「日中少年将棋友好交流会」を終えて(41号、2007年9月22日発行)
言葉の通じない大会運営の難しさ
交流会との出会いは、ほんのちょっとした眞田理事長の言葉から始まった。
「松岡さん、まだ決定ではないが、今年の6月に上海から小中学生が16名程、学校でチームを組んで来るらしい。その時には、横浜で4チームほど選抜してくれませんか」(松岡信行)
1月のことだ。上海ならば横浜と姉妹都市でもあるし、4チームほどの選抜なら何時でも、と返事をした。やがて3月には立ち消えとの話もあり、すっかり脳裏から消えた頃。
「上海のことで打ち合わせをしたいので、5月のISPSの理事会に来て頂けませんか」
理事長からの電話が入る。急いで駆けつけた。理事会での話し合いを聞いていると、随分と内容が変わってきている。上海からは小中学生24人、関係者含めると50名に達する団体が来日すること。しかも中国政府機関も動き、名目上は上海市とではなく中国との交流へと発展したらしい。「日本側も小中学生半々くらい。神奈川県からでいかがでしょう」
県から24人を選抜するのはさほど難しくはないが、図面からすると会場は狭いようだ。現場を見る必要が生じ、その日、千駄ヶ谷から永田町の『星陵会館』に理事会を移し検討に入る。日本側の児童生徒は12名が限度と判明。運営の具体案を練る。この辺りの経緯は「かけはし」40号に詳しく記されているが、実は、この時点でも、私の役割は日本側のチーム構成だとばかり思っていた。ところが、時が経つにつれ運営の一切を、と意向が変わってくる。規模が小さいとは言っても、国と国との友好交流会。一介の教員に全てを任せようとする主催者・日中科学技術文化センター参与の小針俊郎氏、ISPS眞田理事長の懐の深さに内心驚いていたのだが、認識はまだ甘かった。次第に周りの構成が大きくなる。やがて、日本側の実行委員長に元法務大臣野沢太三氏が就任。報道機関は、中国では解放日報と東方時報が、日本では朝日新聞社とNHKの参加が明らかになる。殊にNHKは、国際放送局が15分番組を作成し世界170国に放映する話が本決まりとなり、これに伴い日本将棋連盟が共催に加わることに。
規模が違えば、準備が違う。内容が変われば運営の心配りが変わる。重みが増せば些細な箇所が気になってくる。選手の力のバランスは本当にこれで、名札の中国名は…。
多くの心配を載せた大会。どうにか無事に終了することができた。言葉の通じない大会の運営の難しさを肌で感じた。しかし、子供たちは別である。言葉などはどうでもいい。そこに将棋さえあれば、すぐに打ち解け、終わった後も楽しそうに感想戦を行っている。会場ははしゃぐ声で満ち溢れていた。子供たちと、将棋の素晴らしさに救われた。
上海の子どもたちに熱心に指導する佐藤棋聖
審判長・早水千紗女流棋士2段の流暢な中国語。駆けつけてくれた所司和晴棋士七段の力のこもった5面指し。中国側の許建東氏の達者な日本語と見事な挨拶。張建敏氏の子供の掌握力。振り返ると、豊かな心と素晴らしい人たちとの出会いがあった。 中でも印象に残るのは、代表の子供たち5人に指導将棋を指される佐藤康光棋聖・棋王の真摯な対応振りと、前日のタイトル戦の疲れも見せず、一人一人に丁寧に解説している姿。そしてもう一つ。挨拶に見えられた野沢太三実行委員長が、閉会式が終わった後にも残られ、佐藤棋聖と二人、中国の子供たち、日本の子供たち、そして我々を含めてと、無数のシャッターが切られる何回もの記念撮影に、最後まで笑顔を絶やさずに座っておられた姿でした。
閉会式後の記念写真の一枚、人数が多いので何組にも分けて撮った
この会を企画され、また至る所で的確な援助を頂いた小針俊郎氏、眞田尚裕理事長を中心とするISPSの理事会の方々に、深く深く感謝の意を表します。
最近のコメント