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ロシアに住んで4ヶ月、将棋普及の毎日(29号、2004.9.18)

サンクトペテルブルグより

(1)イゴール・アレクサンドロフさん
 私がサンクト・ペテルブルグ市で今年の4月から半年間の将棋普及活動を行うに至ったのは、露日文化教育財団「大和」のロシア側代表イゴール・アレクサンドロフさん(註1)のお招きによるものです。財団と言っても費用の支給は無くボランティアで参りました。

 イゴールさんは大の日本ファンで日本文化をロシアに紹介することに極めて熱心です。自ら収集した浮世絵の展覧会を開催したり、茶の湯、生花、指圧、創作バレー「蝶々夫人」一場の実演をはじめ、琴の演奏会、白樺合唱団の招聘、それに、忘れてならない2000年度「将棋を世界に広める会」のサンクト・ペテルブルグ・ツアーが実現できたりしたのもイゴールさんのお陰です。
 私は「薔薇の学校」で将棋を教えるかたわら、6月になって学校が夏休みに入っても、イゴールさんの口利きで市の将校クラブにあるチェス同好会で将棋を教えることとなり、その他いわゆる町の道場に相当するチェスのラヂア・クラブ併設の将棋クラブ(註2)にも顔を出し、結構忙しく過ごしました。将棋クラブがここに移る以前はイゴールさんの提供するビルの一部屋で例会が行われていたそうです。
 イゴールさんは将棋のPRにも非常に力を注いでいます。ロシアで人気の芸術家、日本でも1993年に新宿三越でメタモルフォーゼの展覧会を開催したことのあるミハイル・シュメアキンに将棋を指させてそれを記事にしようと計画し、私が空港に到着したその3時間後に写真撮影が行われたのでした。
計画通りそれは新聞に載り、読んでみると見出しは将棋はでなくサムライ・チェスになっていました。見出しがショーギでは一般のロシア人には何のことかわかりませんから、それでいいのです。勿論、記事の中ではショーギとちゃんと書いてありましたから。
 また、イゴールさんはロータリー・クラブのメンバーでもあり、6月の例会の際に私が招かれて将棋の説明をさせていただき、良いPRになりました。
 私はイゴールさんが貸してくれる1D K のフラットに入るまで、ずっと彼のフラットの一室に住まわせて頂き、玄関の鍵も渡されて自由に過ごすことが出来、また奥様のタチアナさんや秘書のマリーナさんに用意して頂いた食事もおいしく頂けました。誌上を借りて御礼申し上げます。
 (註1)日本側代表は当会会員でもある萩原政喜さん (註2)本誌25号13頁参照

(2)東洋展で将棋のエキジビション

 サンクト・ペテルブルグ市のサッカーもやれる大きな屋内競技場で、5月の或る日曜日にオリエント・フェスティバルが開催され、空手、テコンドウ、等の競技と共に将棋紹介のコーナーも設けられました。ラヂヤ・クラブの将棋の仲間、フェドセーエフさんやシュピリョーフさんが自主的に参加を申し込んで実現したものです。日本でも毎年秋に鎌倉の大仏境内で行われている国際交流フェスティバルにISPSが参加しているのと全く同じやり方で、集まってくる人たちにパンフレットを渡し(ロシア語で手製)、ルールを説明し、時間の有る人には将棋の仲間が相手をして解説しながら一、二局指してみるというやり方です。私も誘われてシュピリョーフさんと模範ゲームらしきことを行いましたが、主にチェスのプレーヤーが子供も含め興味を持って熱心に話を聞いていました。
 将棋を普及するためにこういう活動をロシアの人たちが自ら進んで実行している事はISPSとしても表彰してあげたいくらいに思いました。

(3)レニングラード子供クラブでも授業

 地下鉄のチェルニシェフスカヤ駅付近にレニングラード子供クラブと言って中国の子供宮殿と同じような課外学校があり、劇、ダンス、歌、楽器、人形芝居、ロシア歌舞伎、芸当、詩吟、空手、等を習う事が出来ます。そこに、今年から将棋のクラスが出来ました。先生は例によってフェドセーエフさんとシュピリョーフさん。週2回夕方2時間の授業だそうですが、私が行った時の生徒数は登録メンバーが18人、常時出席者は5〜6人とのことでした。
 ここでは、シュピリョーフさんが厚紙で将棋の大盤と大駒を作り授業に使っています。私は2人に6枚落ちで1人には8枚落ちで対局してきましたが、3人とも非常に熱心でした。

(4)ラヂヤ・クラブ
 このクラブは繁華街の近くで交通の便の良いところにありますが、近々どこか別のところに移らなければならないそうで、来年はもうここには無いことになるでしょう。 ここで一番将棋の強いロシアの人は大御所のフェドセーエフさんやシュピリョーフさんを引き離してヴィクトル・ザパラ君という17才の少年です。彼はインターネットの将棋道場で4千局以上対局して強くなったと言われています。現在は働いているとかであまり顔を合わせないのですが、昨年8月に私が一敗地にまみれ、今年も到着早々返り討ちにあってしまいました。負け惜しみを言わせて頂くと、決して勝てない相手とは思っていませんが、持ち時間20分の将棋ではなぜか私にミスが出て彼の若さにやられてしまったのです。
 いつも顔を出す常連としてはシュピリョーフさんの他、コンピューター専門学校の先生をしているミハイル・ヴォルフソンさん、棋歴は浅いが日本語勉強中で研究熱心なアントン・カトコフさん、チェスプレーヤーで直近に将棋を始めメキメキ上達しているアレクセイ・オサドチーさん等がいます。
rajya_club.JPG
 アントンさんと6枚落で対局した時、途中から何と下手に入玉されそうになり大いにあわてました。発想が変わっていると言っては失礼でしょうか。図を見て下さい。下手の飛車がヘンなところに居ますがこれは数手前に▽5七歩と叩いて吊り上げたためです。ここで下手が▲4八玉と上がりました。ハハァ、ここで居玉を解消して玉を囲うのか、なかなか感心と思って▽8四銀とすると、次に▲3八玉でなく▲3七玉と上がってきました。アレー、これはもしかすると入玉狙いの幻惑戦法かと、半信半疑でとにかく上手のガラ空きの左翼に応援隊を繰り出すべく▽6三金と引きました。すると▲8八角▽6四金寄の交換後にやっぱり▲2六玉と更に上がって来たのです。これはもう金の転回は間に合わず▽3四銀と打つ1手です。このあと直ちに▲1五歩と伸ばされていたら成香が出来てそれを引かれたりして、紛糾したかも知れませんが、飛車を1筋に持ってくるのに時間がかかって金が間に合ってしまいました。でも、こんな経験は初めてのことでした。

(5)フリースタイル・カップ

 既にご存知の方も多いと思いますが、静岡大学の元プロ棋士飯田弘之先生がドイツの大学の先生と共同で、将棋フリースタイル・カップと称して、コンピューターと人間の意志を自由に組み合わせて行う団体トーナメントをインターネットを通じて国際的に開催する試みを提案されました。2004年度として日本から2チーム、ベルギーから1チーム、そしてここサンクト・ペテルブルグから1チームが参加したのです。我がロシア・チームの名前は当地にたくさんみられる菩提樹の名を採ってリンデンです。持時間は各1時間半で秒読み30秒。
 第1回戦は7月17日の土曜日に日本チームとの対戦でした。時刻は午後4時からでしたが日本では午後9時の筈です。私も招かれて見学に参りましたが、場所はヴォルフソンさんが講師をしているコンピューターの専門学校の中でした。指し手の決定は一番強いザパラ君。3、4人のメンバーが夫々自分のコンピューターの前に座って色々意見を言います(写真)。一方、別にコンピューターソフト(特に名を秘す)を使って時々刻々コンピューターの意見を表示させます。ロシア語が活発に飛び交って緊張の連続でした。私も継盤で駒を動かし、この歩を突き捨てるのが筋だと意見をいうと、今か、それともアトか、とせっつかれてチームへの参加を余儀なくされました。相手チームは個人でしたがコンピューター3台を使っているとの情報もあり結局この試合は勝てませんでした。でも、その後別の日にベルギー・チームに勝って大いに意気が上がりました。優勝賞金は1千ユーロ(約13万円)だったんですけどね。残念!

(6)白海の港町アルハンゲルスク訪問

 北緯65度、ロシアの白海に流れ込むドヴィナ川の河口にアルハンゲルスクという大きな港町があります。人口は42万。ロシア革命の際に英軍が進駐して使われた戦車の実物が展示されていました。また、近くのスヴェルドヴィンスクには潜水艦基地があり、原子力潜水艦クルスクの遭難碑も建てられています。サンクト・ペテルブルグから1,231キロ、列車で26時間かかります。
 こんな北の果てにもロシア人の将棋プレーヤーが居るのは感激です。サンクト・ペテルブルグ在住の将棋の仲間でおなじみのシュピリョーフさん、昨年ウクライナで英露の通訳をして頂いたダニル・クリンさん、それに、連珠の方が得意でも将棋もなかなかのパヴェル・サリニコフさん(平手はともかく、私はこの人に角落ちで負けてしまいました)、この3人と一緒に夏休みを利用して訪ねることにしました。
 寝台列車の中、4人部屋のコンパートメントでは勿論将棋です。ある時は二人で或る時は四人とも、寝食は忘れませんでしたがずっと将棋漬けでした。
 目的地で訪ねた人はセルゲイ・アンドレーエフさん。モスクワの大会にも一度顔を出したことがあり、シュピリョーフさんとも顔見知りです。新聞記者で24歳。本とインターネットだけで将棋を勉強したのだそうです。この地には日本文化に興味を持つ若い人たちのサークルがあって、それぞれ皆夢を持ちながら色々なことを実行しているのです。日本人はこの町に一人いるそうですが、本当かどうかわかりません。
 私はこの人と6枚落ちで対局しましたが、他にもう一人若いアンドレイ・クズネッツォフさんも同じくらいのレベルのようでした。そして更に3人の若者に将棋の手ほどきをし、お土産にロシア語の将棋の厚い本1冊と初心者用の将棋の指し方の本3冊を置いてきました。これらの本はモスクワのアレクサンドル・ノソフスキーさんが、ロシアで将棋を普及させるために発行しているものですが、特に厚い本の方は860ページもあり「谷川流攻めの手筋」の一部ロシア語への翻訳を行うに当たり私も原著者の了解を得るために尽力したもので、ロシア語で書かれた初の技術的教科書と言えるものでしょう。
 セルゲイさんから彼の職業上のインタヴューも受けましたので新聞に載れば将棋に興味を持つ人が更に増えると期待しています。なお、若者の一人ドミトリー・ジノヴィエフさんはロシア語を勉強したい人とEメール又は手紙で文通をしたいそうなので希望者が居れば仲立ちを致します。

(7)ポデュガ村にて

 アルハンゲルスクに行く途中にカノーシャという町があり、そこから車で1時間の場所に人口3千のポデュガという村があります。村には川のかたわらに広大な敷地の青少年キャンプ場があり、この中に木造平屋の大きな建物が点在していて夏休みには大勢の子供達が1ヶ月ずつの共同生活を営むシステムがあります。この村にはホテルが無いので私達はキャンプ場管理棟のベッド兼用長椅子で夜を過ごしました。
 この小さな田舎の村にも将棋を指す人が住んでいるのです。住んでいるだけでなく村中の子供達を集めて(あ、これは一寸大袈裟ですが)、自宅を開放して将棋を教えているのです。この人の名は、イリーナ・メトレヴェーリさん、40才。連珠の女性前名人で3年前に日本で連珠のトーナメントに参加したことがあり、その時に将棋を初めて知ってそれ以来、連珠の他に将棋も子供達に教えることになったのだそうです。家の中に入ってビックリ。20人くらいの子供達が連珠トーナメントの真最中、持時間各15分で毎日開催の由。コンピューターも3台あり、5才くらいの小さな子供はいわゆるテレビゲームを楽しんでいました。勿論、大きい子供はコンピュータで連珠の研究をしています。
 私達が到着してからキリの良い所で今度は将棋のトーナメントに変わりました。さすがに将棋の出来る子供達は連珠より少なくなり、メトレヴェーリさんを含めて7人くらいに減りましたが、私達4人と対抗戦をするには充分です。私は4枚落ちや6枚落ちで主に指しましたが、全員玉も囲うし全部の駒を使ってくるのには感心しました。
bodyuga.JPG
 ここでメトレヴェーリさんとの4枚落ちを一局紹介しましょう。図(次頁)は下手▲6二歩の王手に上手の玉が6一から▽5二玉とかわしたところです。下手快調に攻めてここで何かあれば戦果があがります。実は下手が▲4四角と歩を取って8八から飛び出してきた時、上手の玉は5二に居て▽6一玉と下手の▲7一角成を眉間で受けていたのです。何とかして角が成れないものか、▲6二歩と打ったものの今度は自分の歩が邪魔して角が成れません。ここでメトレヴェーリさん大長考。あと一押しなんですが、うまくいきません。長考の末ついに先ほど打った6二の歩を▲5一歩成と斜めに捨ててきました。これは大変。確かにこれを同玉と取れば▲7一角成が実現します。必死に考えると時折こういうことが起こるんですよね。私も昔1六の角を7一に成り込んだ経験があります。この時相手は気が付かず対応を必死に考えていました。私も勿論気が付きません。これで詰みだなんて読んでいたものですから。見ている人に指摘されて初めて両対局者が顔を見合わせたものでした。でも歩の斜め歩きはバレバレです。
 将棋はチェスとは違うからなどと言って注意すると、ア、エックスキューズ・ミー、ということでやり直し。そしたらここをいじるのはあきらめて、▲2九飛と飛車の転回を図ってきました。強い!。この手は当面6,7筋へ圧力をかけるつもりでしょうが、1八香から1九飛と1筋攻めも見せています。2五桂跳の可能性を残して歩を2六で止めてあるなんて出来過ぎで、こうなると上手の1筋は持ちません。ハップニングは別にして実に筋の良い将棋です。特に上手が▽6一玉と▲7一角成を防いだとき、金で取れない▲7四歩と打ってきて▽7二歩と受けさせるなど手筋にも通じています。ただこのアト上手の奸計に遭って角が死に、メトレヴェーリさんにとって残念な結果に終りました。普段は専らコンピューターで将棋を指しているとのことでしたので、実戦経験が少ないとどうしても勝負将棋に弱くなるのは避けられないようです。
 ひと通りの対抗戦を終わったあと、せっかくなので時間の許すかぎり基本手筋などを教えたところ、ニコライ君は特に食いつくように聞いてくれましたので、帰ってしまうのが勿体無いような気がしました。勿論、本などはアルハンゲルスクと同じようにお土産で置いてきましたので、自分で勉強してくれるとは思いますが。
 翌日の朝食後、川のかたわらを散歩しているとキャンプ場の大勢の子供達に囲まれて日本語のサインをねだられ、ベッカムもかくやという心境でした。お別れの寸前まで若いクリンさんは集まった子供達に将棋を教えていましたが、現地の人が熱心に普及活動をしてくれる姿は本当に頼もしいものです。

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