人物紹介コーナー - ライエル・グリンベルゲン教授(48号、2009年11月22日発行)
前回から、新たな企画として立ち上った、『人物紹介コーナー』。今回は第2回として、ライエル・グリムベルゲン氏を紹介します。
グリムベルゲン氏と言えば、既にご存知の方も多いことと思います。「将棋世界」や「週刊将棋」への寄稿も数多く、ヨーロッパでの将棋の強豪として知られ、将棋ソフト「SPEAR」の製作者。そもそも、古くからのISPSの会員でもあります。今回、八王子にあります、勤め先の東京工科大学の研究室に伺い、インタビューをしました。
それでは、ライエル・グリムベルゲン教授を紹介いたします。
八王子のみなみ野駅近くにある、東京工科大学。広いキャンバスに立派な校舎が立ち並んでいる。コンピュターサイエンス学部・グリムベルゲン教授の研究室は、キャンパス中央にある、まるで円弧の一部を切り取ったような形の研究棟Aの八階にあった。訪れたのは、8月下旬。学生の姿もまばらで、静かさに覆われた研究棟。殊に、八階のフロアーは静寂そのもの。足音だけが響く。やがて、ドアーの表札に教授の名前を見つけ、気息を整え、ノックした。
整った姿。顔立ち。目からは気品と共に優しさが漂ってくる。オランダ出身、42歳。大学では、人工知能・認知科学・ゲームプログラミングの講義・研究を受け持つ。将棋も強い。オランダチャンピオン6回、ヨーロッパチャンピオン3回。現在、四段の腕前。
「いつ、将棋を覚えられたのですか」と、先ず最初に聞いてみた。
「ナイメーヘン大学、1年のとき。たまたま将棋を知っている人がいて、将棋を教わりました」
大学に将棋を知っている人がいたことも不思議だが、覚えてから2年ほどで初段になったそうだ。上達の早さに驚くと、「元々、チェスをやっていましたから」と、こともなげに答えられてしまった。
「なぜ、将棋にそれほど興味を持たれたのですか」との問いに、
「将棋がゲームとして優れているからです。『取った駒を味方として使う』、このコンセプトがとてもユニークだと思いましたし、チェスでは、終盤になるにつれて次第に駒が減って行ってしまうのですが、将棋は減りません。最後まで複雑さが持続し逆転の可能性が非常に高く、エキサイティングなのです。この魅力に取り付かれました」との答えが返ってきた。
人工知能への興味は、人間の認識の問題と繋がっているらしい。子供はどうやって認識を開始しているか。人々はどのように物事を認識しているのか。コンピュータプログラムの作成の過程で、人間の認識の問題に迫ることができるのではないか。このような問いが研究の根底を占めているようだ。
「現在、先生は将棋のゲームソフト『SPEAR』を開発しています。研究とどのような関連があるのですか」。人間の認識への探求とゲーム開発、関連性がつかめないので尋ねた。
「人間の一般的な認識は非常に複雑で、直ぐにはアプローチができないのですが、この点、ゲームでの思考や認識は単純です。一手一手、着実に読んでいくことが、勝利につながっていきます。プロ棋士たちが、どのように考えているのか、コンピュータに取り込ませることは、人間の認識に近づく道だと思っています。なにしろ、ゲームは非常に小さな世界ですので、思考の問題を極めて単純化できるのです」
まだまだ聞きたい事は山ほどあるのだが、将棋の普及やISPSのあり方などに話題を移した。
「ISPSの内部的な仕事の内容や細かなところに関しては、あまり知らないのですが、全体として良くやっているのではないでしょうか。中国での将棋人口の大幅な拡大、ヨーロッパやモンゴルなど様々な地域での普及活動。厚みと範囲が拡大されて来ていると思います」
「ヨーロッパの人々は、将棋のどのような点に惹かれて始めようとするのでしょうか。日本文化に対する関心などが、入り口になるのでしょうか」
「それは様々だと思います。文化に対することから、将棋を手にする人もいれば、そうではない人もいると思います。私の場合は、純粋に将棋のゲームとしての優秀性に惹かれました」
「ヨーロッパでの普及については永い期間取り組んでいるのですが、中々、中国のように将棋人口が増えていかないのはなぜだと思いますか」
「それは難しい質問ですね。一つには、漢字についてヨーロッパと中国では親しみに差があるのは確かだと思います。もう一つは、ヨーロッパにはチェスが既にボードゲームとして定着していて、将棋をする人は、将棋を一つのオプションとして捉えている傾向があります」
「戦争を模したゲームであるのに関わらず、死んだ駒が再び相手の駒となって働き出す。これに違和感があるのではないですか」
「それは全くありません。ゲームには様々なものがあり、将棋も、様々なゲームの一つとして捉えています」
インターネットでの将棋普及に関しても尋ねた。コンピュータの専門家であるから、インターネットでの普及には積極的な賛同が得られるのではないかと思ったのだが、意外な答えが返ってきた。
「将棋は、対人で行うものだと思っています。インターネットでの将棋はあまり好きではありません。普及に関しても、世界各地の遠く離れた人々と対戦できるメリットはあるとしても、各地に「点」を創るのに留まります。先ずは小さな「スノーボール」を創る必要があり、それを回転させるエネルギーを必要とします。ヨーロッパに関して言えば、既に、多くの小さなスノーボールはできているのですが、それが中々回転しないのです。どのようにヨーロッパで回転を引き出したらよいか。原因の究明と方法の確立。それが問題なのです」
最後に、娘さんの理紗さんに話題を移した。以前、『将棋名人にしたい』という記事を目にしていたので、まだ夢は持ち続けているかどうかを尋ねた。よほど愛しているのだろう。瞬間、真剣な顔が突然崩れ、すっかり父親の顔が現われた。
「棋士は大変な職業だし、とても特殊な職業だと思います。趣味としては素晴らしいのですが、仕事となるると、かなりストレスがたまりそうですね。舞台などに立つような仕事の方がいいのではと今は思っています」
名人位をとる女性の出現は、しばらく待たなければならないかもしれない。
松岡信行
コメント