青野九段のパネルトーク(2010年10月9日、記念シンポジウムにて 於、くらまえホール)

 将棋連盟の青野です。よろしくお願いいたします。

 今残っている方が、本当に海外普及に興味のある方だと思っています(場内爆笑)。いま、私は将棋連盟の渉外担当理事をやっております。

 まず、わたしは海外普及に関しましてはかなり早い時期から関わっておりまして、昭和 54年だったと思うんですけれども、私が初めて理事になったときに海外で、特にロンドンで非常に熱心な方がいらっしゃる、そして、その人が将棋大会を開く ということを聞きましたのもので、これはどんなことがあっても駆けつけなければいけないということで、淡路七段(当時)と私も六段でしたけれども、二人で 早速駆けつけました。そのときも国際交流基金もちょっと応援をしていただいたんですけれども、初めてのことだということで結局自費でですね、将棋大会に出 たんですけど、私がそこで見た光景というのはですね、つい最近亡くなりましたけどジョージ・ホッジスさんという非常に、将棋の熱心、いや、熱心というより はちょっとなんて表現していいかわからないんですけど、隔月で英文のミニコミ誌を出していて、英文の入門書も今の将棋だけでなくてですね、中将棋、大将 棋、大々将棋、いわゆる350何枚ある泰将棋までですね、入門書を出している。なおかつですね、貿易商で機械が扱えるものですから、その350枚あまりの 泰将棋の駒までもですね、いまわれわれがみているようなビニール盤に自分で駒を作って用意している、これは、ちょっと日本中探してもこんな人はいないん じゃないかという人がイギリスのロンドンに居た、ということが非常な驚きでして、私も彼から禽将棋という、猛禽類の将棋ですけれども、7x7の駒のセット をいただきました。指してみるかといわれて、一局目は私の負けでして、二局目からは私の楽勝になりましたけれども、7x7の古将棋の中ではたったひとつだ け取った駒が使える将棋です。中将棋なんかは全く使えませんけれども。ホッジスさんが一生懸命将棋を普及していて、イギリスだけではなくてですね、オラン ダとかあちこち普及に出かけている、彼から「2つ問題がある」といわれて、やはりひとつは言葉の問題で、言葉は日本語だから仕方がないんだけれども、一番 最初に将棋を知らない人に見せるときにいきなり日本の将棋の駒を見せるべきだろうか?あるいは、日本将棋連盟にも一時期ありましたが、「金」の駒なら「G」と書いて矢印で「金」の行き方を書いてあって、それで「金」を表すような駒を見せるべきではないだろうか?という問いかけがあって、これは海外のなかでも、「G」 の駒でないとわからないというひとと、いきなり日本の漢字の教養的な駒を見せたほうが興味を持つんだという二通りがありまして、それは今でも結論がでたと いうわけでもないんですけど、やはり駒の問題、文字の問題がひとつ。それともうひとつ問題になるのは、「将棋をやってみないか」と誘ったときに、「私は チェスを15年間やっているから、折角15年間やったんで、将棋に行くのは、もったいない」といわれて、結局学んだ長さが将棋の棋力に比例するというよう な、そういう風に思っている方がかなり多いという印象を持ちました。実はそういうことではなくて、たとえば少年が一年くらいでアマチュアの五段くらいにな ることがあることは皆さんよくご存知だとおもうんですけれども、将棋というのはどちらからというと感覚的なものが身についてしまった人が強くなる、強くな らない人は残念ながら、この中にもいらっしゃるかもしれませんが、40年やっても強くならないという人もいらっしゃるかもしれませんが、ま、そういうゲー ムなんですね。ですから、なかなか普及をするというのは難しいんですけれど、「取った駒を使える」というルールを教えると、非常に興味を示す人が多い、そ ういうようなことをホッジスさんは言っていました。

 翌年、昭和55年だったと思いますけれども、最初に行った年で、これだけ多くの将棋 ファンが居るんだということを国際交流基金に写真を見せて説明したところ、「そういうことなら国際交流基金もお手伝いしますよ」ということでそれから毎年 派遣費用を出していただくようになったんですけれども、私自身はヨーロッパから始まったせいでですね、イギリスとかオランダとかそれから北欧のほうもずい ぶん多く行きました。アイスランドもいったことがありますし、そうはいっても最近は中々忙しくて、中国しかほとんど行っていないんですけれども、後輩でで すね、その後、佐藤康光さんとか、室岡さんなんかはヨーロッパに行っていただいていますし、石川さんとか野月くんとかアメリカのほうに行っていただいてま す。高田さんはニュージーランドいっていただいたり、いろいろな人がいろいろな所にいっていただいて、少しずつ広まってきたかなという頃にちょうど将棋を 世界に広める会というのができてきてですね、あ、そうだ15周年おめでとうございますを先に言わなければいけなかったんですが、手順前後で申し訳ないで す。本当に15年前からこの会が、最初は一人から始まったと聞いておりますけれども、本当にこう日本将棋連盟のできないところをですね、カバーしていただ いた、特に中国の発展、ウクライナをはじめ旧ソ連圏の発展に関しましては、ほとんどその将棋を世界に広める会の功績だろうとはおもっているんですが、もう ひとつの問題として、書籍がないということを言われまして、なんとしても入門書を作ってくれということになりまして、私も、山海堂という本屋さんに頼んで ですね、この「将棋定跡の鍵」という書き下ろしの本とですね、1年間NHKの将棋講座を昭和57 年でしたか一年間やったものを対訳で出しましてですね、これらはいままで私が出した本の中でも内容的には一番いいと思っているんですけれども、簡単には売 れなくてですね、大して刷らないうちに廃刊になってしまったんですけれど、ところが、それからずいぶん欲しいという方がいまして、この2冊は私が自費でも う一度出版社に頼んで再版をした本です。500部か1000部とかなりかかりましたけど再版してよかったなと思っています。

 本当は将棋を世界に広める会とかですね、企業なんかもいろいろ協賛をしていただく機会がありまして、私が最近行っていますのは北京でして、中国の正月である春節のときに、豊田通商杯をですね、正月の将棋大会はもう12-3 年になるんですけれど、豊田通商にいらしゃってこの会の理事でもあります袴田さんのはからいで、「豊田通商杯」が、今年でもう五年になりましたけれども、 そういうふうな企業からも応援をいただきまして、人口的には中国が爆発的に増えたんだ。上海が数十万人にいるという話の中で、どうしてこんな風になったん だ、と聞きましたところ、中国は社会主義国なので、将棋道場を開いて客を待っていても誰も来てくれない、ということで、いろいろな学校にいって、試しにこ のクラスに将棋を教えさせてくれないか、といって始めた所、そのクラスだけが勉強ができるようになった、特に、算数・数学ができるようになった、というこ とがあって、それを宣伝文句にしてですね、次から次へと広めていって、ついには何十万にもなったと、ま、このことは我々がこどもを教えるとかお母さん方に 言うとか、国内の普及なんかでもですね、年中使っているんですけれども、なんでもっとそういう風にいわないんだと逆に上海からハッパをかけられているんで すが、今年、棋王戦で上海にいったんですが、校長先生がやってきまして、私の学校には将棋専用ルームがあるんだ、畳の部屋があるんだ、といって学校の教科 にもなっているんだ、といって、そういう意味では小学校に関しては上海は日本を抜いてしまっているようなことがあるかもしれないと思っているんですけれ ど、こうやって各国で増えてきたおかげで、一昨年の国際将棋フェスティバルで、私が責任者をやったんですけれども、20数カ国天童に集めてやらせていただ きまして、非常にすばらしい大会ができて、そして、しかも驚いたのは新しい国からの参加がとても多いんですね、タイとか、フィンランドとか前からありまし たけれど、ウクライナ・ベラルーシ、そういった新しいところが今までの昔からいた国よりも強いということはおそらくネットの影響があるんだろうなと思うん ですけれど、そういう意味では我々なんかがやってきた国際普及の時代とはまた違った、これからはネットとかYouTubeと かの関係で、どんどん広まっていくと思うんですけれども、そうはいってもまだいろいろと問題点はあってですね、国家的にも文化予算がなかなかうまく進まな い、国際交流基金の海外派遣も毎年ではなくなったというようなこともあって、文化庁の文化交流使も毎年ではなくなっていますし、なかなか文化予算のほうも ですね、国に頼るといったわけにもいかないんですけれど、国のほうはなかなかそううまくはいかない。肝心要の将棋連盟のほうはどうかというと、これは理事

ですから私なかなか言いにくい問題はあるのですけれど、将棋連盟というのはこう見えて弱小団体でですね、非常に小さい団体でありまして、特に不況の波に洗 われてどうしても自分たちの運営のほうに重点があるということにいきがちなんですね。正直言ってですね、実際に自分のお金を出して海外普及に行った人と、そうじゃなくて理解がある、という人では、同じ海外普及に理解があるといっても、大分違いがあるんですね、残念ながら。もうひとつは、各棋士ですね、佐藤康光さんとか、羽生さ んとか海外にいっていただいているんですけれども、皆忙しくなって海外に自分でいく時間がなくなった、私なんかは、皆がなかなか行かない、中国とかア メリカなんかは皆行きますので、皆が行かないところをと思って北欧とかずいぶん行ったんですが、今とても申し訳ないんですけど、やはり北欧にいく時間 と余裕がないということでして、そうするとどうなるかというと、やはりプロが行かないとどうしてもそこが廃れてしまう、ということがあるんですね。ネット の時代とはいってもですね、やはり、会って、「いや皆さん、やってますか」と声をかけてあげることがひとつのあれで、ま、一年二年はいいんですが、三年五 年行かないでいると、どうしても廃れてしまう条件がある。

 最後は、用語の問題ですね。こういう本を出してもですね、用語を英語でやっていいの か、日本語で統一すべきか、というようなことは、本来はやはりもう日本将棋連盟とか、いう枠を超えて、いろいろな専門家、ゲームの専門家、将棋の専門家、 いろいろな人で話し合いをするべきと思うんですけれども、なかなかそういうような余裕もないというか、そういう状況かなと思っているんですね。そういう意 味では、熱心にやっていただいている将棋を世界に広める会の活動には、逆にこれから私自身個人的に期待をするところが大でありまして、個人的に海外に行っ ている棋士の方、アマチュアの方、本当に多くの人に関わっていただいて、海外普及をこれから広めていっていただきたいと思っております。

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