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東京・北京小学生交流大会観戦記(17号、2001.9.30)

 7月31日午前10時を少し回った、東京飯田橋セントラル・プラザ10階の東京ボランティア市民活動センター会議室。日本と中国の両国の子供たち、原田九段、大野六段、北島五段のプロ棋士の方々、将棋を世界に広める会(ISPS)の理事他会員の皆さん。全員が揃って、小学生将棋交流大会が予定通り始まった時は、正直なところほっとした。(山田彰)

 この大会が始まるまで、チャリティー将棋大会や大会の後援の取り付け、日本側の小学生選手選抜のための予選大会を開催したりした。途中、中国側とのコミュニケーションがなかなか難しく、いろいろな困難もあった。
 さらには、この春以降教科書問題や靖国神社参拝問題が起こり、日中関係にも大きな影響が生じた。この将棋交流大会は、まさかこのような問題の影響を受けることはあるまいと思っていたが、メディアでは現に日韓や日中の文化交流行事が中止になったニュースを報じていた。ISPSが北京から子供を招待するのは今回で3回目だが、中国から人を招待する際には、いつもビザの発給に苦労する。今回はその問題はなかったが、直前まで中国側が何人来るかもはっきりしないという状況であった。
 日本側も、予選を勝ち抜いた子供たちが全員来られるかどうか。実際は、選手のうち1名が体調を崩して欠席となった。幸い、補欠を予定していた小学生の一人である宇内君が当日会場にやってきていて、めでたく彼は小学生将棋交流大会の日本側代表選手になった。
 それやこれやはあったが、無事大会の開始にこぎつけたのである。大会の主催は、将棋を世界に広める会と北京市崇文区少年宮。後援は外務省、東京都、日本将棋連盟、NHK、囲碁将棋チャンネル、北京市対外友好協会、中国棋院の多数から頂き、また、(株)御蔵から協賛を頂いた。

◇開会式

 何事につけ、式典というものは子供たちにとっては退屈なものだ。特に今回は、開会式の挨拶から中国語の通訳がつくので、時間が倍かかる。それでも、子供たちは静かに聞いていた。まず、日本側主催者を代表してISPS真田理事長、中国側より北京市崇文区少年宮の袁副主任が挨拶を行った。さらに、審判長の原田九段からは、交流大会の企画に祝意を述べるとともに、このような文化的行事に国家がもっと費用を負担するようになってほしいものだとの趣旨の挨拶を頂いた。日本将棋連盟を代表して理事の大野六段も大会の開催を祝う挨拶を行った。
 最後にISPS轟理事より大会のルール説明が行われた。大会の方式は、なるべく日中対抗を多くする、第2戦以降は同星の選手と対戦、同じ相手には当てない、という形を取った。2敗すると失格で、プロ棋士との指導対局に回ったりすることになる。この形式だと、全勝者の優勝者が1名、3勝1敗の準優勝者が4名出ることになる。
 また、記録を残すため、各選手が対局しながら棋譜を取るように、との指示が出された。子供たち、特に日本側の子供たちは対局しながらの棋譜取りには慣れていないので、ちょっと大変だったかもしれないが、対局後は全員が自分の指した対局の棋譜を相手が書いた分も合わせて手にすることができた。

◇対局開始

 全対局が日中対抗になった1回戦を駆け足で振り返ってみよう。
 任君と山口さんは、山口さんのゴキゲン中飛車。早速角交換となるが、山口さんが着実にポイントを上げて駒組み勝ちとなった。後で、少年宮の李先生に聞くと、この一局を指して「日本の子供たちは、新しい定跡を知っていますね。中国にはなかなか新しい棋書は少ないので、ついていけないようでした。」と話していた。
 杉本君の四間飛車穴熊に先手の徐君は棒銀に出たが、振り飛車に捌かれてしまい、杉本君が優位を保って勝ち切った。
 李君と太田君は相横歩取り、先手7七桂型となり、乱戦に突入。後手の太田君の隙をつき、李君が馬を作り、優勢になったように思えた。自陣の弱点を補強して、馬を使えば優勢を維持できただろうが、後手は先手の弱点をゴリゴリ攻める展開となり、激しい攻め合いの後、最後は逆転した。
 石橋君と解君の戦いは、横歩取り3三桂型になるが、双方とも慎重で時間を使ったため、最もゆっくりとした進行になった。激しい攻め合いの中、石橋君が一瞬優勢かと思えたが、解君の寄せを見落とし、石橋君の負けとなる。石橋君は、敗北に思わず涙。
 伊藤さんは張君の四間飛車に棒銀を繰り出し、銀の捌きに成功、駒得を果たして、優位を確保した。終盤、張君も薄い伊藤玉によく喰らいついてもつれたが、最後は伊藤さんに凱歌が上がった。
 丹下君と王君の一局は矢倉戦になったが、丹下君が矢倉崩しに成功し、快勝した。
高艸君と潘君は、四間飛車の潘君がいきなり角交換を挑んで、乱戦模様となった。潘君は傍から見ても緊張が感じられる。局面は、潘君に錯覚があったようで、高艸君に両取りの角を打たれ、劣勢になった。高艸君は、その後も落ち着いて押し切った。
 宇内君と雷君は、宇内君得意の筋違い角となり、雷君は桂損したが良く粘って、ねじりあいの将棋になる。最後は、一気に雷君が詰まして中国側に貴重な勝利をもたらした。
 1回戦を終わったところで、日本側の6勝2敗。率直なところ、日本側の棋力のほうが少し上のようだ。それに、遠来の中国少年の方が日本の子供たちより緊張している。
 原田九段は「立派な序盤で、羽生、谷川が指しているようだ。序盤は四、五段くらいは指せている子もいるね」とおっしゃる。
 中国からは、小学生の選手のほかにも将棋を指す中学生などが訪日している。彼らは、北島五段と二枚落ち(四面指し)の対局をつけてもらった。結果は中国少年の3敗1指し分けで残念。でも、自分で取った棋譜にプロ棋士のサインをもらってよい記念になったと思う。

◇2回戦

 様々なメディアも取材に駆けつけた。NHKの囲碁・将棋ジャーナル、スカイパーフェクトTVの囲碁将棋チャンネル、近代将棋、週刊将棋などなど。将棋世界は、なんと田丸八段・編集長が自らデジカメを持って取材に現れた。
 2回戦は、1勝同士、1敗同士の対局となる。日中対局は4局あったが、日本側の4戦全勝になってしまった。1勝同士の解・太田戦は、相横歩取りになった。日中対局は四間飛車と横歩取りが多かった。図1の△8八歩は、▲同金なら、△3五角か△7五角で馬を作る狙い。先手は、▲5七角から▲2四角と活用していったが、8九に作ったと金が、8八、7八と活躍し、太田君の勝利。

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子供たちの対局の合間に、中国側引率の少年宮の李民生先生とお話する。李先生とは、筆者が3年前に北京の少年宮を訪れて以来の再会だ。北京では、現在崇文区の少年宮のみならず、3つの小学校、2つの中学校で将棋のコースがあるそうだ。少年宮では、80人くらいだが、全部で300人かそれ以上とのことである。李先生に8人の選手の選び方を聞くと、少年宮で選抜対局を行って決めたらしい。ただ、一人7歳の子どもは勝ったけれども、小さいので、訪日の際には別の選手が選ばれた由である。李先生曰く「小さくても強い子供はいます。」
 2回戦が終わって、昼食休憩に入った。日本側の子供たちに中国の少年の将棋について聞いてみた。「なかなか強いけど、緊張しているせいか、攻めたらいいときに受けに回っちゃうんだよね。もっと攻められたら、やられてしまったかもしれないのに。」これは、少し余裕のコメントか。「中国の子供たちは、遠くからきているから、集中力があって、日本の子供よりもっと真剣みたい。」
 日本と中国の子供たちとが対局していると、良く似て見える。中国の子供は髪が短い子が多かったのが違っていただろうか。

◇ 3回戦

 昼食後、3回戦に入る。2敗した子供たちは、原田九段から指導対局を受けた。山口さんは、ご両親と見えていたが、昼食休憩中に何とチャイナ・ドレスに衣替えしたので、びっくり。指導棋士の小田切秀人さんの教室から3人の子供がこの交流大会に出場しているが、山口さんはその一人。小田切さんが、「中国の子供たちが喜ぶからチャイナ・ドレスを着てみたら」と勧めたら、わざわざ会場に着替えの服を持ってきてくれたそうだ。チャイナ・ドレスは、良く似合って、とてもきれいでした。
 その山口さんは、中国方最強と目される解析君との対局。後手の山口さんの四間飛車に、解君は棒銀戦法に出る。バランスの取れた良い戦いであったが、先手は飛車角交換から飛車を打ち込んでやや優勢になった。後手は、強引な攻めで打開しようとしたが不発、先手の解君が押し切った。解君の実力が良く出た一局だった。
 その他の日中対局は、石橋君が任君に勝ち、丹下君も雷君に勝ち。中国側では張君が宇内君を下した。
 2敗して、失格となった中国の子供たちは、原田九段に挑戦。手合いは二枚落、飛車落、角落、平手といろいろだった。対局を待つ子供たちも、指導対局を囲んで熱心に見守っていた。

◇優勝決定戦

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 優勝決定のための4回戦は、太田君と高艸君の対局である。先手太田君は向かい飛車から早速飛車交換を実現。図2は、その直後に高艸君が△8ニ飛と自陣飛車を打ったところである。太田君は、▲8八飛と対抗した。これでも指せていると思うが、▲8七歩と飛車を手持ちにしたかった気もする。この後、△4五歩と角道を開けた後手に対し、▲7四歩、△同歩、▲8五歩、△8三歩、▲7七角、△4三銀、▲7六銀、△6四歩、▲6五歩、△同歩、▲8四歩、△同歩、▲6五銀(図3)と先手は動きを見せたが、これは動きすぎだったようだ。

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 後手は落ち着いて△5ニ金右とし、▲8三歩、△6ニ飛、▲2ニ角成、△同玉、▲7七桂、△7三桂と相手の手に乗って捌き、先手の攻めに空を切らせる。以下も先手の攻めを完封して、高艸君が見事四戦全勝で栄えある第1回東京北京小学生将棋交流大会の優勝を飾った。太田君は、4人の準優勝者の一人となった。
 また、4回戦では、解析君が相横歩取りの対局で伊藤さんを相手に鮮やかな寄せを見せて勝ち、3勝1敗で準優勝を勝ち取った。この他の準優勝者は、杉本君と丹下君だった。

◇表彰式・閉会式

 全対局を終えて、表彰式及び閉会式に移った。原田九段から、「大変和やかな会でした。これを契機に10年、20年と会が続いていくように望んでいます」と全体の講評があった。
 表彰式では、優勝した高艸君に真田ISPS理事長から優勝カップが授与され、さらに、優勝者と準優勝者には(株)御蔵提供の黄楊駒が贈呈された。他の参加者にも全員参加賞として、磁石の将棋盤が贈られた。加えて、原田九段が自ら署名をした色紙に、大会参加者16人全員の子供たちが名前を連ねたものを記念の品として一人一人に渡した。子供たちも16回も自分の名前を書いたので、この色紙は思い出になるだろう。
 少年宮の李先生が日本の招待、大会の運営に感謝の挨拶を述べられた後、真田理事長が閉会の挨拶を行い、来年は東京の子供が北京に行って将棋を指すという計画を発表した。この後、お土産品の交換、記念写真撮影があって、表彰式も無事終了した。通訳のセツさんは、開会式、閉会式を含め、ずっとすばらしい通訳でした。原田九段から将棋も教わっていたので、少しは強くなったでしょうか。
 優勝した高艸君にインタビューしてみた。
 「強い人が多かったので、優勝してびっくりしました。自信は無かったです。印象に残ったのは最後の4局目。中国の子供はまあまあ強いと思う。今は、将棋会館の道場で、四段で指していて、研修会にも入っています。来年はぜひ北京で将棋を指してみたい。」
 高艸君には、お母さんが同行していたが、対局中ずっとビデオを回していた。不思議に思って聞くと、自分は棋譜を取れないから、ビデオを取っておけば後で再現できるからと思ってのことだそうだ。高艸君が優勝するとは全く思っていなかったそうなので、本当に驚いています、とおっしゃっておられた。

◇懇親会

 大会は終わったが、これだけではない。同じビルのレストランで、懇親会も開催された。日中の子供たちや日本の保護者の方々の有志も参加して、楽しい会になった。
 何人かの人たちの言葉を拾ってみたい。
 山口さんのお母さん。「言葉がわからなくても将棋ができるのをこの目で見て感動しました。感想戦も身振り手振りで大丈夫だったようで、ほほえましい感じでした。」
 伊藤さんのお母さん。「見ているだけでドキドキしていました。棋譜をつけたことがなかったので心配でしたが、ひらがな交じりで何とか大丈夫だったようです。中国の子供たちと指すという本当に良い機会に恵まれました。プロになりたいと親には言ったことがないのですが、前回の予選のルポを読んで、『ああ、そうかな(プロになりたいのかな)』と思いました。」
 伊藤さん本人は、「中国の人は強いと思っていたので、2勝で精一杯でした。相横歩取はあまりやったことがなかった。」
 丹下君は、「準優勝で満足しています。今日は一人で来てお母さんが迎えにきたのですが、準優勝と聞くと、『すごいわ』と言われました。」
 準優勝した解析君はおじいさんと訪日していた。解析君は10歳で、将棋歴は3年半くらいで、今は月に4回くらい将棋を指しているし、家でも棋譜を並べているそうだ。解君にいろいろ聞こうとすると、はにかんで言葉は少ないが代わっておじいさんがいろいろ答えようとする。「解析は私の将棋の先生です。」きっと孫自慢なのだろう。おじいさんは「詰将棋、中原誠、中田章道」と筆者のノートに書き込んだ。解君は詰将棋の本も読んでいるらしい。
 かって、北京駐在時代の休日に少年宮で将棋を教えていた庄司さんは「4、5年前は私に二枚落ちでも勝てる子は一人もいなかった。今は平手でも負かされてしまう子がたくさんいます。この進歩には驚きと感慨を覚えますね。」と話していた。
 指導棋士の小田切さんには、中国の子供たちの実力を評してもらった。「解析君は、四段の実力はあるし、筋の良い将棋、本筋の手を指しますね。実力的には日本の子供よりむしろ上かもしれない。ただ、いわゆる勝負に辛い手がまだなかなかなので、実戦を多く指すともっと強くなるでしょう。雷君も結構指しますね。形がきれいです。去年10月のすくすく王将杯の時は序盤がめちゃめちゃだったので格段の進歩です。」小田切さんは、李先生や中国の子供たちにもアドバイスしていた。「中国の子供たちは、序盤と終盤はしっかりしていますが、中盤が課題です。戦いが始まった時に経験が足りないという感じです。中盤の指導のためには、実戦と次の一手問題が良いでしょう。継ぎの一手問題は古くならないし、本を見て考えることができます。」
 日中の子供たちも、セツさんと柴崎さんの通訳を介して、少しお話できたようだ。
 名残は尽きないが、懇親会も終わり、子供たちも引き上げていった。
 来年は、北京だ。
 

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