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私の海外交流記(創刊号、1996.4.1)

 私が将棋の海外交流をしたのは3年前の4月からです。その時は北京で行われた中国象棋(シャンチー)の世界選手権に出場し、その後ハルピンに行き北京に戻りと3週間近く交流をしました。
 このときの詳しい内容は将棋マガジンの93年7〜9月号に中国訪問記として原稿を書きました。
所司和晴

北京で少年に教える
 その後は94年10月。同じく中国北京、ハルピンに2週間近く行きました。このときは国際交流基金ではなく文化庁の援助で行ってきました。北京では中国棋院の関係者と少年宮の子供たちに将棋を教えました。ハルピンではチェスの選手を中心に教えました。このときのために作っておいた北京語の将棋のパンフレットが非常に役に立ちました。
 94年11月はマカオで行われた象棋のアジア選手権に出場しました。このときは象棋の対局の方に力を入れていたので、将棋の方は東マレーシアの若い選手に教えたぐらいで、あとは北京語のパンフレットを配る(50枚くらい)だけにとどめました。
 このとき中国の特級大師の柳大華氏と対局することに恵まれ、親しくなり、翌年7月に日本に来てもらうことが実現しました。この様子は囲碁将棋ウイークリーで紹介してもらいました。また将棋マガジンでは羽生さんと柳大華氏の対談を行いました。
 95年は9月シンガポール、10月中国の蘇州・北京、11月マレーシアのクアラルンプールと続けていきました。
 シンガポールでは象棋の世界選手権に出場。対局の合間にドイツ、イタリア、アメリカの方と日本将棋も指しました。また中国系の方にも将棋のルールを覚えてもらい、王様一枚から順に指していったりしました。ドイツの方はほとんどの選手が将棋を指せました。私以外の日本人選手と将棋を指している光景などもありました。
 10月の中国への旅は連盟の棋士派遣の形で、前回同様文化庁の援助で行きました。まず蘇州に行き中国の全国個人戦の大会を見学しながら、その関係者や選手に将棋を教えるという目的です。その後、北京へ行き竜王戦と同時に行われた中国人の将棋大会の審判や指導が主な役目です。

普及に行きたい場所
 11月マレーシアのクアラルンプールでは象棋のアジア選手権に出場。試合の合間にシンガポールで教えた方と指したり、積極的に向こうから将棋を教えて欲しいという方が多かったです。クアラルンプールでは、将棋に関心を持つ人が多く、将来将棋の普及に行きたい場所です。
 選手では中国の特級大師の許銀川氏と象棋の公式対局で当たり、あとでいろいろと話をすることができました。許氏は広州の方で、私が広州に交流に行きたいという話にぜひ来てくださいとのことでした。またゲストで来ていた特級大師の徐天紅氏は、将棋を覚えて8枚落ちで勝つところまで行きました。徐天紅氏は南京の方で、江蘇棋院の副委員長でもあります。南京へも今後交流に行きたいと思っております。今年の海外交流予定は11月インドネシアで象棋のアジア選手権(団体)があり、順位戦とかち合わなければ行くつもりです。

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