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ウクライナからの将棋賛歌(36号,6月17日発行)

                                アルテム・コロミエツ(キエフ在住)

 ウクライナでチェスのトレーナーを職業としているコロミエツさんのメールの中に、「将棋をやればチェスが強くなる。チェスをやれば将棋が強くなる。」という言葉がありました。
 これだ!と思いました。将棋の普及には、世界中にいるチェスの愛好家を取り込むことが、きわめて有力な手段だからです。そこで、昨年ウクライナを訪問した際に、上述の言葉を入れて、将棋とチェスの比較や、どのように将棋を学んでいるかについての寄稿を頼み、快諾を得ました。ロシア語の原文を、鈴木副理事長を通じてモスクワのキスリウクさんに英訳してもらい、それを訳しました。
コロミエツさんは、日本将棋連盟の招待を受け、アマ竜王戦に参加される予定です。(
訳者:池谷孰

ゴールは人智の完成
 今なお解き明かされていない古くからの不思議な事柄がたくさんあります。
 そのひとつはチェスです。そもそもチェスは単なるゲームでしょうか?それとも芸術でもあるのでしょうか?それとも昔の科学であって、昔の科学の基礎はすっかり忘れ去られているのでしょうか?こうした疑問は解明されていません。

 チェスはそうした不思議な事柄のひとつに過ぎず、他にも将棋がある事はあまり知られていません。チェスと将棋はそれぞれが全体の一部分で、相互に補完しあいます。チェスは本質、空間、深遠さを理解せしめ、将棋は時間、動き、速度を理解せしめます。チェスと将棋の行き着くところは、人智の完成です。チェスや将棋を指す究極の目的は、理由を理解し、迅速に真実と誤りを識別できる人間の創出にあります。

 だが、チェスと将棋を同時に学ぶ事が出来るのでしょうか。非常に多くの人がこう考えます。もしもひとつの事に全精力を注ぐと、他の事には精力は残せないと。しかしこうした懸念には根拠がありません。チェスを学ぶ時には脳の一部が働いているだけで、将棋を学ぶ時には脳の他の部分が働いているのです。絶対にそうです。それで脳の一部が働いている時には、他の部分は休んで回復している。それでチェスと将棋は同時に学べるのです。

 チェスと将棋を同時に学ぶと、チェスも将棋もどんどん強くなります。事実、チェスは駒の位置の理解を深め、それが将棋を指す時に盤面の理解を助け、将棋で培われた迅速な考察力が、チェスを指す時に指し手の変化を素早く考えるのに役立つのです。

 そこでチェスと将棋を同時に学んでいる私の経験を述べてみたいと思います。

 一方では、チェスを指す事が出来る人は、たいした困難もなく将棋を学ぶ事が出来ます。第一に将棋は序盤がゆっくり進みます。チェスのように序盤で罠に掛かって数手で負けてしまうという事がありません。そこで序盤の長々とした指し手の変化を記憶する必要がなくなります。

 第二に将棋にはチェスのようなエンドゲームがありません。捕らえた駒はまた使えるからです。しかしチェスでエンドゲームを学ぶのは非常に困難で、多くの時間と精力を必要とします。

 第三にどちらのゲームでも王様を攻撃するための準備をします。ここでは指し手の戦術的なうまさが決定的要素となります。チェスの駒の動かし方の組み合わせや戦術的指し回しは、将棋でも全く同じです。気を散らす事、誘惑(贋の餌、餌)、封鎖、閉鎖、守り駒の消去、相手の駒の動きを制限する事、などなどです。

 第四に将棋の有効な学習には、いわゆるスウェーデンチェスの知識が、盤面の駒だけでなく持ち駒も使って指すという将棋の特性を理解する上で極めて有益です。

六つの将棋の難しさ
 他方では、多くの初心者にとって、厄介なこともあります。
 まず駒の見た目です。駒は平たく、解らぬ日本の文字が書かれています。立体の文字の入っていない駒に慣れたチェスプレーヤーにとって侘しいものです。

 おおむね彼らは文字を除いてチェスのような立体的な駒にする事を望みます。しかしそのように望む事は、将棋のみならずチェスの運命を理解していないのです。人智の開発と完成は解決すべき問題が複雑であってこそ可能となるのだからです。将棋の駒の外見は、人が自分の智力を開発し得るか否かを試しているのです。

 次に厄介なのは、慣れていなければ同じに見える駒の見分け方です。第一に駒の大きさに注意しましょう。強い駒ほど大きいのです。

 第二に、文字を絵に結び付けて記憶して見ましょう。(例えば金の文字では家の屋根を連想してみましょう。)

 第三に厄介なのは、不可能な手を指した場合の問題です。チェスでは、習慣的には罰を受けません。しかし将棋では不可能な手あるいは禁じ手を指した場合、ただちに負けになります。この厳格な規則があるので、対局中ずっと注意を集中させていなければなりません。初心者は禁じ手を指しがちです。(金を銀のように動かしたり、銀を金のように動かしたりします。)また同じ縦の筋に二歩を打ちます。対局中にこれに注意して欲しい。(例えば手持ちの歩を打つ前に、縦の筋をよく見て欲しい。その筋にすでに歩がある事があります。)

 第四に厄介なのは要塞を構築する方法です。この方法はチェスと類似しています。しかしチェスでは城は王を安全に守るが、将棋では王の安全性は相対的であり、どの要塞でも破壊されます。それは時間だけの問題です。

 しかしながら正しく造られた要塞は敵の攻撃から長い間持ちこたえます。そして相手を攻撃する時間が出来ます。様々な要塞を知りその構築法を身につける事は将棋の学習で成功を収める必須条件です。

 第五に厄介な事は、要塞の構築法を学んだあとに起こります。次に何をやらねばならぬかという問題に遭遇するからです。そして要塞の破壊方法を学ばねばならなくなります。どの要塞もそれぞれの方法で破壊する事が出来ます。それは要塞の強さによるのです。頑強な要塞を破壊するには駒の犠牲を伴います。それでまず持ち駒が必要になります。まず盤面の敵陣で戦いを始め、駒を交換しましょう。

 それから初めて王への攻撃を開始しましょう。あまり強固ではない要塞を破壊するには、駒の犠牲は不要です。相手玉の近くに勢力を集結させて決定的な攻撃の準備をしましょう。(そのような典型的な攻撃法は棒銀です。)

 しかしここで記憶して欲しい事があります。将棋では単に駒得を図る事は危険です。それは将棋では時間の無駄につながるからで、チェスと違って駒得は引き分けすら保証するものではないのです!

 六番目に厄介な事は王の詰め方です。チェスと異なり将棋の王は非常に強くて動ける駒です。それでゲーム終了の主な規則は、王をどこにも逃がさぬという事です。

 要塞を構築したり破壊したりする事を学ぶには、名人上手の試合を検討しなければなりません。適切な方法で王を詰める為には特別な詰め将棋問題を解かなければなりません。そしてもちろん出来るだけたくさんの将棋を指す事です。

 将棋はそのようにすばらしいゲームです。そう思いませんか?

 将棋の感性や理解を深めるには、自然な調和の取れた感性を磨かなければなりません。もちろん音楽が助けとなります!美しい複雑なクラシック、ジャズ、Art-rock、そしてProgressiveを聴きましょう。調和こそが音楽と将棋とチェスを結び付けます。

記憶より思考が大事

 結論として、多くのプレイヤーが乗り越えられない最後の厄介な事について考えましょう。それは今や序盤、中盤、終盤のいずれの場面でも、コンピューターで解析が出来る事です。そして解析結果を単に記憶する事が可能です。それは易しくて、安楽です。しかしこの安易な方法はあなたをつまずかせます。(あなたを袋小路に導いてしまいます。)あなたの智力を開発せずに、単に記憶するだけだからです。(チェスの運命を思い出すべき時です。)思考よりも記憶に頼ってきた人は将棋の対局中緊張に耐えられません。将棋では、一手一手に最大の集中力を要し、記憶ではなく智力を要するからです!

 もしもあなたがもっと良くなろう、もっと完全になろうと努力し、困難を恐れなければ、あなた自身の為に、日本のチェスという素晴らしく魅力的な世界の扉を開く事が出来ます。そしてあなたは決して後悔しないでしょう!

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