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私の日本旅行記(7号,1998.5.1)

 去年、私は読売新聞と日本将棋連盟によって第10期アマチュア竜王戦のヨーロッパ代表に選ばれました。これはStephen Lamb、David Murphy、Reijer Grimbergen、Arend Van Oostenに次ぐ5人目のヨーロッパ人となります。私は日本に2週間滞在することになり、これによって多くの対局と観光の機会を得ることができました。(Eric Cheymol)

日本には多くの美しい名所、社寺、庭園があります。2週間という時間はそれらを堪能するには十分とは言えませんが、いつかまた来たいという思い出を作るにはちょうどいいでしょう。
 
大阪での出会い
 今回の日本旅行は大阪の部と東京の部に分けられます。前半は中平貴将さんの指導のもと、竜王戦の準備のために費やされました。貴将さんはアマチュアとしては大変に強い選手です。彼自身アマ竜王戦にも3回出場していますし、四段当時の郷田真隆プロに平手で勝った事もあります。(この対局は1990年の将棋世界12月号に解説があります。)
  大阪に着いた時、貴将さんの家族と一緒にPatrick Davinが空港で待っていました。PatrickはインターネットでShogi Nexusというホームページを運営し、プロ将棋を紹介したり、「詰め将棋チャレンジ」を公開したりしています。私はこれが楽しみで、本間博プロ五段による毎週水曜の出題に欠かさず挑戦しています。
 数日後の6月15日、貴将さんは自宅でトーナメントを開いてくれました。これには貴将さんの友人の強豪2人と奨励会員が1人参加しました。4人で争ったこのトーナメントで、私は3位になりました。この結果はとても満足できるものでした。参加者はとても強かったのに、7局中2局を勝てたのです。もっとも普段のヨーロッパではこんな成績ではありませんが。後で考えると、この時がヨーロッパスタイルが日本のやり方と違っていることに気が付いた最初の機会でした。
 もしあなたが関西に行く事があったら貴将さんを訪ね、何日か使って寺院や庭園を観光するといいでしょう。6月16日のように比較的空いている日(たまにはそんな日もあります)を選べば金閣寺、清水寺や竜安寺のような美しい寺院を堪能し、他人の写っていない写真を撮ることもできます。
 日本人は親切で、気軽にあなたのカメラであなたの写真を撮ってくれますし、写真に撮られるのも好きです。とはいえ、私は自分の顔を撮るよりも仏像を撮る方が好きなので、時々不思議そうな顔をされることもありました。もし京都の観光名所についてもっと詳しく知りたければ、Reijer Grimbergenに聞いてみるといいでしょう。彼は私よりもこの素敵な都市をよく知っています。

2つの道場
 さて、竜王戦の調整に話を戻しましょう。火曜と水曜は関西将棋会館に行きました。同時に150人くらいの人が対局できる大きな道場で、週末になると大勢の人がやってきてなかなか壮観です。ここで何局か指しましたが、強敵にぶつかり、苦戦の連続でした。
 ここではヨーロッパでの認定と同じく、四段と認定されました。女流プロ三段の先生にも教えて頂きましたが棋譜を取り損ないました。この対局は私の弱点がはっきり顕われたものになりました。中盤で優位を築くことができましたが、方針の選択ミスによる悪手で試合を落としてしまいました。これと同じ事がアマ竜王戦の予選第1局でも起こりました。
 Patrikと一緒に十三の棋道館にも行ってみましたが、ここは世界一凄いクラブでした。将棋会館とは大違いで、30人くらいで一杯になる狭さです。独自の段級位システムを採用しており、将棋会館とは三段くらい差があるかも知れません。初めてここに来た人は席主と駒落ちを指す事になっているようです。私は飛車落ちで指し、二段と言われました。二段はここではかなり強い方に入ります。この他にも3局ほど指し、1局目は吹っ飛ばされ、2局目は何とか勝ち、3局目は時計が切れて負けてしまいました。(詰みがあったのに!)ここでは全員本気になって負かしにきます。将棋会館とは違って全ての対局にチェスクロックが使われています。
 貴将さんと彼の家族の暖かいもてなしのおかげでこの旅行の大阪編はとても楽しく過ごせました。彼は竜王戦に向けてベストコンディションを維持できるようあれこれ気を配ってくれました。彼とは何局も指しましたが、一つの持将棋を除いて全敗でした。とうとう私は自分にいいました。「お前にはこのクラスで指すのは家賃が高すぎる。弱点が多くてここまで進歩できないぞ。」しかし私は将棋を指すのが好きですし、どんな大会にも出られるようにもっと勉強するつもりです。
 Patric Davinの協力もありがたかったですし、電子メールのやり取りだけでなく実際に彼にあえた事はとても嬉しいことでした。Patrik、Shogi Nexusはとてもいいホームページです。これからも頑張ってください。

東京での再会
 新幹線に乗って3時間、東京で待っていたのは誰でしょう?ヨーロッパで見知った顔が二つ、鈴木良尚さんとReijer Grimbergenさんでした。ドイツにいた10年間、鈴木さんはヨーロッパの大会に参加していました。すっかり忘れていましたが、フランスオープントーナメントで二歩で負けた事を鈴木さんに言われて思い出しました。(こんなことは忘れる方がいいですよね)
 東京での最初の出来事は15〜20席くらいの小さなレストランでの歓迎会でした。日本にはこんなレストランが沢山あります。楽しい食事を楽しむことができます。その後でバーに行った時、歓迎会に参加した宮田利男七段から、2日後に迫った竜王戦に備えて平手で1局指しませんかと提案がありました。これはうまく指せたと思います。入玉含みで指せば優勢を保てたかもしれません。
 金曜日は台風で、Reijerと私は買い物をして廻りました。お土産を買うにはいい天気ですね。でも日本を観光するならこの季節は避けた方が賢明です。6月は梅雨の季節、温度と湿気がかないません。10月〜11月とか3月〜4月の頃がいい季節です。
 竜王戦の開幕式が谷川浩司竜王の出席のもと行なわれました。後ほど、谷川竜王、Reijer、大野木さん(連盟職員)、そして飛行機でやってきた中平貴将さんも一緒になって日本酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。

大会当日
1997年6月21日土曜日、運命の日がやってきました。浦島ホテルでの予選は1局目が朝9時開始でした。私にとって、この開始時間は早すぎます。
 予選会場では、56人の選手が必勝を期して精神集中していました。55人の日本人に混じって、私もアマ竜王戦で初の勝利を上げるヨーロッパ人になるべく気合を高めていました。
 トーナメントで使った盤駒はとても美しいものでした。持ち時間は40分、これが切れると40秒の秒読みになります。30秒と40秒では大きな差があります。ヨーロッパでも40秒制を取り入れて対局の質を向上させて終盤のポカをなくすようにするべきでしょう。
 56人の選手は4人づつ14組に分かれました。各自2局指し、2局目は勝者同士、敗者同士が当たります。2局指した時点で、全勝者がまず予選を通過します。全敗者は失格です。1勝1敗同士で第3局を指し、勝った方が予選通過となり、28名で争われる本戦に臨みます。
 毎局終盤になるとおなじみの青いチェスクロックが活躍し、延々と秒読みが続く試合もあります。秒読みになった選手はほとんどが最後の10秒になるまで着手しませんでした。
 第1試合、問題の局面です。3つの位が敵陣にプレッシャーを与え、形勢有利です。2六飛で歩の交換を強要し、チャンスは続きます。しかし、私は5筋の歩をすぐに外したいと考えました。時間は少なくなり深く考えずに▲4四歩と着手したところ、あっという間にゲームは終わってしまいました。
Eric_fig1.JPG
(図1から)
▲4四歩 △同 飛  ▲5五角 △4六飛 ▲2二角成 △4九飛成
銀を只で取られ、竜まで作られては勝負ありです。
 第2局は受け身に廻って相手の戦術を見定めるようにしようと思いました。これは普段の指し方ではありません。いつもは主導権を握る指し方をします。しかし竜王戦に出てくるような選手は世界のトップレベルにあって、中には奨励会にいた人もいるのです。だから私も注意深くなければなりません。
 第2局の相手は緊張しているように見え、試合前には一言もしゃべりませんでした。土曜の午後、そして日曜になると私たちは将棋を指し、語り合いました。これはReijerに通訳してもらいました。私も日本語を話す事を勉強するべきです。彼は友好的で、強豪でした。
Eric_fig2.JPG
 この局面で△同金▲同角成△9六飛という展開なら互角だったようですが玉の近くに馬を作られたくなかったので△4二金寄を選び、指す手がなくなってしまいました。以降20手ほどで負かされました。
 第2試合が終わってもまだ日中です。しかし私はこの時点で失格となりました。このことが妙な気分にさせます。準備に数ヶ月かかって、全ては3時間で終わってしまいました。
 予選落ちはしましたが、このような大きな大会で指せた事は良い経験になったと思います。初参戦ながらヨーロッパよりも慎重な選手達のスタイルと手数も時間も長いゲームに触れました。

秒読みなんだよ
 2日のトーナメントの間、日本人の観客があまり来なかったことは驚きでした。何万人もの人が将棋を指している日本の東京で試合があったのですから、大勢の観客がきてもよさそうなものです。
 ヨーロッパの対局風景とは違う点があります。竜王戦では試合が終わると対局者は大きな声で感想戦を行い、隣の試合に迷惑だなんて考えもしません。棋譜を採っている人もいます。ライエルが取ってくれたので私は試合に集中できました。
 ヨーロッパのアマチュア大会では1時間の持ち時間と40秒の秒読みが普通ですが多くの試合は秒読みにならずに終わっています。この大会参加者のような強豪たちに勝ちたいなら、私たちも秒読みに慣れる必要があります。クラブで指すには40秒の秒読みだけで指してみてはどうでしょうか。
 勝ちぬき戦の間、おかしなことがありました。多くの日本人が携帯電話を持っています。ある選手の電話が秒読みの最中に鳴り出しました。あわてて電話をとり、大きな声で言いました。「今話せない!秒読みなんだ!」相手は理解出来なかったようで、話し続けようとしました。その人は相変わらず大きな声で「本当に話せないんだ!秒読みなんだよ!」と叫び電話を切ってしまいました。
 竜王戦の後、観光に時間を費やしました。月曜に、Reijerは私を浅草観音寺に連れて行き素晴らしい庭園を見せてくれました。もしあなたが緑豊かな休息を望むなら日本の庭園こそ訪れるべきところです。
 その夕方はISPSのパーティに招かれ、夜に連盟のホテルに戻った時、館内テレビで塚田−佐藤(康)戦の感想戦の始めの部分が流れていました。そこで対局室に行って見学をお願いしたところ、両対局者ともに夜の11時に見学させて欲しいという人が現れた事に驚きました。普通はこんな時間に観客はいませんから。
 火曜日、鈴木さんの案内で鎌倉を訪れました。鎌倉は海の近くにあり、落ち着いたところです。散策と観光を楽しむには鎌倉はいいところです。長谷観音、大仏、佐助稲荷、銭洗い弁天、八幡宮といった多くの寺院があります。いつかまた訪れたいところです。その後、鈴木さんの地元、横浜を楽しみました。
 水曜日は大野木さんと宮田さんが日光東照宮に連れていってくれましたが、ここも素晴らしいところです。宮田さんは参考になるアドバイスをくれました。棋譜を採るのは対局が終わってからにする事、大局を見て、遊び駒を作らないようにする事の2点です。働かない駒があって、どうして強い相手を倒せるでしょう?
 木曜日、6月26日は私の将棋にとって大事な日です。その日、私は宮田プロと高柳道場に行きました。ここは2階あって、50面以上の盤が並んでいます。他の将棋クラブと違うのは畳に座って対局する事で、何だかプロみたいな気分です。しかしこれが重要で、机に向かって指すよりも目と盤の距離が長くなります。
 大局を把握するにはこれがいい方法で、自然に盤全体を眺めることができます。高柳九段の指導も受けました。中原十段の師匠である高柳九段はこの道場でよく指導対局するそうです。
 今回の日本旅行で将棋に対する新しい考え方を学びましたし、間違いにも気付きました。その一つは、将棋とは忍耐力のいるゲームだということです。攻めようとしている時に我慢するのはとても難しいことです。
 日本に来てみて、将棋を楽しみ勉強する意欲が新しくなりました。強くなろうと思ったら、アマ竜王戦に参加しているような強豪に勝とうと思うなら、私の弱点を克服する必要があります。全ての将棋ファンに、日本を訪ねてこのような大きな大会に参加する事を勧めます。その最短の方法はヨーロッパ選手権に勝つことでしょう。
 最後になりましたが中平さん、大野木さん、Reijerを始めとする多くの方にお礼を申し上げます。

予選第1局 先手 Eric Cheymol 後手 Michiaki Yamazumi
Eric_kif1.JPG

予選第2局 先手 Keiji Omatsu 後手 Eric Cheymol
Eric_kif2.JPG
(Webmaster 註:翻訳は山田禎一、現在 Eric Cheymolo 氏のホームページはここ、また、レポート中の Shogi Nexus はこちらになります。)

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