだ。2階の店で売っているとか言うので2階へ。でも、そこにも無し。ニエット。これでは中国で何でもメイヨー、メイヨーと言われたのとおんなじだ。更に、徹底的に見て廻ると、やっと路線図をプリントしたTシャツを見つけた。でも、地図の代わりにTシャツを広げて見ながら歩く姿は滑稽すぎるのでヤメ。あきらめて電車の車内で路線図を写すことにした。
一回目の乗り換えはツルゲネーフスカヤで降りて別のラインのチーステイエプルヂで乗る。都営地下鉄の江戸橋で降りて東西線の日本橋で乗るような具合だ。ところが、次の乗り換え駅ビブリオテーカ・イーメニ・レーニナで降りてアレクサンドロフスキー・サートで乗るべくホームに出ると、目指すアルバーツカヤはホームを突っ切った向こうと書いてある。(ロシアの仮名文字が多くてゴメン)。あれれ、もう1回電車に乗るんではなかったっけ、と思いつつ指示通りに歩くと出口へ。出口を出てから後ろを振り向くと確かにアルバーツカヤと書いてある。キツネにつままれた気持ちだったが、とにかく着いたのだから結果良しだ。
出口を出て右か左か町並みを見て判断、左へ行く。帰れなくならないように目印を覚えてしばらく行くと地図で見た通りのアルバーツカヤ広場へ出た。カンはピタリ、今日も将棋は勝てそうだ。ブラブラ歩いて良さそうな土産物店で適当に見て適当に購入。帰りは今来たすべての道を忠実にたどって無事ホテルに到着。
1回だけしか乗り換えないでアルバーツカヤに着いたことは日本に帰るまで不思議に思っていたことだが、資料をゆっくり調べてみたら、何とアルバーツカヤという駅は二つあり、一つは教えられたとおり地下鉄に乗って一つ目の駅。もう一つは乗らずに地下道を歩いて行ける別の線の駅で、我々は後者を利用したということが判明、納得がいった。これってロシア的非合理性とでもいうのかしら。
午後会長が迎えに来て再び地下鉄に。ここで会長に質問。モスクワの地下鉄の駅は宮殿のように天井や柱に見事な彫刻が施され、それがシャンデリアに輝いて目を見張る所だと聞いていたが、全然そうでもないみたい、と言うと、美しいのは昔に出来た駅、つまり環状線の駅の事で、郊外に延びる新しい駅はそうでもないのだ、というご返事。そしてそれを見せてあげようということになって、二つばかり駅を見せてもらった。すると確かにそう言われるような美しさが有るには有ったが、柱がきれいに磨かれてあるわけでもなく、大勢の乗客でごったがえしていたりすると、美しいという雰囲気はあまり感じられなかった。郊外終点のマリノ駅で下車。10人乗り程度のワゴン車に一人10ルーブル(40円)払って乗り込むと先客が4人ほど。その後お客が一杯になると走り出した。どうやら市内循環の便利ミニバスみたい。
ルスタムさんのクラブはマリノ・クラブと云って大きな10階建てアパートの1階にあった。男女2人ずつの子供が将棋や碁で遊んでいる。池谷さん1手詰の詰将棋の問題を幾つか大盤に出して子供たちに考えさせる。空き王手の問題は動く駒の行き場所がポイントで結構むつかし。9歳と10歳の姉妹の上の子は集中力が有ってよく考えていた。更に、池谷さん男の子と将棋、もう一人とは13路盤の囲碁へと進む。池谷さんその後昨日の雪辱とばかり会長さんと第2回戦。さすがに今日は圧勝、1手詰を逃すも9手詰に仕上げて晴れて日本へ帰れることになった。まさか会長さん手を抜いたんではないでしょうね。
私の方はルスタムさんと持ち時間20分と30秒の秒読みで公式戦。第2図が中途局面。実は私が後手なのだが、向きを逆にしてある。敵の角を引っ込ませて有利と認識。敵の▲4四銀の進出に対し何事やあらんと悠々と好点に△3四歩と打ったところ。ところがこのあと▲3六歩と桂頭に打たれてビックリ。△同飛と取ると▲4五銀△同桂▲同銀で飛角のどちらかを取られてしまう。
私が「エエーッ、イッポン?」とつい口走ると「ノー、ワザアーリ」とルスタムさんが答えたので、これには二人とも笑ってしまった。でもここは笑い事ではない。何とかこれを逆用すべく3筋に廻った飛車を幸便に利用して3三を急襲する順も考えたが玉砕になりかねない。仕方なくここはひとまず桂損に甘んじることにして△7九角▲3七歩成△同銀と進んだ。まあ、桂落くらいのハンデは十分ありそうと踏んで我慢したわけなのだ。すると敵は勝算ありと見てか勇躍ここぞと▲6五歩と突いて来る。確かに攻めるとしたらここだ。そこで△4六角と一旦引っ込んだ角を再び出る。
すると攻めあい勝ちとばかり▲6六歩と取り込んできた。仕方なく△7三角成▲6七歩成△同金左と進み銀損となる。ここで▲6六歩かなと思っていたらバッサリ▲6七飛成と切ってきた。間合いを心得ていてさすが勝負師らしい。でも△6七同金▲6六歩△6一飛に少考して固く▲5一金打△6六飛成となると一寸攻め駒不足か、それともいい勝負か。
ルスタムさんは6五にわたしの桂馬が効いているのをウッカリしていたとのこと。それでも▲3五銀△2八飛▲4五桂△8八飛▲3七桂成△同馬▲3六銀打△9一馬▲4七銀成△7九玉▲4六銀とヒタヒタ迫ってくる。このあとは敵の見落としもあり飛車も龍も取られずに入玉して何とか名誉を保つことが出来た。ルスタムさんには自分の角を働かせずに戦いに入るのは得策でないと助言して終了。
夕方になり子供たちが帰ったあと、軽く一杯。実は今日は池谷さんの誕生日だったのだ。池谷さんはウオッカを一本プレゼントされてご満悦。これは大切にして日本に持ち帰ったらしい。酒の肴には日本のイカの姿焼きみたいな同じ味のものが出た。
チェス倶楽部で対局
8月28日(木) モスクワからサンクト・ペテルブルグへ。朝ホテルから空港までタクシーを頼む。運チャンが池谷さんの大きな荷物を持ってあげようという素振りさえ見せないのでチップは無し。ペテルブルグのホテルは、3年前と同じプリバルチスカヤ。その時にお世話になったイゴール・アレクサンドロフさんに電話して到着を知らせる。明日会いたいと言うと今日の夕方6時半にホテルに来ると言う。実は、今日は木曜日でペテルブルグの将棋クラブの例会日。夜6時半から9時ころまでやっているそうだ。クラブの場所はウクライナで会ったペテルブルグ出身のダニール・クリンさんから地図付きで池谷さんがもらっている。イゴールさんに会うと彼はまだ行ったことが無い由で、早速イゴールさんの車で出掛けた。
このクラブはチェスのクラブでラヂヤ・クラブと呼ばれている。昔、海賊のバイキングが使ったボートの意味と、チェスの駒のカッスル、将棋で言えば飛車の意味とがある。建物の中庭に入り口があり、部屋に入ると女性1人を含む6〜7人が将棋のトーナメントをやっているところだった。世話役と思しきエフゲニー・フェドセイエフさんは3年前に「薔薇の学校」で将棋を教えていたチェスプレイヤーだ。我々が入って行くとトーナメントを中止して、日本からのゲストとの対戦が組まれた。
私の相手は鋭い顔をした18歳以下ロシア・チャンピオンで、今年の3月に、全ロシア・チャンピオン、ウクライナ・チャンピオン、ベラルーシ・チャンピオン、との4強リーグ戦で予想を裏切って優勝し、東欧チャンピオン・カップを獲得した日の出の勢いの弱冠16歳の天才児(前置き長くて失礼)ヴィクトル・ザパラ君。
一方、池谷さんの相手はユーリ・シピリョーフさんといって、少年ザパラ君が追いつけ追い越せと目標にした強豪で、当日はザパラ君を破ってトップの座はまだ渡さないと熱い戦いを繰り広げている人物。当たりは柔らかで丸顔の銀行マンだが(池谷さんはマルコポーロというあだ名をつけた)、将棋の当たりは堅実で度胸もある。
池谷さん大丈夫かなと心配になったけれど、私の方も他人の心配などしていられない。私の方は持ち時間各15分(スクナーイ!)秒読み1分の条件でスタート。私としてはこんな早指しは不得意中の不得意だが、なにしろ国際親善なもんで条件闘争に及んで対局拒否なんて出来っこない。えーいままよ、とバタバタ指していたら、勝っていた将棋をクリンチに持ち込まれ、挙句の果てに敗戦の憂き目をみてしまった。少年の頭の回転は日本でもそうだけどロシアでも速いですね。一方、池谷さんの方も時間に追われて実力発揮とはいかなかったようでした。この日はロシア軍、道場破りを返り討ちに仕留めたような勢いに乗って、我々が夕刻便で帰国の途につく明後日土曜日の午前10時、盤駒を携えてホテルに乗り込んで行くと意気盛ん。日本軍も望むところだ。
8月29日(金) 本日はフリーなので観光。午後からイゴールさんの案内でロシア美術館と海軍中央博物館、その後、知事公舎内でレーニンが大演説をぶったという大講堂で当方も壇上に立つ。但し、写真を撮るだけ、演説はなし。
8月30日(土) 今日は私がザパラ君に雪辱する日だ。ところが、この子、風邪を引いて頭が痛いとかで来られない由(さてはリベンジを恐れて仮病を使ったか!)。ザパラ君と同年齢の女の子ナターリャさんも喉が痛いとかでお休み。でも、シピリョーフさんが娘のガーリャさん16歳を連れて来てくれて、華やいだ雰囲気になって良かった。彼女は日本語を勉強中でホンの片言だが話が出来る。将棋はお父さんから教わったとかでまだ弱いけれど、細いしなやかな指を使って静かに駒を盤上に置く仕草が実に優雅だ。背が高くスラリとしていて一見インド美人のような顔立ちの少女である。この子が早く日本語の通訳になってくれるのが待ち遠しい。
集まった5人と我々2人の計7人で持ち時間各30分、秒読み30秒のトーナメント。これを日本ロシア年の正式トーナメントとする。私の方はザパラ君が居ないので順調に、というわけでもなく結構食い付かれたが、3連勝。一方、池谷さんの方は一昨日返り討ちに遭ったシピリョーフさんとの雪辱の戦いが注目されたが、角で飛車を取られその角で竜取り銀取りを掛けて反撃したけれど、結局及ばなかったらしい。シピリョーフさんはよく考える人で、私との対局経験も踏まえ初段は確実にありそうだった。
かくして、ウクライナ・ロシアの将棋珍道中は終わったけれど、2人のうち1人が少しは相手に負けるくらいで丁度良かった。モチベーションの向上には十分役立ったと思う。残りの1人は本当なら誰にも負けないくらいの強さで、皆を感嘆させなくてはいけなかったが、旅の疲れを考慮して頂き、ウクライナ・チャンピオンとロシア18歳以下チャンピオンに一つずつ星を献上して、これもモチベーションの向上に役立ったという結論にして頂きたい。お願い!
なお、ISPSより将棋の盤駒15組(キエフ6、リフネ6、ペテルブルグ3)を寄贈、それに将棋の文献として、青野先生の日英両語併記「定跡のカギ」6冊、羽生先生のロシア語版「羽生の奥義」11冊、詰将棋の文庫版書籍6冊、会員の方々より寄贈して頂いた「将棋世界」の付録11冊、をそれぞれ大会用賞品又はキーパーソンへの贈り物として持参したことを付記する。
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