「将棋の国際普及の根幹」をどうする(24号,2003.6.30)
現在日本将棋連盟をはじめ非常に大勢のアマチュア将棋ファンが将棋の海外普及に情熱を注いで、外国人に将棋を教えています。ところが教える人が10人いれば教え方も10色あるのが現状です。一口に外国と言っても何百という国が現存するのですから相手が解かり易いように教えようとすればそれぞれに違ったやり方になるのは当然かも知れません。(眞田尚裕)
欧米のように既にチェスが普及している所ではチェスの「言葉」を使うのが早道です。中国では漢字には困りませんが駒の名称や将棋の用語は自分達の言葉で読み、発音している方が多いようです。
高橋九段が言われているように将棋は日本の伝統文化であるから駒の名称、用語などは日本語で通すべしという意見はかなり有力です。これから将棋を始めようとしている、チェスも英語も知らない国でならこれでよいかも知れません。この考え方を仮に右派とするならば、細かいことに拘らず相手の国の人が将棋を指せるようになるのが先決で、言葉が違っても将棋は指せるという考え方が左派です。
この間に様々な考え方やり方があるわけで、実際にある国で将棋を普及させるために、行き先の矢印だけを書いた駒を創作して教えている人が居ます。又チェスによく似た「将棋」の駒を創案して、海外普及にはこれが一番、と主張している人も居ます。棋譜のとり方も欧米ではほとんどチェス方式で、それも所によって表記の方法が少しずつ違ったりしています。
なぜこのようにバラバラになっているかと言えば、将棋を外国人に教える時にはこのようにすべしと書いた憲法のような元になる「もの」が無いのがその一因です。またそれらしきものがあっても、矛盾を含んでいたり不備なものであったり、乃至は普及の第一線に居る人がその存在を知らなかったりしているからです。このままで行くと世界中に将棋が普及した頃には駒の名称・文字、又は駒の形、更には術語や用語からルールまでそれぞれの国で少しずつ違ったものをやっているなどと言うことになっている可能性が少なくありません。
そこで今、何が必要なのかと言えば、日本的な曖昧さを除いた「基本法」的なものをこしらえることではないでしょうか。取り上げるべき課題は山ほどあります。(1)駒の名称(2)駒の文字や形(3)棋譜のとり方(4)将棋独特の術語・用語(5)段級認定の方法(6)ルールブック(7)日本文化として残すべきマナー(高橋九段が言われている「お願いします」など)(8)その他、があり夫々にいくつかの問題を含んでいます。
例えば駒の名称について考えてみると、外国人に教える前に日本人が使っている呼び方が曖昧です。駒に書いてある文字は二字なのに呼び方は、玉・角・金・銀・歩などは一字です。歩のことを「ふひょう」と呼んだり角のことを「かくぎよう」と呼んだりする人は昨今居ませんが飛車・桂馬・香車などは「ひ」・「けい」・「きょう」とも呼ぶと同時に「ひしゃ」・「けいま」・「きょうしゃ」と呼ぶ人もかなり居ます。香車のことを「やり」、歩のことを「ひょこ」と呼ぶ人も居ますけれど、これはあだ名のようなものです。
一口に「駒の名称は日本語で」と言っても、例えば桂馬は「けい」で統一するのか「けいま」で統一するのか、または日本では二通り使っているから二通り憶えてほしいと、外国人に教えるのか、を先ずはっきりさせなければならないのです。今、外国人の為に正確で親切なマニュアルを作ろうとすれば、駒の名称のために少なくとも、古典的名称・現在使われている名称・その国の言葉に訳した名称を、一表にした一覧表が必要という事になりそうです。
駒の名称は遠からず一字駒が主流になると言われています。既にEメール将棋の駒や大盤解説用の駒は一字です。ところが一般に市販されている将棋の駒はほとんどが二字です。多くの日本人はそんなことに拘っていません。テレビで映る対局場の駒は二字で大盤解説用の駒は一字だなどと気づいていない、又は全く気にしていない人が大半でしょう。 外国人でも少し将棋に慣れてくればそんな事はたいした問題ではないという意見もあります。事実、外国人でも強くなれば日本の将棋雑誌を読んでいますし古典的な定跡書を学んでいる人もいます。
そこで、外国人に将棋を教える場合には、文字通りの初心者の時と、それ以上の人の時とでは違ったやり方をした方が良いと主張している人がいます。行く先の矢印と、二カ国の駒の名前とを印刷した半透明のシールを二字駒の上に貼って、初心の内はそれを使い、慣れてきたらシールを剥がせはよいという案など、実現の可能性は兎も角として、普及活動の最前線に居る人達にとって名案かも知れません。
国際普及の為に今、将棋を見直して「基本法」的なものを創るという作業は、駒の問題ひとつだけでも以上のようになかなか大変なことです。現在、第1番目に決めなければいけないのは、それが必要かどうかです。「あったほうが良い」とか「そのうち誰かがやるだろう」、「普及の現場で解決すればすむ」等と言っていれば何もできないで、ずるずると5年も10年も経ってしまうでしょう。
今直ぐ取り掛かると決まったとして第2番目に「誰が」やるのかを決めなければなりません。どんなに将棋の国際普及に強い情熱と大きなエネルギーとを持っていても一人ではできないことです。充分な経験と識見とを持った何人かの人が集まって「委員会」のようなものを創ってはどうでしょうか。多くの将棋ファンが投票で委員を決めるのは現実問題として無理かも知れませんが一部の団体や個人でなく広い範囲から同じ志の人達が集まってメンバーを構成できると良いと思います。第3番目に何をやるのかは、「委員会」に任せるわけですができるだけ討議の内容をオープンにして将棋ファンの意見や希望が盛り込まれたものが創れれば理想的です。やることが多すぎて前へ進まない恐れがあるということなら課題に優先順位をつけて、今すぐやるべきことから取り組んで行けば良いでしょう。
権威のある「委員会」を創るには、その人選をどうするかという問題や、ボランティアで人が集まるかなどの心配があります。その場合は次善の手を考えましょう。例えば「将棋世界」の紙上を拝借して課題の(1)から(8)までの中から問題を提起し多くの方が討議に参加するなどということはどうでしようか。以上、高橋九段のずばり提言(将棋に、日本語に誇りを)に関連しての提案です。
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