百聞は一見に如かず-交流の旅初参加記(33号,9月17日発行)
東京での想像を超えたリフネの将棋事情
キエフでバレエ鑑賞
今回は総勢9人、特別参加の山田史生さんも加わって、やや小ぶりながら、充実した陣容。アエロフロ−ト機で5月24日成田を出発、モスクワで一泊の後、再び空路で1時間半ウクライナの首都キエフは緑につつまれてマロニエの花の真っ盛り。我々一行はまず1日を観光にあて古都を見物することになりました。(宇都宮靖彦)
キエフは人口260万人、京都市と姉妹都市となっているそうで、ウクライナ正教やロシア正教の寺院や修道院が多く、折からの好天でド−ムは金色に輝いていました。
旅行会社の話では、気候は東京とくらべて1ヶ月ぐらい遅いといわれていたので、皆セ−タ−など重装備できましたが、なんと初日のモスクワが30度、その後も好天に恵まれウクライナは連日25度以上の日が続き、現地の人々はみな半袖という有様、これは全員読み違い。
夜は由緒ある劇場で伝統的なバレ−の公演{レイモンダ}があり有志で観劇、その方は不案内の私も観衆の熱気に圧倒されました。アンコ−ルの連発でいつ果てるともなくウクライナの人々のバレ−を愛する心は驚きでした。
さらに目をひいたのが観客席の1人の少女が「誠」の文字の入ったシヤツをさも得意げに身に着けていたことで、新撰組もキエフではニュ-ファッションなのだと気がついた次第。
いざ、リフネへ
翌日はいよいよ目的地リフネ(ロシア語名ロヴノ)へ向けて出発。日本からはるばる運んできた大盤や普及用の盤駒を積み込んで、400キロ近い道程を自動車で走る。ウクライナの穀倉地帯は見渡す限り平野で、畑と牧草地が延々と広がっている。ウクライナは人口4千8百万人、土地面積はフランスと同じぐらいで、ヨ−ロッパではロシアに次ぐ広大な領土を擁しており、気候もよく山地も殆どなく、恵まれているように思われました。
ソ連邦崩壊後、一挙に市場経済に投げ出されて困難な日々を送ったようですが、潜在力はかなりのものではあるまいか、などと考えているうちにリフネに到着。宿泊するホテルマルレインは鄙には稀な美人の女将さんや受付の女性が出迎えてくれました。
リフネは人口20〜30万人とのことでわが町調布とおなじくらいでしょうか。当日の夕方早指しト−ナメントが開催されるとのことで早速エントリ−されました。6回戦のうち2局は日本人の松本さんと寺尾さん、あとはザパラさん(ロシア)コルミエツさん(ウクライナ)などで運よく連勝、幸先の良いスタ−トとなりました。
翌28,29日がいよいよ本番です。リフネの少年宮には、ロシア、ベラル−シ、ウクライナ三国から、腕に覚えのある選手が集まり、ト−ナメント参加者は我々もふくめて105名に達し、そのほかに指導のみを受けに来た近隣の児童や親御さんも加えると150人近い人たちが一堂に集まって、東京で想像したよりもはるかに盛大な大会となりました。
リフネの少年宮で将棋を楽しむ子供たち
何とか全勝を保つ
ISPSの一行9人はト−ナメント組と指導組と二手に分かれて対応することになり、私は真田理事長、松本さん、寺尾さんとともにト−ナメント組に回りました。さてト−ナメント戦では、ベラル−シのコルチッツキ−選手とあたりましたが、当方の四間飛車にたいして、何と先方は加藤式棒銀戦法を用意、15歩と仕掛けてきました。当方も敵の術中にはまらないように腐心、幸い敵失もあり勝つことが出来ました。またウクライナのコルミエツ選手とは、相振り飛車で対戦、粘り強い棋風でしたが当方の三筋の攻めがきまり快勝。
ただ二人の選手ともなかなか力が強く、日頃もう少し強い相手に恵まれたら棋力はさらにアップしていたろうと思われました。
ロシアの若手、ク−リン選手は終盤に長考のすえ、絶妙の勝負手を発見して,一手違いに持ち込んできて老骨をあわてさせました。あとは日本人同士の対戦で、今シリ−ズは何とか全勝を保つことか出来てやれやれでした。
指導席の方を見ると、山田史生さんが黙々と金髪の少年少女を相手に指しておられ、入江教授は独特のスマイルと教授法で大人気を博し、流石に教えることのプロは違うなと感心させられました。
2日目最終の表彰式では、日本語でタイプアウトした賞状が入賞者に手渡され、皆大喜びでした。また入江教授が壇上に上がったときは、入江スマイルに満場拍手喝さいでした。
教え上手の入江教授(左)と子供たち
小生のような老骨に少年少女がサインをせがんできて、羽生四冠にでもなったつもりで30枚ぐらいサインをしました。
盛大な大会を取り仕切ったシエヴチユクさん、クラシコさん等少年宮の関係者に感謝するとともに、せっかくヨ−ロッパの片隅で育ってきている将棋の芽を大切にしたいものだと思いました。
実はこの旅行中小生のデジカメが盗難にあったり、帰りのアエロフロ−ト機がモスクワ空港で離陸途中にトラブルを起こし,代替機で3時間後に出発するというアクシデントに見舞われたり、不愉快な出来事もありましたが、これらを帳消しにして余りある実り多い旅行だったと思います。
ベラル−シ将棋協会のホ−ムぺ−ジから、[Anywhere are not so many children playing shogi in Europe except for Rivne. And if children play the game,means this game has a future.]を最後に引用して終わりとします。
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