ベルギーの状況とニーズ(前編)(3号、1996.11.1)
ベルギーで将棋再発見
92年の秋頃のこと、当時私は三和銀行のブラッセル支店に勤務していた。仕事も結構立て込んでおり将棋とは無縁の生活を送っていたが、あるとき同じ業界の関係から知遇を得た東洋信託銀行現地法人の田部井社長や東海銀行の大久保所長と将棋の話になり一番指してみようかということになった。実際にやってみるといい勝負で結構楽しめたのだが、そうした関わりの中で、「ベルギー人にも将棋愛好家がおり日本人と手合わせを希望している。日本人有志で週一回ベルギー人の例会に加わることにしたのでついては参加しないか」というお誘いがきた。毎回日本人参加メンバーには若干の移動があるようで、トーメンなど商社やメーカーの方も混じっているとのことであった。(海宝明)
ヨーロッパ人で将棋をやる人がそんなにいるとは知らず、最初は興味半分に参加した次第である。正直なところどうせ初心者であろうとたかをくくっていたが、予想していたような初心者では全くなく、指し手が実に鋭い。ブランクでこちらの腕前が落ちていたせいもあろうが、とんだ相手に出会ったと感じて焦っている内に、初戦は全くいいところの無いひどい負け方をしてしまった。名前を忘れてしまったが最初の相手はベルギー大蔵省の人ということでヨーロッパの強豪の1人だという。実際に指した印象では3段ぐらいの力だと思った。結局その日は情けなくも3人と指して3連敗。
こんなはずはということで、その後少しカンを取り戻すべく努力するようになり、帰国してからも興味が持続しているのもベルギーでの将棋再発見の効用といえるかもしれない。
中心はウォルター氏
若干当時の将棋普及状況について触れると、ベルギーで連盟メンバーとなっている愛好者の数は20人ほどのようである。中心になっているのはウォルター氏(ファーストネーム。姓がフレールトブルーゲンと長いので、最初からウォルターと呼んでほしいということだった)である。ベルギー将棋連盟書記官といかめしい肩書きの日本語の名刺も持っているけれども、非常に礼儀正しく控えめな紳士である。将棋から派生して日本語も勉強されており、その後日本に帰ってきてからやりとりする手紙の中には英文の中に漢字で「遅き日のつもりて遠き昔哉」などと蕪村の句が入っていたりする。後で人から聞くと高校の倫理学の先生だそうだ。
彼を事務局とするグループで毎週首都ブラッセルとベルギー第二の都市であるゲントで交互に例会をしているという。我々日本人有志もこれに参加した訳である。公民館みたいな場所を借り、巻いて持ち運びのできるビニール製の盤を使って試合を行う。一回に集まる人間は7〜8人といったところで、その中に日本人駐在員が2〜3人加わる構成である。公民館といっても日本のイメージとはずいぶん違い、ヨーロッパらしい石造りの古めかしい建物である。集まるのは夜で、照明のやや暗い階下のホールではダンスの練習をやってたりして建物の雰囲気に合っている。そこで将棋をやっているとなにか妙な感じがする。
ベルギー人の皆さんは実に熱心で夜8時ぐらいに集まり、終わるのはだいたい12時位となった。彼らの会報に載せたいという事で棋譜を採りながら指すときもあった。終了後はめいめいが車を運転して静まり返った夜の市街を帰ってゆくのである。
将棋から広がる交流
実力的には例会の中核メンバーで初段から1級といったところである。さすがにカンを取り戻すとまず負けなくなったが、勝負は別に振り返ってみると何よりもウォルター氏やその親戚という若いエディ君などメンバーとの交流が生まれたことが最大の財産であった。何年滞在していても仕事関係以外で当地の人たちとつきあう機会は余りないものである。そのためにはやはり共通の関心が必要であるが、将棋がその役に立つとは思ってもいなかった。この経験から、柔道のようにSHOGIも世界の共通言語になる可能性があると感じる次第である。今後当会の活動も夢を大きく持てるものだと思う。
話が飛ぶが、もともとは貴族階級やインテリ層が中心であったチェスの影響かとも思うけれども、将棋に対する彼らの接し方が実に丁寧かつ礼儀正しく、これを大切なものと考えている姿勢が感じられた。日本の道場で割とよくある荒っぽい手つきや駒の並べ方を見たら驚くかもしれない。こうした点も棋譜だけでは分からない部分であって、その民族や文化毎に発達してきたしぐさの文化的相違を反映しているのではと余計な方に連想が発展してゆく。
彼らは定跡をよく勉強しようとしているし、感想戦も行う。「この飛車はここに打った方がもっとactiveだった」とか述べる。なるほど英語ではそういう表現をするのか、と妙に感心する一方、彼らも「日本人の将棋は定跡と違って変化するから面白い」と感じてくれたようである。彼らは主に本で勉強しているからきれいなパターンが中心で、日本人の素人腕自慢によくある定跡知らずの力将棋がかえって新鮮に映るようでもある。
ウォルター氏の手紙
ウォルター氏とは帰国してからも手紙のやりとりを行うようになった。その手紙の中に「日本の『将棋世界』を購読しているのであるが、日本語は難しく、情報の宝庫であるのに内容がよく分かるのは詰め将棋ぐらいしかないのがきわめて残念である」とか、「親しかった人がみんな帰国して日本人の相手が少なくなり困っている」というようなことを書いてきたりして、少々心配していたところ、最近の手紙の中で高橋和女流初段のヨーロッパ訪問シリーズの一環として『将棋世界』にベルギーのメンバーが登場すると記されていた。
「女流プロがヨーロッパに来るのは初めてで実に歴史的なことである」とややオーバーな表現であり、非常によろこび張り切っている様子がよくわかる。どんな具合だったのか10月号で見るとともに直接感想を聞きたいものだと思っている。
ISPSに小生が参加させていただいているのもこうした海外滞在の経緯からだが、ベルギーへの手紙にヨーロッパに於ける将棋普及にはどういうことが必要かと入れたところ、メンバー全員でディスカッションしてポイントをまとめて返信してきてくれた。ISPSの会合でその内容を出席者にお配りしたが、かけはしの次号でも内容を紹介し幅広くご意見を伺いたいと考えている。(続く)
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