春節の北京(44号、2008年7月23日発行)
昨年の夏、東大の学生が中心になってAISEPを開催し、李民生先生が来日したとき、一緒に将棋連盟に桜井常務理事を訪問しました。その際「連盟がなにかお助けすることはありませんか」と聞かれた李先生は、「今年(2008年)の春節の行事に専門棋士を派遣して欲しい」と要望しました。これが実現して、今春北京へ行くことになりました。(宇都宮靖彦)
北京の中心部にある龍譚公園では、毎年龍譚廟会という春節の行事がおこなわれますが、そのなかで棋類を中心にした催しがあります。それに昨年から将棋も加わって、第1回豊田通商杯小学生将棋大会が開催されました。今年はそれに中学生と大学生の部が加わって更に大きな形で実施されることになりました。
連盟からは女流の早水2段と上田初段が最初から参加、週末には順位戦対局をおえた青野理事も参加され強力な布陣で望むことになりました。この公園は北京市民の多くに親しまれている場所で、2月6日から12日までの会期中は約2百万人の人が訪れるということです。午後になると、移動もママならないほどの人であふれます。今年はオリンピックの年でもあり、其の関係の展示や体験教室がめだちました。将棋のサイトは、棋類として囲碁、チェス、シャンチ−とおなじ一角を占め、大会の予選、決勝と指導対局、将棋に関する展示が行われました。運営は主催者である豊田通商の袴田さんの人脈と、李先生の教室の若手スタッフがあたり、会場は熱気にあふれていました。棋類の会場は通路より一寸奥まったところにあり、将棋のサイトには人がひっきりなしに観に来て、1日1,000人以上8日間で1万人ぐらいの人が訪れたとのことです。
人寄せには王祥さん(李先生の協力者)の展示の説明が好評で、多くの聴衆をひきつけていました。中国語の内容および巧拙は私には分かりませんが、受けているなと実感しました。(北京では日本語はおろか英語を解する人も殆どいません。これでオリンピックは大丈夫かしら)
また配布物として北京大学の学生徐博シン君が李民生先生と共著で出版され北京で話題になった「将棋」という本が大量に置かれ、宣伝に一役買っていました。
さてここで将棋の上で見た上海と北京の違いを見てみましょう。ご承知のように上海はビジネスマンタイプの許建東さんが先頭にたち、得意の日本語を生かして日本国内にも支援の輪をひろげ、すでに15万人に普及が進んでいるといっています。これに対して、北京では李民生先生が中心ですが、李先生はあくまでも教育者の立場から、普及を進めておられ、日本語、英語とも不得手なので、協力者の支援を得て地道に成果をあげてきており、3〜5万人の人たちが将棋を知っているとのことです。
李先生によれば、小泉内閣のときは非常にやりにくかったそうです。上海が経済の中心地だとすれば、ここ北京はやはり政治の中心地であるとの印象を深めました。其の分両国の関係が好転しつつある今はやりやすくなったと言えます。また一両年まえに中学校の選択科目として日本将棋が加わったとのことで、すでに3校で履修する生徒がいるそうです。まだ軌道にのったとはいえない状況でしょうが、明るい材料でしょう。
総じて上海にしても北京にしても、日本将棋の普及が教育の場から始まっており、また中国は棋類の団体が体育協会の傘下にあることから、今回のオリンピックの対応でもみられるように、國際マインドスポ−ツ連盟の動きについても好意的に反応してくれました。
中国における将棋の普及がいわば、公的機関や行政の了解や支援のもとに展開されていることは、現地のリ−ダ−たちの永年の努力によるもので、心強いことです。
さて小生は李鵬宇君と練習将棋をさすことになりました。1局目は穴熊に囲われて完敗、2局目はこれではならじと目一杯に指して漸く指し分けに持ち込みましたが、流石北京の最強者でなかなか充実している感じでした。実は昨年北京の大学チ−ムが関西地区に来たとき、関西の大学生の序盤作戦についていけず、李先生から対策について要請があり、所司先生から定跡関係のソフトの入ったCDを頂いたり、東大将棋NO,8を贈呈したのですが、いくらか役に立ったのかなと思っています。さて今回の決勝戦の模様は囲碁将棋チャンネルで青野九段の解説で放映されましたが、各クラスの参加者数と優勝者は次のとおりです。
小学生 48名参加 張天天
中学生 14名参加 周一鳴
大学生 15名参加 李鵬宇
さて、会期中に李先生の本拠である崇文区の少年宮を訪ねる機会がありました。そこには数多くの将棋を愛する人の写真が飾られていました。専門家では原田、大内、米長、羽生、森内、佐藤、青野、小林(健)、所司、安恵などの諸先生、アマチュアでは庄司さんのほかISPSの真田,山田両氏、若手の山内一馬君の写真もありました。ISPSでは1995年竜王戦の北京対局のあと、森本さんが大内先生などが日本人の愛棋家に北京での普及の支援を呼びかけたのに答えたのが発端で、数次にわたる学童を交えた交流の歴史があります。今回のイベントでは、袴田さんが長年北京で努力されたこともあり、豊田通商が会社としての支援体制を組み、人的にあるいは資金的にバックアップをして盛大なイベントとなりました。また国際交流基金の藤田さんなど現地にいる有力な人たちのサポ−トもありました。今までの歴史をみても、李先生の人徳でしょうか、支援の輪の中に今日があるものと思われます。それが更に大きくなって次に繋がっていければよいなと思いながら北京を後にしました。
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