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チェコ共和国の将棋(14号,2000.12.25)

 今年7月の末にスウェーデン将棋連盟の会長がチェコに出かけ将棋の紹介をしてきました。結果は上首尾で、Pardubice でのチェコ・オープン2000というチェスのトーナメント参加者1130名に将棋の紹介をし、そのうち約半数が将棋のルールを学び駒落ち将棋を指しました。そしてPragueで小規模のトーナメントを行いました。チェコ将棋連盟が設立され、最近チェコが欧州将棋連盟の11番目の加盟国として満場一致で加盟を認められました。(Martin Danerud,
欧州将棋連盟副会長兼スウェーデン将棋連盟会長)

 欧州で将棋愛好者がふえてきています。それには二つ理由があります。一つは積極的に将棋を指す人たちのための将棋トーナメントがますます大規模かつ頻繁に行われるようになり、またhttp://www.shogidojo.com. といったインターネットで容易に対局相手が見つかるようになったからです。2番目の理由は将棋の組織のできた国が急速に増えていることです。過去3年の間に将棋の組織のある国が倍増しました。イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ドイツが欧州将棋連盟の最初の5か国でした。最近スウェーデン・ノルウエー・イタリア・オーストリア・ロシアが加盟しました。フィンランドにも将棋の組織があり、昨年Carl Johan Nils-son 氏と私が将棋の紹介に出かけたデンマークでも将棋が行われています。
 チェコ共和国のPardubice では毎年チェスのイベントが行われます。これは世界の大きなチェス大会の一つになっており、そこで私は東欧や中央ヨーロッパからのチェス・プレーヤーに将棋を紹介するために出かけることにしました。ISPSの援助のおかげでこれが実現出来ました。
 またe-mailを通じてPragueのVojtech Hrabal氏を知ることが出来ました。彼はPragueのボード・ゲーム・クラブのメンバーでこのクラブは一日の間様々なボード・ゲームを紹介するためにPardubice に招待されていました。
 7月の終わりにチェコの首都Pragueに飛び、そこから鉄道で東約100キロのPardubice に向かいました。この町は17世紀の30年戦争でスウエーデン軍に包囲されたところです。Zelena brana(緑の塔)の頂上から町じゅうが戦争に耐えた美しい場所が眺められます。(第二図参照)塔の下は玉石を敷き詰めた広場でルネッサンス時代の建物が残っています。遠くの大きな丘の頂上にはHradec Kralove(女王の城)を望むことが出来ます。
 チェコの鉄道運賃は驚くほど安価です。PragueからPardubice までの二等は225円相当です。Prague空港からPrague中央駅までのタクシーはその10倍もします。これはチェコの現状を良く示しています。いくつかのことは共産主義チェコスロバキアのままであり、ほかのことは急速に西欧に近づいているのです。20歳以上の人たちはチェコ語のほかにドイツ語やロシア語を話しますが、若者は流暢な英語を使っています。
 スウェーデン将棋連盟には新しい将棋紹介リーフレットがあります。将棋の歴史、将棋に関する基本的知識、それに将棋のルールが書かれています。チェコに出かける前にこれを英訳しました。チェス大会で様々な欧州の人たちと会うことになるでしょうから、英語のリーフレットが将棋紹介に最適と考えたからです。

 ☆チェス大会での普及

 チェス大会、チェコオープン2000はPardubice の文化センターIdeon で開催されました。競技参加者はすべてスイス・ペアリング・システムで9局対戦しました。同じポイントを持ったもの同士がコンピユーターによる一定の規則に従い対戦します。競技者はELOレイテイングにより4クラスに分けられました。A〜Dクラス合計1130人でした。Aクラスの優勝者はベルギーのグランド・マスター(GM)Mikail Gure-vichでした。AクラスはGM22人でした。
 英語の将棋リーフレットはチェコ・オープン2000の参加者すべてに配布しました。
 大会5日目は朝の9時から夜の10時までほかのボード・ゲームのための特別な日でした。PragueのPalubaクラブから来た人たちは碁・チャンギ・アバロン・オセロや将棋などを紹介しました。
 将棋は紹介された10あまりのゲームの一つで将棋のために最初から2つのテーブルを確保しました。
 私は初めてVojtech Hrabal氏に会いました。彼は長い金髪の素敵な青年でした。私たちは将棋に興味を示したすべての人に将棋を紹介しました。
 私は『最初の駒落ち将棋』すなわち私は王だけの将棋から始め初心者相手の駒落ち将棋を指し続けました。スウェーデンの人たちは中座四段が1998年にGoteborgに来られた時にこのような駒落ち将棋を教わったそうです。初心者がほとんど勝つことができ、より難しい駒落ち将棋で次第に力をつけて行き、将棋の面白さが分かる良い結果を生んでいます。
 Hrabal氏はチェコ語の駒の名前と動き方を図示した紙を配ってくれました。
 最初の二つのテーブルでは将棋紹介が続き、終わりにはほかのボード・ゲームのために用意されたテーブルの半分が将棋で占められることになりました。将棋のリーフレットで将棋がほかのボード・ゲームより面白いのが分かったことが明らかです。その日は約50人に将棋を見せることが出来ました。またHrabal氏は今後の連絡のために35人の名前を記録しました。
 新しい将棋の友人の大半はチェコ人ですが、スロバキア・ドイツ・ロシア・ポーランド・スペインから来た人もいました。私はチェコのテレビ局のインタビューを受け、日本の将棋や将棋の歴史についての質問に答えました。
 チェスを9局戦い、世界各国からの新しい友人たちとの会合を終えて、列車でPardubice を立ちチェコの首都Pragueに向かいました。Pragueは世界でもっとも観光客の多い首都の一つになっています。Karluv Most(チャールス橋)周辺地域は多くの観光客を魅了しています。この橋のVltava川の東側にはオールド・タウンがあります。1989年11月24日にWenceslas 広場のバルコニーからAlexander DubcekとVaclav Havel がチェコ共産主義の終焉を宣言しました。

 ☆ チェコ将棋連盟の設立

 Wenceslas 広場の近くのNamustkuの5階にチェコ・日本協会の情報文化センターがあります。  PragueのHrabal氏の周りに集まった将棋を指す人たちとPrague10年在住の日本人と私とで懇談しました。
 私たちはチェコにおける将棋について話し合いました。Hrabal氏と私はチェコ・オープン2000での成功について話しました。塚原氏からはPragueの日本人社会がチェコ将棋連盟に協力したい旨の発言がありました。
 Pragueの将棋プレイヤーはPragueのSmichov のLidicka 40番地にあるPaluba Club で毎週火曜日に集まることになりました。この会合でHrabal氏とPetr Kral 氏を欧州連盟に対する代表としてチェコ将棋連盟が設立されました。
 チェコの将棋プレイヤーがそれぞれの都市で将棋クラブを作り連盟に加盟することを望んでいます。私がスウエーデンに戻ってからチェコ共和国は欧州将棋連盟の第11番目の加盟国として承認されました。
 この会合で小規模な将棋会も行いました。チェコの強いプレイヤーはまだ欧州の強いプレイヤーの中には入りません。しかし彼らには将棋に対するエネルギーと強い興味があるので、いまに強いプレイヤーになると思っています。私はHrabal氏は7級程度とみました。あとで彼はTony Hoskingの優れた英語の将棋の本"The Art of Shogi" のチェコ語への翻訳をしているのを見せてくれました。
 将棋の会合が終わった夜、私はHrabal氏の家に招待されました。彼と彼のガールフレンドがチェコ料理をふるまってくれました。私たちは遅くまでチェコ共和国の現状と未来について語り合いました。彼らはアジアの文化について興味を持っており、おそらく将来よく旅行をするでしょう。何時の日か彼らが日本を訪問出来ればと思っています。
 チェコで10日間過ごした後、スウエーデンへの帰りの機上で私は疲れてはいましたが幸せでした。
 新たに欧州諸国に将棋を広める次のステップは欧州将棋連盟加盟国が、それぞれの周辺国に働きかけることだと思います。フィンランド・エストニア・デンマーク・スロバキア・ウクライナが近い将来欧州将棋連盟に加盟する可能性があります。それには現在の欧州将棋連盟加盟国の強い働きかけが不可欠です。ISPSが欧州における将棋の発展に支援を継続されることを願っています。

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