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2011年9月28日 (水)

ベルギー外交官の将棋探訪記

 この文章は、当初日本・ベルギー協会会報に第79号(2011年7月発行)に、在日ベルギー大使館公使のヴェレイデンさんが寄稿したものですが、同氏の厚意により、当会のウェブサイトへの転載を認められました(棋士のタイルは発表文のままとしています)ヴェレイデンさん、面白い記事をありがとうございました。

ベルギー外交官の将棋探訪記

3meijin

2010年の名人就位式にて右がヴェレイデンさん

10秒……
対局時計の針は情け容赦なく過ぎてゆきます。対戦相手の持ち駒を一瞥すると、金が3つ、歩が一つ。私の王将を囲む重要なマスのうち2つが敵方の桂馬に脅かされています。もし自玉が相手の次の手で詰まされない確信さえあれば、当方の角を成りながら相手の金を捕らえることができるのです。そしてそれにより、彼を必死に追い込むことができるのです。その確信さえあれば….

20秒……1,2,3,4
信じられないことです。いったいどうすれば、30秒以内にかくも複雑な終盤戦を戦いきれるというのでしょうか。かぶりを振りつつ、相手の最後の守備駒の金を急いで取ると対局時計のボタンを押します。29秒が過ぎたところでしたから、ぎりぎりセーフでした。今度は相手方の指す番です。彼は僅かに驚いた表情を見せ、次の瞬間勝利を確信したようです。飛車、歩、金を捨てたのち、金を打ってきました。私にも即詰みがあるのが見えました。最早諦める他に道はありません。完全な敗北でした。

試合の緊張感から解放されるに従い、2つのことが明らかになってきました。1つは、この局面は結局のところ読むのが難くなかったということ。即ち後手の攻め方は直線的でわかり易かったので、私の神経が平静を保っていさえしたら、詰みを読み切れたはずなのです。2つ目はこの試合に負けたことで東京の竜王戦で敗退を喫したとういことです。しかし、私にとっては初めての将棋トーナメントでありましたから、この結果は分相応だと思っております。これが、2008年9月に初めて日本の土を踏んだその日に始まった私の将棋探訪記に記された最近の出来事でございます。

並々ならぬ欲求


日本に駐在すると、多くの点で非常に快適な生活をおくることができます。この国にはあらゆるものが揃っているとさえ言えます。確かに。でも実はそうではないことも事実です。あなたが25年以上の経験を有する優秀なチェス・プレーヤーだとして、あなたの趣味が東京という世界一のメガ・シティで全く知られていないとある日突然気づいたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか。何ということでしょう!バンコクにでさえ、とてもハイセンスなチェス・クラブがあるのです(正直申し上げると、そのクラブとは、実のところ私本人が別の駐在カップルと1999年に始めたものなのですが)。チェス・クラブなるものは、世界中どこにでもあるのではないでしょうか、クウェート・シティにだってありました。(実際には、あるフィリピン人女性の厚意により、小さなビリヤード場にあるタバコの煙でむせ返るような倉庫で週一度開催されていたにすぎないのですが)。つい、話が横道にそれてしまいました。本題に戻ります。

日々チェス・クラブを探し求めては、苦い失敗を味わい、折りしもあきらめかけていた頃に、東京日仏学院のチェス・将棋クラブと出会うことができました。そしてこの思いがけない発見と幸運なめぐり合いにより、私は将棋の魅力に取りつかれてしまったのです。日本人の皆様はお気づきにならないでしょうが、将棋の世界は日本語を解さない外国人にとっては全くの狭き門なのです。日本国内では非常に人気がありながら、将棋が外国人に紹介されることは稀であります。外国メディアも滅多に取り上げません。時々公園で行われていたりしますが、それ以外に通りがかりの外国人が偶然に将棋を見る機会はありません。ミステリアスな漢字が書かれたモノトーンの駒のダンス、前後左右に動き、打たれて取られて、そしてまた盤に戻っていく不思議な光景に我々外国人は困惑さえ覚えてしまいます。

それを通り越すと、将棋が持つ幾何学的な美しさ、歴史と伝統と複雑さを兼ね備えた抗いがたい魅力に捕われていくのです。そしてアプローチが困難な世界であればあるほど、絡まった糸を一つ一つほぐしていくように将棋の世界を探求せずにはいられなくなるのです。私はすでに、2009年上旬には青野照市九段著 A Guide to Shogi Openings を読破しておりました。将棋に対する関心が高まる一方で、英語の出版物が乏しかったため、私はまさにプロのアドヴァイスなるものを欲しておりました。そしてついに2009年11月堀口七段に弟子入りすることになりました。堀口氏は有名な棋士且つ教師であり、更に英語にご堪能でいらしたからです。初回のレッスンでは将棋のマナーについてご指導いただきました。特に対局の前と後の挨拶の仕方そして将棋盤上での駒の進め方についてです。それを習得して後、より難しいトレーニングに入ってゆきます。

書物とその研究だけでは将棋を学ぶことはできません。フィールド・ワーク(実地訓練)も同様に重要であり、想定外の事態が起こる点から考えると、後者の方がより啓発的と言えましょう。

ベルギー人がかつて足を踏み入れたことのない場所へ、いざ出陣


私の将棋ワールドへの潜入、その最初の一歩は、当然のことながら将棋ファンのメッカを訪れることでした。千駄ヶ谷の日本将棋連盟の建物の1階には将棋関連の本や優雅で但し非常に高額な将棋盤と駒のセットを陳列した素敵なショップがあり、訪れる人々の目を奪います。2階に上がると一般客向けの広々とした道場があり、勤勉なスタッフの方々が迎えて下さいます。そこではプロの棋士が片隅でアマチュア客と対戦したり、指導を行ったりしています。常にこういった状態でしたら理想的だったのですが、意外な落とし穴があったのです。週末や祝祭日になると元気な子供たちが大勢やって来て、本来精神修養を目的とすべきこのサンクチュアリ(聖なる場所)をレトロなディズニーランドに変えてしまうのでした。

「旅は目的地よりも重要」という諺があります。将棋をするための理想的な場所を見つけることは、将棋の複雑性を理解するのと同様に難しいことだったのです。しかし、東京の色々なエリアの様々なクラブを訪れることは、本当にこの上なく面白い体験でございました。思い出深いシーンをいくつかご紹介しましょう。ある道場では、私のイメージの中では原宿辺りにたむろしていそうなマリファナできめた若者達が、空中に駒を投げて先手・後手を決めていました(通常は盤上の歩兵を5枚取って、振り混ぜて放ります)。また、ある道場のオーナーは、君はいったいここに何をしに来たのかと訝しそうな顔をして「ベルギー」と繰り返し呟きながら頭を振り続けていました。両国の道場のオーナーは、昼間から酒気帯びで凄腕の博打打ちといった風貌でしたが、「ハンディは2枚落ちまで、賭け金は1勝負100円まで」と気の小さい主張を譲りませんでした。最後になりますが、これもまたびっくりするような光景でした。御徒町の道場でのことです。一見すると上品な老紳士が、やおら入れ歯をはずすと空いている片方の手でそれを握り締めながら次の手を画策しておられました。言うまでもなく、これらの経験を通して、こういった特殊な環境においては、堀口先生から伝授された将棋のエチケットなるものが必ずしも通用しないという事実を私は悟ったのでございます。

名士の集い


一外交官がこのような怪しげな場所で一体全体何をしているのかと不信感を抱かれる前に、是非とも申し上げておかなければなりません。これらの特殊な出会いは将棋界探訪の一面にすぎません。幸いなことに、私は何人かの棋士の方とお知り合いになることができました。その中で最も有名な方といったら羽生善治名人です。羽生さんはチェスにも造詣が深く、欧州のトーナメントでチェス名人達に幾度となく勝利し、素晴らしい才能を発揮していらっしゃいます。ご親切にも、将棋の七大タイトルのうちの一つ、名人戦勝利の祝賀パーティーに何度となくお誘いを受け参加させていただきました。すでに20年近く連続で七大タイトルのうち半分を制しておられますが、この驚くべき偉業は、おそらく誰にも塗り替えることができないように思います。また、逆に羽生さんが拙宅にお越し下さる機会も数回ありました。その度に私の手合い違いとも言える対局の申し出に快く応じて下さるのです。本当に忍耐強く礼儀正しい方でいらっしゃいます。

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赤坂の公使私邸にて

しかしながら、日本に着任して以来、最も素晴らしい出来事は今年の2月におこったのでございます。拙宅に、日本将棋連盟に所属する世代を超えたビッグタイトル保持者の棋士の皆様をお招きすることにしたのです。驚くべきことに栄えある名人戦を間近に控えた永遠且つ最大のライバル同士である羽生・森内両氏もご招待を受けて下さいました。そして、更に奇跡的なことには、その席に日本企業のトップの方々と政界の著名人数人がご参加下さったのです。日本社会がそれほど開かれたものではない点から、このような異業種間での名士の集いの開催は、簡単なことではないように思われます。

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パーティーで指導対局を行う早水女流二段

パーティー終了の数分後、外交官としての深い達成感を味わっているところに、辛抱強い堀口先生がいつものさっぱりした口調でこう呟かれたのです。「このようなことが起こりうるとは思いませんでした。」それに対して私が、ビジネスマンと棋士が一同に会していけないわけでもあるのでしょうかと申し上げると、先生は軽く頭を振りながらこう付け加えられました。「いいえ、そうではないのです。羽生さんと森内さんがこの小さな空間に共にいたことを言ったのです。」

フレデリック・ヴェレイデン(在日ベルギー大使館公使)

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