特別企画 独占インタビュー 谷川浩司 九段 (永世名人)『将棋と人間』(48号、2009年11月22日発行)
突然、京都在住の池谷孰理事から、「谷川先生のアポイントを取ることに成功した」との電話が入りました。思いもよらぬ朗報に、急遽、新幹線に飛び乗り将棋連盟関西総本部に向かったのです。着いた3階の応接室には、谷川浩司九段(十七世永世名人)のにこやかな笑顔が待っていてくれました。インタビュー内容を報告します。
尚、掲載された全ての写真は、京都在住の大蔵康浩会員の撮影によるものです。(文責 編集部 松岡信行)
松岡 昨年、横浜で行われた京急の「将棋祭り」にお越しくださり、有難うございます。横浜に谷川先生が来られるというので、凄い熱気に包まれました。改めて先生のフアン層の厚さに驚いた次第です。
谷川 横浜は初めて伺ったものですから。
松岡 いえいえ、決してそれだけではないと思います。谷川先生と言えば、数々の伝説に包まれている程なのですから。先ずは、この辺りからお聞きして行きたいと思います。
将棋をはじめられたきっかけが、『兄弟喧嘩』を無くす為に、お父様が薦められたと言うのは本当なのでしょうか。
谷川 仲が悪かったからの事ではなくて、逆に仲が良すぎることから起ったことだと思います。4、5歳ぐらいのことですから、私もあまり記憶がないことです。ただ、父が将棋盤と駒を買ってきてくれたことは確かです。
松岡 先生は、将棋を百科事典で覚えられたと言うのは本当でしょうか。
谷川 父も昔に覚えたので、ルールなどに自信が持てなかったようです。将棋の歴史なども書かれていました。祖母に将棋を教えたくて持ち運んでいたようです。百科事典は今も手元にありますが、将棋の項目のページだけが汚れているのが分かります。
松岡 4、5歳の子供が、百科事典ですか。とても信じられないことですね。将棋の才能も順調に開花し、中学2年生でプロ棋士に。その頃の心境はどんなものだったのでしょうか。
谷川 まだ、プロとしての実感があったとは思えません。ただ、一生将棋を指していけるという喜びは心に残っています。1、2年して、プロの意味が分かってきました。
松岡 高校生になった頃ですか。
谷川 一つは、中学三年の時です。序盤で大きなミスをして、普通、夜中までかかる将棋が、持ち時間を残して4時ごろに終わってしまったのです。勝ち負けは別として、プロとなったからには、与えられた条件でベストを尽くさなければならないと自覚しました。もう一つは、高校一年の頃、C級2組の順位戦で、最初7連勝し、あと3局の内1勝すれば昇級できるというところで連敗したのです。最終局もかなり厳しい状況になったのですが、やっとの思いで、勝ち切ることができました。この二つのこと、プロの自覚と勝負の厳しさを体験することによって、本当の意味でプロ棋士になれたのかな、と思っています。
松岡 楽しいから指しているという世界から、責任ある世界へと踏み出したということでしょうか。
谷川 この二つのこと、殊に厳しい勝負は誰しも経験するのですが、早い時期に、一番良い時期に経験することができたのではないでしょうか。
松岡 21歳の名人誕生に結びついたと思われますか。
谷川 ええ、確かにそうも思いますが、普通、他のタイトルを先ず取り、それから名人になるのですが、私の場合は、最初のタイトルが名人であったわけです。中原先生の時代が長く続き、新たな息吹を求める、時代の波とか、勢い、に乗れた名人獲得でもありました。
松岡 「光速の寄せ」は、先生の代名詞でもあるように、新たな感覚が時代を突き破ったと思えるのですが。先生の、将棋に接する態度とはどのようなものなのでしょうか。
谷川 将棋をどのように見ているかで、感じ方が違って来ますよね。現在は、定跡なども整備されて、多くの道しるべなどができています。多くの研究がなされていますが、それが絶対だと思うと将棋が狭くなってしまいます。情報は取り入れて、よく調べておくけれども、実際の対局や局面を見るときには白紙の状態で見る事ができるかどうか。難しいことですが。
松岡 私は大学では生物学を学んだのですが、教授に言われた、『実験室の心得』と通じるものを感じますね。
谷川 七年前、河合隼雄先生と対談をする機会に恵まれました。その席上、棋士というのは、三つの顔が必要だと感じる、と話したことがあります。一つは研究者、一つは芸術家。もう一つは勝負師だと。大変に共感してくださいまして、心強く思っています。
松岡 普段、将棋に向かう態度でもあり、一局の将棋の態度でもあると言うことですか。
谷川 三つのことを自然に持っていて、自然に表現できるということが理想なのでしょう。ですが、対局に向かうときには、研究の途中でも結論は付けておかないと自信を持って対局に臨めないという面もありますし、芸術的な美しさを求めても、勝負としてはうまく行かないこともあります。何しろ将棋というのは、単純ではありませんから。
松岡 羽生先生が若い頃に谷川先生と対局して、こんなにも早く谷川先生が終盤を意識しているのか、と感じたそうです。
谷川 詰将棋も好きなものですから、終盤の入り口あたりから詰む形をイメージして、イメージを具体化するために局面を作っていく傾向はあります。それが、他の棋士より詰め形を考えることが早かったのかなという想いはあります。
松岡 谷川先生は、早くからISPSの会員になられ、常に暖かく活動を見守ってくださっています。理事長も深く感謝しているのですが、今までの活動状況をどのように受けとめられていますか。
谷川 発足14年ですね。先ずは長期に亘って活動されていることが素晴らしいと思います。海外に行く度に、将棋人口の厚みが増していることを感じています。昨年、天童で行われた国際将棋トーナメントで、ベラルーシの方が2位に入りました。ヨーロッパやアメリカの方が強いという印象があったので、意外に思えました。世界の将棋の層が厚くなって来ている証拠ですし、世界大会の結果などを見ると、参加者全体が大変に強くなって来ています。ISPSの成果が浸透してきていることを示すものだと思っています。
松岡 池谷さんがウクライナに行かれたときの報告の中に、ベラルーシ関連の話もあったと思いますが。
池谷 ウクライナのリフネに行った時に、ベラルーシからも参加されていました。ロシアのサンクトペテルブルグでは、学校で教えてもいますので、ロシア語圏でも層が厚くなって来ているかも知れません。
松岡 ここにロシア語で書かれた将棋の本があるのですが、前半部分は、谷川先生の「光速の終盤術」を訳したものだと聞いています。
谷川 昨年の天童でも、この本で勉強したという話を聞きました。私自身としても思い入れのある本です。様々に翻訳されているようで嬉しいことではあるのですが、もう、20年も前のものですので、その後、翻訳されたものが少ないのかなとの思いがあります。著作権の問題もあるかと思うのですが、柔軟な対応がなされるといいですね。梅田望夫先生の本などは、自由な翻訳を可能にしていますから。
松岡 すぐにプロジェクトチームが湧き上がり、出版から、翻訳まで十日ほどで終了したと聞きました。今後、海外普及に大きな役割を果たすのではないでしょうか。と言いましても、海外普及に関しては、様々なスタンスの方がおられます。先生は、海外普及に関してどのような考えをお持ちですか。
谷川 それぞれの立場で、自分たちができることをするということだと思います。私自身、海外で対局を多くしてきましたが、行ったところでは、将棋への関心が強くなってきます。また、連盟では三年に一度国際フェスティバルを開催しています。
個人では、YouTubeの動画があれほど多く作られているのに驚きました。初歩の部分のアクセス数が非常に多いですね。
松岡 動画を作られたのは、静岡にお住まいの方です。昨年、ISPSの会員となられました。お蔭様で、多くの人材が次々と新たな会員になられています。ISPSの組織化を進め、力を結集していければと思っています。
谷川 色々な方が、それぞれの立場で、というのが発展の原動力となると思います。パリに本間六段を派遣できたことも連盟として大きかったのではないかと思っています。
松岡 話題をかえますが、本年度、棋士会の会長に就任されました。不勉強で申し訳ないのですが、棋士会というのは、連盟の中でどのような位置づけなのでしょうか。
谷川 今までは、男性棋士と、女流棋士とは別の組織のものという感覚で捉えられていた傾向があります。これからは、一緒のものとして行こうというものです。当然、対局などは違いますが、普及などに関しては一つの組織として行動していきます。子供さんへの普及の面では、女流棋士の方がいい場合が多いですしね。棋士会主催のイベントなども開催しましたが、4月に始まったばかりで、まだ、きちんとした形にはなっていません。ただ女流棋士と男性棋士が同じ場で意見を出し合うという機会は今までありませんでしたので、問題解決に一つのきっかけを与えるものだと思います。互いに協力していくのは大切なことでしょう。
松岡 女流棋士の存在には、四段制度との関係があって、難しい問題を抱えているのではないかと思いますが。
谷川 厳しい三段リーグを抜けて初めて四段になるわけです。その意味では、男性・女性両方平等に門戸は開かれています。ゴルフなどでも、プロは何千人もいるのですが、実際、トーナメントプロとして生活している人はあまりいない。どちらの組織がいいのかは分かりませんが、これから模索していくと言うことでしょうか。
松岡 棋士としての生活保障は、子供達に、特に親御さんにとって、非常に魅力あるものです。将棋普及に欠かせない要素だと思っています。また、棋士に対する高潔なイメージは、将棋を教育に生かそうとするものにとって、欠かせない要素でもあるのです。このイメージを定着されたのは、谷川先生の功績の一つだと思っているのですが。
谷川 自分のことはさておき、将棋と教育という面ですと、現在は、東大はじめ、一流の大学を卒業した棋士が増えてきています。私たちの頃には考えられませんでした。将棋によって思考力であるとか記憶力であるとか、決断力・集中力、色々な力が身に付いたということでしょうか。
松岡 将棋に向かう態度は、同時に、学業などに向かう態度を育てることができるということでしょうか。
谷川 将棋に向かう子供の頃の習慣が、学業の中にも生かされて行ったのではないかと思います。将棋を学ぶことによって、様々な力が身についてくると思うのですが、少なくとも、このような力を一つでも身につけておけば、壁に突きあたった時、突破する力となって行くと思います。
松岡 指し将棋とは別に、谷川先生には、詰将棋の世界でも実力者として知られています。詰将棋を海外普及という視点で、見て行くことはできないでしょうか。
谷川 詰将棋というのは、簡単なものは将棋の上達の上で大切なものですが、詰将棋には芸術的なものがありまして、しかも、図面と解答だけがあれば、解説はあまりいりませんから、日本語が読めなくても分かると言う面があると思います。
松岡 普及の一方の力となる可能性を秘めていると。
谷川 インターネットのYouTubeに「煙詰」なども入っていましたが、あまりアクセス数が多くなかったのは残念でした。ルールを知り、詰める手法を知った外国の方が「煙詰」などを見たら、皆さんきっとびっくりされると思います。あの「煙詰」が、江戸時代に創られた物だという点も、驚きを与えられると思います。
松岡 今後も詰将棋に関わっていくのでしょうか。
谷川 本業に差しさわりのない程度に、関わって行きたいと思っています。江戸時代に、時の名人が献上百番を残しましたので、私も、そのようなものを残したいと思っています。かなりの長編になりますので、あまり一般向けにならないのですが。
松岡 将棋とインターネットとの関係はいかがでしょうか。
谷川 インターネットの発達の関係で、公式戦を含め、多くの棋譜をリアルタイムで見ることができるようになりましたので、海外で突然に強い人が現われるということが考えられますし、自分では指さないけれど、凄く将棋に詳しい外国人が出てくる可能性はありますね。観戦の好きな方が増えてくれば、私は誰々のファンだという外国の方が多く現われる可能性があります。
ただ、やはり将棋の楽しさというのは、人と人との交流にあるのです。しかも、将棋は言葉が通じなくとも交流ができるわけですね。将棋連盟としても、昨年の国際フェスティバルのようなものを開いて、将棋の楽しさ、交流する楽しさをそれぞれの国に持ち帰ってもらうことを願っています。ISPSとしても、人的な関係を多く作っていただいて、将棋の楽しさを、一人でも多くの方に伝えていただければと思います。
松岡 三年程前のことですが、100チームほど参加した神奈川県の小中学生の大会に、ウクライナの子供の1チームが参加したことがあります。ウクライナの子供だけでなく、日本の子供たちが本当に嬉しそうな顔をしていたことを思い出します。
谷川 きっと、子供の頃に外国を経験すると言うことは、大きなことだと思います。1990年の竜王戦でフランクフルトにいったのですが、私にとって初めての外国でした。非常に強く印象に残っていますね。
松岡 最後になりました。個人としてどうしても聞きたい事があるのです。先生にとって羽生世代というのは、どのように映っているのでしょうか。大豪の中原先生をやっと破った時、ふと後ろを振り返ると、様々な得物を持った精鋭たちが集団で襲いかかって来た。そんなイメージを持っているのではないかと、勝手に想像しているのですが。
谷川 そのようなイメージは全く持っていません。集団が生まれる切っ掛けを与えたのは私だとも言えますし、優秀な人材が集まることで、その世界が繁栄するわけですから。
数々の伝説に囲まれている谷川浩司十七世永世名人。様々な内容に言及されましたが、一貫していたのは『将棋と人間』の関わりでした。
棋士は、「研究者であり、芸術家であり、勝負師である」と。それぞれの大きさとバランスが重要であると。おそらくは、自分自身に言い聞かせるものであると思うのですが、棋士がそうであることを願っている部分も含んでいるのでしょう。この言葉に、ふと、中島敦の小説『悟浄出世』の一文が浮かんできました。「何故、妖怪は妖怪であって、人間ではないか? 彼らは、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜い迄に、非人間的な迄に、発達させた不具者だからである」。
もともと将棋は勝負を争うもの。その属性のみに邁進することを諌め、人間としてのバランスには、研究者・芸術家の要素が是が非でも必要なのだと言われたような気がしています。おそらく、心理学者の河合隼雄氏もこれを絶賛されたのでしょう。谷川先生の『内なる芸術性』は、二人で創り上げる「将棋の世界」を超え、己の世界、「詰将棋」に誘うのかもしれません。
国内にしても海外にしても、将棋を普及する活動の内に、人間同士の繋がりや人間と将棋との繋がりに思いを馳せていることが、言葉の端々から感じ取れました。きっと、谷川先生にとって、将棋は自身の陶冶の道であり、人間陶冶の良きパートナーとして映っているのではないでしょうか。これを世界に広めることを、ISPSに託されたとの思いを強くしています。
インタビューが終わりふと浮かんだ言葉は「八面玲瓏」。道服と白羽扇が最もよく似合う方だと思うのは、決して私だけではないでしょう。
運営の雑事に惑うことなく、将棋の道を歩まれることを願って止みません。
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