特別企画 佐藤康光九段(永世棋聖) 独占インタビュー (47号、2009年7月26日発行)
『海外普及への多様なステップ』
『かけはし41号』でも報告したように、佐藤康光九段(永世棋聖)には、平成19年6月に行われた「日中少年将棋友好交流会」での全面的な協力など、今まで、ISPSに対し数々のご支援を受けて参りました。今回、佐藤先生を横浜に迎えてのインタビュー。内容を報告します。
尚、インタビューは、本年5月13日、横浜美術館レストラン ブラッスリー・ティーズ・ミュゼにおいて、当レストランの全面的な協力のもとで行なわれました。(文責 編集部 松岡 信行)
松岡 お久しぶりです。一昨年の「日中少年将棋友好交流会」では、大変お世話になりました。お忙しい中、横浜までお呼び出ししまして申し訳ございません。
先ずは、日中の将棋交流会の印象から、お尋ねしたいと思います。
佐藤 国交回復35周年の時でしたね。46名。先ずは大変多くの方々が中国から来られたのには驚きました。
松岡 以前は、ISPSが招待したのですが、一昨年の場合は、中国側の負担で来日してくれました。
佐藤 6人相手に指しましたが、抽選で選ばれたのでしたね。特に強い子だけというわけではなかったのですが、楽しみながらも、結構しっかりとした手を指していたのが印象に残っています。
松岡 少年たちの一人が、今年、奨励会試験を受けにくると聞いています。
佐藤 上海からは何回目かのチャレンジかと思いますが、頑張って合格して欲しいですね。
松岡 現在、上海には60万人の将棋人口があるそうですよ。
佐藤 60万人ですか。少し前には15万人と聞いていましたが。将棋の魅力もあるのでしょう。素晴らしい伸びですね。
95年に、第八期竜王戦で、北京で羽生さんと戦いましたが、当時は確か、中国で大人と子供32人ずつの大会が初めて開かれたのだと思います。中国は、許建東さんをはじめ、しっかりとした指導者もおられるので、ありがたいことです。
松岡 先生も魅力に取り付かれた一人だと思いますが、将棋を始めたのはいつ頃ですか。
佐藤 小学校1年の頃です。友達が学校に持ってきて、興味を持ちました。しかし、随分と強くなるのが遅く、3年間で4級までしか行きませんでした。プロ棋士には、2・3年で二段三段になる人が多いですから、アマチュア時代が長かったと言えますね。中学1年で奨励会に入りました。
松岡 奨励会に入った時、どんな気持ちでしたか?
佐藤 実は、どうしてもプロを目指すという気持ちは薄かったですね。強い人と指せるのが楽しいという感じでした。しかし、奨励会は道場とは空気の張り詰め方が違いました。この緊迫感がたまらなく、入会してまもなく、この世界でやって行きたいという気持ちになりました。
松岡 佐藤先生の持つ記録として、今後、絶対に破られないだろうという記録がありますね。奨励会を抜ける時、二段から四段になるまでに、21勝1敗。実に、勝率9割5分5厘です。驚異的ですね。
佐藤 初段が永かったんです。1年半かかっていますから。初段のころの蓄積が開花したのではないかと思います。高校2年の3月に四段になり、すぐ順位戦に参加できたことが、今思うと大きかったですね。
松岡 少々、不満かも知れませんが、俗に、羽生世代と言われます。森内永世名人・丸山元名人・藤井元竜王・今、名人戦を戦っている郷田九段。他にもまだまだ強豪が打ち揃っているときの成績ですから正に驚異的。そもそもどうして、同年代にこれほどの人材が集まったのでしょうね。
佐藤 奨励会の受験者も多かったのです。また、若い時は同世代の人の成績が気になりますから、お互いに良い影響を受け続けたのではないでしょうか。
松岡 今はコンピュータの発達で、誰でも研究が可能ですので、皆、すぐに強くなってきます。この現象について、羽生先生は、「高速道路の後の大渋滞」という表現を使われていましたが、ある対談で、佐藤先生は、渋滞後の「けものみち」という表現をされてもいます。
佐藤 言葉は、私が最初ではないのですが、最近は、どちらかというと、早く高速道路を降りて「けものみち」を進んで行く将棋も指してきました。40代になったらどうしようかと、今、考えています。
松岡 私には、羽生先生と佐藤先生は将棋も性格も随分と違うように見えるのですが、また、非常に似ているようにも思えるのです。棋士の個性についてはどう思われますか。
佐藤 基本的には随分と違いますよ。ただ、同じ勝負の道に入っているわけですから、先ず、負けず嫌いであるとか探究心が強いとかなどの共通基盤があるわけです。その上、将棋は極めて透明性が高いゲームですから、「正しく指す」ことが、互いに絶えず求められる。透明性が、共通な性格を造っている可能があります。
松岡 それでも将棋に違いが出てくるのはどうしてでしょうか。
佐藤 おそらくは、局面の見方だと思います。私でも10年前、5年前、3年前と現在、それぞれ違っていますから。
将棋は積み重ねですが、一つ一つを積み重ねると、不思議と変わることがあります。
松岡 羽生先生の将棋には、安定感が、佐藤先生の将棋には、升田先生のような鋭く切込んでいくイメージを多くの人が持っているのではないかと思うのですが。
佐藤 それは、イメージの問題だと思います。実際はそうでもありません。誰でも、プロの習性として、確率の高いほうを選んでいる傾向があります。ただ、私の場合、オリジナリティの高いものを選んで行きたいという願望は、昔も今も高いとは言えます。
松岡 2006年に升田幸三賞を受賞していますね。
佐藤 受賞は嬉しかったですね。自分の個性が認められるということでしたから。
松岡 先ほど、北京での対局の話をお伺いしました。随分と海外に行かれていますね。
佐藤 広めに行く、教えに行くというのではありませんが、対局などを含め、海外に行く機会は多かったです。若手の頃、香港を経由してフランス、オランダ、イギリスなどによく旅行しました。その頃知り合ったオースチンさんなども昨年の国際将棋フェスティバルに参加されています。ヨーロッパが中心ですが、海外に知り合いも多くいます。
松岡 昨年、竜王戦の時もパリに行かれました。
佐藤 立会いで行きました。フランス将棋連盟の会長さんをされているオスモンさんが熱心に活動されています。大会参加者は、フランス人で80人くらいいらっしゃるそうです。パリでは、市内のカフェで週に一回将棋会があると聞き、私も指導に行って来ました。そのときは10人くらいいらっしゃいました。オスモンさんが言われるには、文化庁交流使として本間六段が数ヶ月パリに常駐してから、パリの雰囲気も随分と変わったと言っていました。プロが居るか居ないかは大きな違いだと思いますね。
パリのカフェでは、日本語がとても堪能な方が2人いらっしゃいました。一人は、若い方でしたが、『将棋世界』とか『週刊将棋』の棋譜を並べると同時に、訳しながら記事の解説をするのです。日本の書籍がそのまま理解できる環境になるわけですから、これはすごいですね。
松岡 やはり、一番の問題は、言葉でしょうね。最近、ハワイに行かれたそうですが、ハワイのような、日系の社会を持っているところでは、言葉の問題はないと思いますが。
佐藤 ホノルルには、「アロハ将棋祭り」がありまして、今年の4月に行って来ました。今年で、2回目です。島九段がアドバイザーをされていて、私はゲストではじめて行って来ました。
4月1日と3日が大会でした。初日の「将棋祭り」の参加者は40人ぐらい。3日は「親子将棋大会」で30人くらい集まっていました。日本人と日系人の方々が中心なのですが、皆さん熱心でしたね。まだ、支部になってから日は浅いのですが、野田支部長さんはじめ、皆さんが大変熱心なことと、強い方が多いのでびっくりしました。「親子将棋大会」の方は、ほとんどが初心者でしたが、「将棋祭り」の出場者は、ほとんど、初段以上でした。永く駐在している人も多く、また、海外では珍しいのですが、普及指導員の資格を取られた方も何人かおられました。非常に環境が整っている印象を強くしています。
松岡 現地の人も巻き込んで発展していくといいですね。
佐藤 潜在的に日系人の方が多く、また、現地の方との交流も盛んなので、今後、大いに期待できます。
松岡 その他、海外で印象に残ったことはなんでしょうか。
佐藤 私がプロのなってから色々とお世話になっていて、現在は上海の支部長をされている西堀さんという方がいらっしゃいます。
松岡 西堀さんは、中国にお住まいなのですか。
佐藤 そうです。最初にお会いした時は香港の支部長をされていて、その後、台北、上海と転勤されてからも、日本人や現地の方を集め、支部を立ち上げて下さいました。ご自身も将棋が強くていらっしゃいますが、こういうしっかりと取りまとめをして下さる方が海外に沢山おられると、心強く思いますね。
松岡 将棋を世界に広めるという視点では、どのような点が問題となると思われますか。
佐藤 まずは言葉でしょうか。パリのカフェのような形が理想ですが、難しいでしょう。翻訳された棋書の数もまだ十分とは言えません。今回、家にあった英語とフランス語とエスペラント語で書かれた将棋の本を持って来ました。どれも大変な力作揃いです。しかし、中にはルールを覚えた次の内容としては、難しいものもありました。日本の本でも言えることですが、上達にはどのようなステップを踏めばよいかという研究が必要なのかもしれません。
松岡 エスペラント語の解説書ですか。初めて見ました。世界エスペラント協会将棋
専門代表の方が書かれているのですね。世界に広めようとする意欲が伝わってきます。意欲が空回りしないためにステップが大切ということですね。
佐藤 最近、動画で入門書が作られていて、インターネットに配信され始めているそうですね。大きな力となりそうです。
松岡 HIDECHIさんですね。大変よくできています。ステップという意味では、一つの指標になるものかと思いますね。
佐藤 将棋連盟が海外普及でやるべきことは山積していますが、少しずつ前進している状態だとは思います。ただ、棋士の人数も限られますし、現地の方にほとんど助けられているのが現状です。
松岡 棋士としては、生活との兼ね合いが生じますしね。
佐藤 棋士の場合は、トーナメント・プロでもありレッスン・プロでもあります。私自身も海外普及に関しては、語学の壁があり、現地に行っての交流くらいしかできないのが残念です。
松岡 ISPSが関わる分野の一つですね。今年は、モンゴルに役員を送る予定になっています。
佐藤 そうですか。中国みたいに、一つの国にたくさんの愛好家がいるというのも素晴らしいですが、多くの国々に将棋の愛好家がいるというのも重要ですね。
松岡 将棋に類した物は、世界中、それぞれの国にありますから、広がる手がかりとなる可能性があります。
佐藤 日本の将棋は優れたゲームだと思っていいますから、浸透して行って欲しいですね。フランスで感じたことは、日本全体の文化的な力です。様々な文化的側面が浸透し、興味を喚起している。その中に将棋もある、といった感じです。
松岡 日本文化というのは、ある種、特殊ですね。文化として魅力を感じている人たちが、世界に広がってきているということですか。
佐藤 将棋もただ単なるゲーム性ということだけではなく、日本文化の一部として浸透していく必要を感じます。
松岡 日本文化の一環としての将棋ですね。
佐藤 愛好家が爆発的に増えるのではなく、趣味として、生きていく上での活力として将棋を親しむ人が一人でも増えてくれればと思います。将棋を支えてはいるのは、決して指す人だけではないと思います。観て楽しむ人もいらっしゃいます。昨年、パリに行ったときも、長い歴史のある日本文化の一つである将棋を、尊敬の念を持って観てくださる方々がいらっしゃいました。大変ありがたいことです。
松岡 ISPSとしての今後の方向性についてはいかがでしょうか。
佐藤 昨年の国際将棋トーナメントでは、ウクライナやベラルーシの選手が活躍していました。ISPSの成果でしょうか。
松岡 ええ、そうです。ロシアを中心に、早くから、スタッフを送っています。
佐藤 大きな成果ですね。基本的には、今まで通りでいいのではないかと思います。中々広めることが難しい地域への普及を図っていただきたいし、世界の情報を把握して頂けるのも、ありがたいことだと思っています。きっと、その国その国に合った広め方があるのではないでしょうか。良く国民性を把握しているのはISPSの強みでしょう。
将棋ほど、深い透明性を持ったゲームは他にないと思っています。世界中の人々に素晴らしさを味わってもらいたいとの思いは強いですね。普及というのは、一つずつの積み重ねですから、長い間、活動を続けられているということは、どれほど素晴らしいことか。今後も、着実に進まれるよう期待しています。
松岡 どうも長い時間有難うございました。とても素晴らしい時間を持つことができました。今後の更なるご活躍をお祈りいたします。
インタビューを終えて
大阪での対局を終えられ、帰宅途中に横浜に立ち寄って頂きました。ついつい話しが弾み、気が付くと2時間が過ぎていました。
佐藤先生の持つ将棋の本質に対する鋭く深い卓見と、将棋を世界に普及する上での確かな目に圧倒されました。
才能の開花に個人差があること。個性と共通性の成り立ち、人間の持つ場面把握の進化性。
普及においては、個人の重要性。組織の重要性。国それぞれの普及方法の違い。日本文化全体を伝える一環としての将棋の存在。インターネットの発展性。観客の意味。人的交流の大事さ。言葉の価値。文化の伝播には、『多様な方法とステップ』があることを、余すところなく語ってくれました。
ことに印象に残った言葉が2つ。『一つ一つの積み重ね』と『将棋の透明性』です。
『積み重ね』は、二箇所で使われました。
一つは、将棋に対してです。正に天才の名を欲しいままにしている佐藤先生。人に比べ、容易に難関を突破して来たのではないかと思っていたのですが、その裏には、血のにじむような『積み重ね』があることを示されました。同じ言葉を、今までのISPSの仕事の成果にも用いてくださったことに、深く感動しています。
『将棋の透明性』。素人の私には、将棋の世界は泥沼のような、不透明なものとしての感覚しかありません。どこに雷魚やワニガメが潜んでいるかと、戦々恐々として指し進めていくのですが、佐藤先生の目からは、透明な水底を見るように将棋の世界が見えているのだと知りました。
淡々とした口調で語られる佐藤先生の口から漏れる「深い透明性」という言葉は、例えば『透明な人類の巨大な足跡』のように、崇高なものに対してのみ「透明」と言う言葉を用いた宮沢賢治と、一脈通じるものがあることを感じ、尊敬の念を深くしています。
インタビューの全体は、まるで隈なく配置された盤面を見るかのよう。佐藤先生の周到な準備と、将棋そのものや、普及に関する見識がまばゆいほど的確に配置されていることに驚くとともに、一層の親しみや尊敬を感じつつ、ゴージャスなブラッスリー・ティーズ・ミュゼを後にしました。
編集の途中に、佐藤康光先生から素晴らしい知らせが届けられました。
『6月6日に無事生まれました。女の子です。結婚5年目でしたが、新たな感動がありました。』
幸せそうな笑顔が目に浮かびます。
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