日中少年将棋友好交流会開催について(40号、2007年6月16日発行)
24名の少年棋士来日
上海は、将棋が最も盛んな外国の都市である。その上海から、24名の少年棋士(中学生14名、小学生10名)が、6月28日から7月4日まで来日して、日中少年将棋友好交流会を行う。主催は(社)日中科学技術文化センター、共催がNPO法人将棋を世界に広める会(ISPS)である。( (社)日中科学技術文化センター 小針俊郎)
来日の翌29日は、将棋の総本山である将棋会館において、専門棋士の対局を見学。将棋界の現況についても、ご説明を頂く。30日(土)は、永田町の星陵会館において、友好試合を行う。これがISPSの担当である。
最初の計画では中国側16名(中学生8名+小学生8名)だったが、希望者が増え、上述の人数となった。会場面積が70平米と狭く、日本側の人数を16名から12名に減員せざるをえなくなった。複雑な組み合わせについては、神奈川県小中学校将棋連盟理事長の松岡信行先生(横浜市立泉が丘中学校教諭)に頭を捻って頂く。準備は、徐々に整いつつある。
本年は、表題の通り、日中文化・スポーツ交流年であり、当交流会も事業認定を受け、0043という認定番号を有する。記念すべき年であるから、企画されたのだろうと、部外者は想うに違いない。だが、実際の経緯は以下の通りである。
(社)日中科学技術文化センターは、中国人技術・技能研修生を受け入れている団体である。昨年10月、某鉄骨建設企業の溶接課長と総務課長が、研修生面接のために訪中することになり、私小針俊郎が同行することになった。北京・上海の経路であり、上海で両課長をお見送りすれば、上海で1日休暇がとれることが分かった。
ISPS眞田尚裕理事長に日本将棋連盟上海支部長許建東氏の連絡先を聞き、E-mailを打った。早速、熱烈歓迎の回答。10月30日午後、両課長を見送ってから、上海市第六師範第二付属小学校で20人の少年少女を相手に対局。その後、上海支部に夕食をご馳走になった。許建東氏、張建敏氏、秦亮氏、そして中本洋氏(元文芸春秋広告部長)と私の五人であった。
箸が止まった一瞬
おいしい上海料理を食べ、多少アルコールの入ったところで、中本氏が突然切り出した。佐藤康光棋聖を上海にお呼びすることができないものであろうか。棋聖に来て頂ければ、大きな会場が将棋の好きな小中学生でいっぱいになる。何とかお願いできないものでしょうか。
他の三人は、飲まず食わずに黙っている。中本氏の発言内容は、先刻承知の模様。普及の現場で、長い間、汗を流してきた人たちだ。「無理です」の四文字をビールとともに喉へ飲み込む。代わりに「棋聖のお父様へお伝えします」と回答。許氏の顔が柔和になり、他の二人に上海語に訳して、伝えた。二人とも安心して再び箸をとり、コップをもった。
帰国後、早速、二冠のご尊父の佐藤秀夫氏の自宅を訪問。といっても、歩いて1分足らず。上海での一件を忠実にお伝えした。「うーん」と言ってから、「息子に話してみます」という返事。その後、暫くしてから、ご返事を頂いた。今の日程では、訪中はとても無理。しかし、上海の小中学生が来日し、東京に数日滞在するのであれば、若干の時間を割くことは可能かもとのこと。
トップのゴーサイン
12月中旬、当社団理事長韓慶愈から、少年交流としてやってみたらとの有難いお言葉。本年は、「日中文化・スポーツ交流年」であり、また日本で第九回世界華商大会が開かれることから、「2007年日本中華年」でもある。当社団理事長も後者の協力要請を受けていたとのこと。実費をミニマムに抑えることを条件として、ゴーサインがでた。
早速、許建東支部長宛にE-mail。佐藤康光棋聖の訪中は日程的に無理だが、上海の少年達が来日すれば、棋聖と会うことができ、一部指導将棋も可能と回答。招聘元は当社団と申し添えた。許支部長からは、検討の上、回答いたしますとの返電。上海支部の要請に対して、一応の回答ができたので、ほっとした次第である。
2月13日午前、許支部長から、突然の電話。「将棋連盟との打合せが終わったので、これからお伺いしたい」。JR御茶ノ水駅で待ち合わせ。駅前ビル最上階の銀座アスターで昼食。訪日団派遣の決定が告げられ、日程(29日将棋会館・30日友好試合)と人数(小学生8名・中学生8名)が提示された。
いよいよ実行である。まずは会場の確保。ミニマムの費用で4ヵ月後の予約である。二日間いろいろと当ってみた結果、永田町にある星陵会館の会議室70平米を予約することができた。次に眞田理事長宛電話。3月24日の総会にかけて頂く手筈となる。総会では、NPO法人将棋を世界に広める会(ISPS)が共催となり、小中学生の選抜から試合当日の運営まで行うことが決定された。
将棋会館の見学については、アポも取らず、直接事務局室へ赴いたところ、運良く、『朝日新聞』観戦記者の東公平氏とお会いでき、渉外部長の中島信吾氏をご紹介頂き、大野木紀良普及推進部長を紹介され、更に同部長の指示で普及推進部谷康典係長に担当して頂くことになった。これで、二日間の大枠が決まった。
但し、中国側人数が増えたことにより、中国側24名、日本側12名という変則的組み合わせとなってしまった。松岡信行先生が担当となり、選抜・試合の組み合わせから当日の運営まで、大変なご苦労をなされることになる。
ISPSの理事会において、佐藤康光棋聖・棋王(三月に棋王位奪取)の指導対局5名の選出につき、話合いが行なわれた。遠方から来るのだから、5名とも中国側では如何かという意見が出たとき、松岡先生の顔色が変わった。交通費も食事代も無く、神奈川の小中学生12名を東京の永田町まで連れてこなければならないのだから。佐藤二冠は、少年棋士の憧れの的である。吸引力が違う。
結局、優勝チームから2名、他の3名は抽選と決まった。但し、中国チームが優勝した場合、日本側は抽選参加だが、日本側が優勝した場合、日本側は抽選に参加できない。この付帯条件をつけることで、折り合いもつき、松岡先生も安堵された。
佐藤二冠は、6月29日に淡路島において、渡辺竜王と棋聖戦第三局を戦う。翌朝、淡路島を出発して、会場の星陵会館に到着するのは、午後3時頃となる。それから、上海市・神奈川県の小中学生と指導対局を行なって頂く。お休みになりたいところを、良くお引き受け頂いたものだ。
2007「日中文化・スポーツ交流年」実行委員会宛提出した書類には、佐藤康光棋聖・棋王のお名前は記載されていない。日程があまりにもタイトであり、確定できなかったからである。だが、日中少年将棋友好交流会の始めから終わりまで、二冠を軸に回っていることは、上述の通りである。
最後に誌上をお借りして、眞田理事長をはじめとするISPSの皆様方に深甚の謝意を表したい。
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