3度のフランス遠征(6号,1997.10.5)
1995年に初めてフランスへ渡ったのは、チェスの国際大会に出るためだった。この大会はフランスを初め、近隣諸国の人が300人ほ ど参加するオープン戦で、家族的な温かさで人気がある。大会は1日1局で、時間が十分あり、合間には将棋の指導を行なった。(湯川博士)
1996年。この年は、プロ八段の森内さんが同行し、大会場の一角に将棋コーナーを設けてもらい、将棋ブームを起こした。とくに、フランスのトッププレーヤー、GMアピセラが将棋に興味を持ち、大会の合間には将棋コーナーを訪れてくれたのは大きかった。彼クラス(フランスで2位か3位)になると、ファンが集まってくる波及効果があるからだ。集まってくるのは若い人が多く、初見で、将棋の3手詰をすぐに分かってしまう。詰パラに出ていた3手詰問題で、飛車・角が中心のものは即座に解いた。逆に、金・銀・桂・香・歩など動きの違うものは、考えている。
この年は、パリから300キロも離れている 会場に、フランスチェス連盟会長が現われ、なんと将棋コーナーに座ったのである。そして説明を受けるや、我らのメンバーと8枚落ちを指した。お話もしたが、日本にそうとう興味を持っている感じを受けた。
フランス人の一番の関心は、森内将棋GM(グランド・チャンピオン)で、彼の集中力と粘りには称賛の声が上がった。おもしろいことに、強いGMたちは即座に森内さんの資質を見抜き、素晴らしいと誉めるが、ちょっと格下のIM(インターナショナル・マスター)たちは、それほど評価したがらない。でも互いの一流棋士の交流が、最大の理解を生むのだという感触を得たことは確かだ。
1997年7月。3年目は一行10人とふくれあがり、森内八段も2年連続参加。やはり将棋コーナーを設置し、随時指導した。アピセラGMは、この一年間でめちゃ強くなったので聞いてみたら、パリのフランス将棋連盟に通って指していたそうだ。
大会の中日ころ、森内・アピセラの将棋・チェス2面同時対局が行なわれ、ギャラリーもそうとう集まった。
国際交流の秘訣は
さて一般にフランス人は、日本の扇子を欲しがる。昨年は森内八段が羽生名人に挑戦したときの扇子が大人気だった。あるとき熱心なファミリーから、扇子の文字の
「阿吽(あうん)」の意味を教えてくれといわれた。気が付くと周りはフランス人で、皆一様に目を輝かせて私のことばを期待している。
「ノーカンバセーション、バット、コミュニケーションオブインスピレーションOKね」 咄嗟に単語を羅列したが、それでも、「オー、アンダスタンド。ブジュボジュ〜」 たぶん理解してくれたと思うけど?!。
驚いたのは、禅のことを知っている人がけっこういたことだ。フランス人は日本の文化に興味ある人が多いようだ。というのも、今年のことだが、私は心身のバランスを保つため(病気予防)、最近合気道をやっているが今大会でも試合前や合間に、外の芝生で合気体操をやっていた。すると、こどもが覗きにきて、質問する。
「それは空手でもなさそうだが、なんと言うものですか?」
「アイキドウ」
「あっやっぱり。この間テレビで見たぞ!」(フランス語だが不思議に分かるのだ)
ぼくはとても興味があります。もう少し見ていていいですか」
「ウイウイ。OK」
この少年たちの口コミ(あのオジサン、合気道使いらしいぞ!)のおかげで、今年の大会では少年強豪たちのビビリがあったようでずいぶん勝ちを拾わせてもらった。
合気道のおかげでチェスに勝ち、昔座禅をかじっていたおかげで、扇子の意味を教えられた。外国へ行ったら、いちばん役に立つのは語学よりもむしろ日本の芸を身につけていることかなと、実感した次第…。
将棋については、1手詰や3手詰の本が有効で、そこで駒の性能を覚えてもらうといいようである。
今年のフランス遠征の最後に、世界チェス連盟の最高幹部に会い、将棋とチェスの交流できる企画をやろうと話に燃えた。チェスのチャンピオンが日本に来て、将棋棋士と交流する日も遠くはないような気がする。
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