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「東京小学生将棋大会」SARSに負けるな、がんばれ北京(25号、2003.9.27)

 2003年の世界の十大ニュースをあげるとすれば、イラク戦争が第1位に来て、SARSの流行はきっと第2位か第3位にくるだろう。東アジアに猛威を振るった新型肺炎は、地域に社会、経済に大きな影響を及ぼした。特に、中国は患者数など最も影響が大きく、日中間の様々な交流も大きなダメージを受けた。(山田彰

 将棋を世界に広める会では、2001年に第1回「東京北京小学生将棋大会」を東京で開催し、昨年は第2回大会を北京で開催した。この将棋大会により日中の子供たちが東京と北京で将棋を通じて交流した。今年も、第3回大会を東京で開催するべく準備していたが、春先からのSARSの流行で、とてもそういう状況ではなくなった。北京の少年宮の人などに様子を聞くと、4月、5月の間は街中はマスクだらけで、小学校は休校が続き、とても人が集まって予選大会などを開くというどころではないということだった。
 そこで、今年は東京北京の大会の開催はあきらめ、日本の小学生だけで「SARSに負けるな、がんばれ北京」と銘打って、将棋大会を開催することした。将棋大会の参加費の一部で盤駒を購入し、また大会の際に持ち寄ってもらった将棋の本などと一緒に北京に送り、北京の将棋好きの子供たちを励まそうという企画である。
 8月3日(日)、東京港区の勤労福祉会館に集まった小学生は、1年生から6年生までの23人で、女子生徒も2人参加した。開会式では、眞田理事長が大会の趣旨について話し、その後対局ルールの説明があった。
大会では、スイス式トーナメント方式で各人が午前中に一局、午後に三局の計四局を戦う。指し手の早い子はあっという間に対局を終えてしまうこともあり、子供同士の練習対局に回る。
 三回戦を終わって3連勝は三枚堂君、大橋君、大内君の3人だけとなった。組み合わせの結果、三枚堂君と大橋君が全勝対決をすることになった。三枚堂君は、これまでの東京北京小学生大会で勝ち抜いたこともあり、今回も毎局とても落ち着いた指し回しを見せていた。
 第1図は、△5五歩に対して、三枚堂君が▲3七桂と跳ねたところ。
25_yamada_1.JPG
先手は、玉もしっかり囲い、カウンターの体制ができあがっている。動きづらい後手は△5四金と上がったが、すかさず▲7五歩と桂頭を攻められ、以下△6三銀、▲7四歩、△同銀、▲7五歩、△6三銀とおさまったが、後手は桂頭に傷を作られてしまった。
 以下、▲5五歩、△同銀、▲5六銀と先手は銀をぶつけ勝負に出る。この後△4六歩、▲5五銀、△同角、▲5八飛、△同金、▲3一角と進み、先手は飛車を切って角を打ち込み、その後も桂頭の拠点を生かして勝ちきった。
25_yamada_2.JPG
 一方、3連勝の大内君は早川君と対戦し、相横歩取りで2図の局面になった。
 当然、▲7四同飛、△同歩と進むと思われたが、大内君はいきなり▲3二飛成と飛車を切ってしまったので、びっくり。研究手順かと思って後で聞いたが、そうでもなかったようだ。△同銀、▲2二角、△2四飛、▲1一角成、△2九飛成と進んで、さすがに先手の無理がはっきりしてしまった。以下、いくばくも無く、後手早川君の勝利となり、大内君としては実力が出せないまま残念な一局となった。
 全員の対局が終わり、結局優勝は4戦全勝の三枚堂君で、7名の3勝1敗の成績優秀者が出た。
 閉会式では、成績優秀者への賞品の授与や記念撮影を行った。北京への将棋用品の送付はこれからの仕事である。北京の様子はすっかり元に戻っているが、SARSは、今年の冬も流行するかもしれず、まだまだ警戒が必要のようだ。日中の交流もいろいろなことを考えながら進めていかなければならない。
 さて、今回は小学生の大会であるから、保護者の大人の方も大勢会場に見えたが、特にお母さんたちは何をするともなく手持ち無沙汰の様子であった。会場では、昨年の北京での小学生将棋大会の様子をビデオで流したりしていたのだが、説明を十分しなかったこともあり、あまり関心を引かなかった。子供たちの将棋大会についてくる保護者の人が将棋に関心を持ってもらう工夫も今後の運営の課題かもしれない。

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