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ウクライナからの来日手続き苦労話など(37号、2006年9月23日発行)

メール連絡、通訳手配を担当して
 ウクライナを含む旧共産圏の人達は日本に招待される場合、その招待状を基に日本への入国ビザを取らねばなりません。ちょうど9年前に中国から将棋の子供達を招いた場合もそうでしたが、それには外務省の指定する一定の書式があって亡命されたり不法滞在されたりしないようにと、招待する側が保証する項目が沢山ありました。(鈴木良尚

書類で冷や汗続き
 今回は昔に比べ年月も相当経っているので予め外務省に問い合わせた方が良い、との助言が、招聘状作成担当者のパソコンが不調で届かなかったためか、中国と同じ形式の招聘状がウクライナに送られてしまったのです。さらに、送り先の住所を書き間違っていたため「なかなか着かないですね」と、何回も先方とメールしている間に、戻ってきてしまいました。「書類を送った。いや戻ってきた。また送った」というやりとりの繰り返しで、メール担当者としては一ヶ月間たいへん神経をすり減らしました。
 送り直した招聘状がやっと相手に届いたのは、もう6月になってからのことでした。ところが、その招聘状を現地の大使館に照会したところ、形式が違うからビザは発給出来ないと言われたのです。でも、その大使館にはウクライナの学童を日本に招待する計画がある、ということを予め知らせておきましたので、大使館の方から親切に新形式はどこを見ればわかると教えてもらえたのです。それによると、新形式は中国と一線を画して緩い部分もありましたが、一方では招待側法人の納税証明書が必要とか、逆に面倒な手続きも増えていました。それでも何とかその新形式に則って送った招聘状が先方ウクライナに到着したのは既に6月下旬で出発の一ヶ月前、この期間で果たしてビザが取れるのかなとタイヘン心配でした。
 一方、航空券の方は東京の旅行社から払い込みを行えば、キエフのアエロフロート航空営業所にて受け取ることが出来ます。その際、ビザと一緒に各人のパスポートの提示が必要です。航空券は誰の航空券なのか、受取人のパスポート番号と照合されるわけですが、マリノフスキー君のパスポートが7月6日のビザ申請の際に、ビザ印を押すページ不足ということでパスポートを新しく作り直さなければならくなったと知らせて来ました。これでビザ取得も少し遅れることになったわけですが、航空券用意の方もパスポートの新しい番号が決まらないと発券できなくなったのです。
 加えて今度は7月12日に至り、ソフィアちゃんがこれまでお父さんと親子一緒のパスポートだったのが、一人ずつに分離すると言ってきました。また航空券も変更です。もう8月5日の出発に間に合わなくても、こちらの責任ではないから知〜らない、という感じでした。そして、その新ナンバーが7月19日に決定したのは良いとして、何とシェヴチュク先生が航空券発券の窓口であるキエフのアエロフロート営業所の電話番号を問い合わせてきたのです。これにはビックリしました。言ってみれば東京にある日本航空の営業所の電話番号を大阪に居る人がアメリカに問い合わせているようなものですから。でも、日本という国はたいしたもので、きちんとそれに答えることができるんです。
 航空券の受け取りにはパスポート番号の照合だけでなく個人名の照合も必要です。日本人のパスポートには漢字とその発音のローマ字とが併記されていますが、ウクライナの人のパスポートにはキリル文字で書かれた本名とその発音に則した英文字が書かれているのです。そして、その英文のスペルには充分気をつけないといけません。マリノフスキー君は英文字で書くと Malinovskyy と書き、最後に「y」が2つ続きます。ロシア人の場合、何とかスキーさんは英文字では「y」が1つです。この名前が一文字でも異なると違う人物とみなされて航空券は受け取れません。これには充分気を付けましたので、この点でのチョンボはありませんでしたが、メールのやりとりでは随分気を使いました。
 かくして、7月27日に航空券を入手した一行は8月5日にキエフから搭乗し、翌朝めでたく成田空港で私と顔を合わせることができたというわけです。ああ、しんど! 

通訳のナターシャさんは大当たり  
   
 当初、通訳さんはウクライナから日本に留学しているシェヴチュク先生の親戚にあたるウクライナの学生さんに頼むことを考えていました。ところが、その人は夏休みをウクライナで過ごすために既に航空券を買ってしまっていてダメだということがわかりました。そこで次に2年前私がサンクト・ペテルブルグで知り合ったロシア人が、自分の娘が東京に住んで居るという話をしていた事を思い出しコンタクトしてみました。すると、その娘さんはアエロフロートに就職していて、今は通訳の仕事をする余裕が無いということでこれもダメでした。けれども。友達を紹介してもらえるという事になり、ウクライナの一行が誰かと公式インタビューをする予定の3日間をその人に頼む事ができました。
 紹介されたロシアの人はナターリアさん(愛称ナターシャ)と言って福井大学に1年留学の経験があり、福井の蕎麦が大好きという日本通で、新潟でもロシア語の先生をしていたことがあり、故郷のハバロフスクに帰ってからも日本領事館に勤務していたという日本語経験充分な、通訳さんとしては打って付けの方でした。
DSCN1151.jpg
活躍するナターリアさん(右)、左は島8段

 ナターシャさんは明るく陽気でたいへん子供好きでしたので、ウクライナの子供達もすっかりなついてしまい、外から見るとお母さんみたいに見えました。そこに、シェヴチュク先生が加わって一緒に歩いていると、まるで、一家揃って来日したように思われて、実際にある人からそう聞かれてしまったのです。ホントの親子は先生とソフィアちゃんだけなんですが、2人の顔はそれほど似ているとも言えません。他の人達もよく見れば全然違う顔をしているんですけど、日本人から見ると外人は皆同じ顔に見えるんでしょうね。  
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千駄ヶ谷駅のモニュメントにはウクライナの一行も感激

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